黒手組
「黒手の晩餐」
1. ニューヨークの闇
1908年、ニューヨーク――。
繁華街の片隅にある薄暗いカフェで、セバスチャンは小さなエスプレッソを啜りながら、目の前の男をじっと見つめていた。
「……で、最近の黒手組の動きは?」
向かいに座る痩せた男――情報屋のトニーが周囲を気にしながら、小さな声で答えた。
「相変わらずさ。商店からの『保護料』、移民の誘拐、密輸……やりたい放題だよ。でもよ、ボスのヴィットリオが最近ちょっと妙な動きをしてるって話だ」
「妙な動き?」
セバスチャンはカップを置き、背もたれに寄りかかった。
「シチリアと何かで繋がってるらしい。大物が向こうから来るとか、逆にニューヨークから誰かが送られるとか……」
「……シチリアか」
セバスチャンの頭の中に、一つの考えが浮かんだ。
「おい、トニー。お前の話が本当なら、俺は近いうちに長旅をすることになるかもしれない」
「何だよ、まさかお前……」
セバスチャンは小さく笑い、上着のポケットから札を取り出してテーブルに置いた。
「話は聞いた。お前も気をつけろよ」
情報屋を残し、セバスチャンはカフェを後にした。
外に出ると、ニューヨークの夜風が頬を撫でた。暗がりには見張りの男たちがいるのを感じる。表向きは黒手組を取り締まる警官、しかし裏では彼らの利害を調整する"交渉役"。それがセバスチャンだった。
だが、彼自身も気づいていた。バランスは崩れかけている。
2. シチリアへの招待
それから数週間後、セバスチャンはシチリアの地を踏んでいた。
黒手組のボス、ヴィットリオ・マルケージから「お前に見せたいものがある」という招待を受け、慎重に準備を整えた上で船に乗ったのだ。
港には黒手組の手下たちが迎えに来ていた。彼らは無言でセバスチャンを黒塗の車に乗せ、山間の道を進んでいった。
やがて辿り着いたのは、丘の中腹にそびえ立つ荘厳な別荘だった。石造りの重厚な屋敷の扉が開かれると、中では晩餐会が開かれていた。
シャンデリアの下、タキシードを着た紳士たちがワインを傾け、談笑している。その中央に座るのはヴィットリオだった。
「よう、セバスチャン。よく来たな」
ヴィットリオは豪快に笑い、腕を広げた。
「歓迎してくれるようで何よりだ」
セバスチャンも微笑みながら席についた。ワインが注がれ、豪華な料理が次々と運ばれてくる。しかし、場の空気にはどこか張り詰めたものがあった。
ふと、扉が開く音がした。
数人の屈強な男たちが、一人の男を連れてきた。その男は後ろ手に縛られ、口には布が詰め込まれている。
セバスチャンの表情が固まった。
それは、ニューヨーク市警の警部補、ロバート・クレイン――かつてセバスチャンに警察の道を教えてくれた恩人だった。
「……どういうことだ?」
セバスチャンはワイングラスを置き、ヴィットリオを見つめた。
「お前に選択肢をやろう」
ヴィットリオはナイフで肉を切りながら言った。
「ニューヨークの東側をお前にくれてやる。その代わり――」
ボスはゆっくりとセバスチャンの目を見た。
「この男を殺せ」
晩餐の席が静まり返った。
ワイングラスを持つ手が止まり、視線がセバスチャンに集中する。
ロバートの青ざめた顔がセバスチャンを見つめていた。
「……考えさせてもらおう」
セバスチャンはゆっくりと椅子から立ち上がり、ポケットに手を入れた。
指が触れたのは、隠し持っていた小型拳銃だった。
部屋には張り詰めた空気が漂う。
ヴィットリオが静かに言った。
「時間はないぞ、セバスチャン」
銃声
長い沈黙のあと、セバスチャンは目を閉じ、息を整えた。
そして――。
銃声が響いた。
数発の弾丸が放たれ、誰かが倒れる音がした。
数秒後、セバスチャンの体は力なく崩れ落ち、血が床に広がった。
ヴィットリオが立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。
「……惜しい男だった」
ワイングラスを手に取り、ひと口飲むと、彼は静かに言った。
「だが、裏切り者に情けは無用だ」
その言葉を最後に、晩餐は再び始まった。
遠くで、夜のシチリアの風が静かに吹いていた――。