トロールを愛した聖女
その小屋には一人の聖女が住んでいた。
しかし、聖女は人前に決して姿を現すことがなかった。
村人達が何を言おうとも決して姿を見せず、締め切った小屋の内側から皆に声を聞かせていた。
彼女は非常に優れた治療魔法の持ち主で、その卓越した魔力は魔法の言葉だけで人々を癒すことが出来るほどだった。
故に人々は怪我や病になると聖女の小屋の前へ行き治療を願うのだ。
「行って、今まで通りに生活をしなさい」
その短い言葉が完治の合図だった。
事実、彼女がそう言った時には怪我も病も完治しているのだ。
実に素晴らしい力だ。
小さな村でありながらも、人々が幸福に暮らせたのは間違いなく彼女の功績だろう。
そんな聖女にもやがて寿命が訪れる。
小屋を何度もノックしても返って来る言葉は「大丈夫です」の一言だけ。
そして、その声は日に日に小さくなっていく。
ある時、聖女はノックをした村人達へ言った。
「明日、この小屋を燃やしてください。小屋に邪悪な悪霊が入りました」
村人達は口々に戸を開けるように願った。
「聖女様! この扉を開けてください! 私達も恩返しがしたいのです! どれだけ邪悪な悪霊であろうとも、皆で戦えば必ず勝てるはず……!」
そんな声も虚しく、聖女は扉の内側から言葉を繰り返すばかりだった。
「必ずこの小屋を燃やしてください」
村人達はそのまま小屋の前で一夜を明かした。
聖女の考えが変わることを願って。
しかし、恐れていた太陽の光が村に指した頃。
小屋の中からこの世の者と思えない程におぞましい悲鳴が聞こえた。
「聖女様!」
人々は彼女の言いつけを守らず扉を打ち壊して中に入り込んだ。
そして。
「聖女様?」
ベッドで横たわる存在を見つめたまま人々は言葉を落とすばかりだった。
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歴史を学んでいくと大抵は滑稽な物語を見ることが出来る。
この『トロールを愛した聖女』もそのうちの一つで、清廉潔白な聖女が唾棄すべき存在である醜悪なトロールと恋に落ちて二人で暮らしていたと伝えられる。
しかし、聖女が暮らしていたと語られる小屋はトロールと人間どころか人間が二人で暮らすことさえも難儀するほどの狭さしかない。
それこそ、人間にしろトロールにしろたった独り暮らすのがやっとなほどだ。
つまり、この物語は間違いなく嘘であると断言出来る。
では、何故このような物語が生まれたかと言えばそれが必要だったからと言う他無い。
だが、結果として『何かが必要であった』と言うのは分かっても、その『何か』の正体が分からないのもまたこの手の物語の常である。
いずれにせよ、当時の人々が何を悩み、何を望み、そして何をしようとしたのかを考えるのもまた、歴史を学ぶ醍醐味と言えるだろう。