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「へぇ、けんさんって職場ではそんな人なんですね!?」
「そうなんだよ、いつも助けて貰ってばかりでねー」
木下は自身の話をしている瀬戸内と史也の声を、なるべく聞こえない様に両手で耳を塞いだが、結局は何をしても聞こえてくるものは仕方が無いと諦め、近くに居たまきをひと撫でしようとした時、何かを訴えるかの様に、にゃぁ!と木下に向かって鳴くこんぶに、どうした?と抱き上げるも、鳴き止む事をしないこんぶの様子がいつもと違う事に気が付き、佐藤夫妻と楽しく話している瀬戸内に、
「なぁ、大輝!こんぶの様子がおかしいんやけど!?」
と焦っている木下に対して、瀬戸内は落ち着いた口調で、
「多分、けんさんに何かを話し掛けているんだと思いますよ?」
「……え?」
そう言うと瀬戸内は木下からこんぶを引き取り、木下と目線が合う様にこんぶを持ち上げた。
「ほら、こんぶ、けんさんに言いたい事があるんでしょう?」
「にゃー、にゃぁ!!」
数回鳴くと、満足気に鼻をフン!!っと鳴らした。
「……えーっと、分かりました?で、良いのか??」
何を言っていたのか全く分かっていない木下を気にすること無く、こんぶはまきの所へと行った。
その後、出会った時より以上に仲良くなっているこんぶとまきだったが、まきが老猫と言うのもあり、佐藤夫妻は1時間程で帰って行った。
「あー、疲れたー!!」
「あはは、お疲れ様です」
ホンマやで!と言いながらソファーに寝転ぶ木下は、どこか上機嫌な瀬戸内が気になった。いつも見ている木下以外の姿を知れて嬉しいのか?それとも違う意味なのか?と鼻歌を歌いながら台所に経つ瀬戸内を、ジーッと観察していたが、一気に疲れが出たのか、木下は意識を無くすかのように寝に入った。
『やぁ、久しぶり!!』
『ホンマやねてんぷら、最近、出てこうへんから興味無くなったんやと思っとたは!!』
直ぐにこれは夢だと分かった木下は、目の前の猫改めてんぷらに話し掛けた。
『うーん、けんちゃんに飽きる要素、無いからなー』
そう言うとてんぷらは胡座をかいている木下の膝の上に軽快良く飛び乗り、それでさ!と話を続けた。
『こんぶが何を言っていたのか分かってたの?』
『流石に分からへんって。分かっとたらてんぷらが言ってた事だって分とったやん?』
『まぁ、そうだよね、ビックリしたよあの時、普通に返事をするんだもん!』
どこか嫉妬した様な話し方をするてんぷらに、すまんなと頭をひと撫でしようとした時、木下はフッと疑問に思った。
『何で、知っとん?』
そう、てんぷらは木下が夢の中だけで会う猫で実在しない筈なのに、どうして現実で起こった事を、しかもこんぶの事まで知っているのか......
『あはは、けんちゃん、変な顔してるー!!』
きっと人間だったら、お腹を抱え涙を流しながら......要は、大爆笑しているのだろうと想像つきやすいが、いや、実際目の前でてんぷらも人間と同じ様に木下の膝から転げ落ち、両前足でお腹を抱え仰向けになり左右に揺れながら笑っている。
『何や、人間みたいやな?』
『はーはー、え、だってけんちゃんと話したいってずっと願ってたんだよ?あはは!!』
また笑い出すてんぷらに、つられて笑い出す木下に、こんな事も出来るよ?と言ってにゃおん!とひと鳴きすると、てんぷらの隣には先程まで自宅に遊びに来ていた、
『まきちゃんさん!!』
『こんにちは、木下君』
そう、まきの姿があったのだ。まきは驚く木下にゆっくりと近付き、大丈夫?と声を掛けるも、どう答えたらいいのか頭が追い付いていなかった。
『まきは、けんちゃんの事が気に入ったみたいだね?』
『...…え?』
『そうなの、こんな面白い子は久しぶりだったから』
てんぷらはまきに向き合い、人間の様に親しい友人と話をするかの様に話し始めた。元々屋内で過ごしていたてんぷらの毛並みは、歳をとっても美しく艶のある猫だったが、それ以上の毛並みをしているまきは、その美しい毛並みに相応しい気品溢れる美しい猫だ。
例えるなら、てんぷらをやんちゃ坊主とするならば、まきは良いとこのお嬢様と言った感じだ。
『いつもね、パパが木下君のお話をしてくれてたのよ?だから、お会いした時は凄く嬉しくて!』
『へーそうなんだ!えへへ、けんちゃんは昔からいい子だったんだよ!?』
そうなのね?とこちらを振り向いたまきに、まるで知らない親の友人が褒めてくれた時の子供の様に恐縮する木下に、自信を持ちなよ!とてんぷらに励まされた。
『にしても、あの子はとても賢くて、思いやりのある子なのね?』
『……あの子って、こんぶの事ですか?』
『そうよ、その子以外誰がいるのよ?』
と片方の前足で口元を押さえ、まきはクスクスと笑って見せるその姿は、やはり猫であっても、美しかった。
『あの子は、木下君の事を凄く心配していたは。あの時だって、アナタを励まそうと一生懸命に話し掛けていたじゃない?』
まきが言うあの時とは、瀬戸内に持ち上げられ木下の目の前で必死に何かを訴えていた時の事を指すのだろう。だが、相手は猫だ、人間である木下には猫語など通じるはずも無く、ただ適当に返事をしただけなのだ。だが、次にまきが話した事によって木下はこんぶに対して申し訳なさが襲った。
『あの子、木下君に沢山"頑張れ!って言えたよ"って、喜んでいたのよ?』
『……え、』
『僕達猫は、人間と言葉を交わす事は出来なくても、人間の感情は分かるんだよ。だから、こんぶも幼いながらにけんちゃんの感情を読み取ったんだろうね』
『そうね、あの子、木下君を励ます前に私に"元気がない、どうしたら良い?"って聞いてきたのよ?』
『え、こんぶが!?』
そうよ?と小首を傾げるまきと、どこか嬉しそうなてんぷらの姿に戸惑いもあるが、それよりもまだ幼いこんぶが木下自身の感情を読み取り、その事について年長に相談していた事に驚いた。やはり、申し訳なさの方が強かった。
『あの子は木下君と大輝君の2人に出会えて凄く幸せだって教えてくれたの』
『子猫の方が成猫よりお喋りだからねー』
『そうね、もうずっと"ボクの家族ね、暖かいんだよ!"って自慢してたくらいだもの』
『へー、そうなんだ!良いな、まきはこんぶと出会えて』
『うふふ、良いでしょう?でも私は、木下君と長く一緒にいたアナタの方が羨ましいは?』
両猫が良いな良いなと言い合っているのを木下は、段々と恥ずかしくなり?両耳を塞ごうとするも、長年一緒だったてんぷらがまきに思い出話を自慢し出したのを懐かしみたくなり、塞ぐ為に耳の近くに持って来ていた手を、下に降ろした。
『けんちゃんと出会ったのはね......』
小学3年の6月に担任が産休に入り、臨時で来た担任が実家で子猫が産まれたと話していたのを少年は目を輝かせ、欲しい!とその場の勢いで言った。勿論、担任には家族の人に聞いてから!と言われ、当時一緒に暮らしていた祖父母を説得し、子猫を迎える事に決まったのだ。
『本当にちゃんとお世話するんでしょうね?』
『する、ちゃんとするから!!』
子供のちゃんとする!というその言葉にどれ程の威力があるか......8割程の確率で無だが、それ以上に祖父母は孫に弱いと言うのは高確率で当たる。少年は親に言えば絶対に反対され、テコでも動かないと知っていたからなのか、
『ママには秘密にしてて?』
とまだ自分より大きかった祖母に、シーっと指を立てると祖母は、はいはいと少し困ったような顔で返事をしたが、結局は直ぐにバレてしまい、後々こっ酷く叱られた。
『この3匹から、選んで下さい』
子猫を家に迎えるのに時間はかからなかった。祖母が担任に電話を入れ、子猫を1匹引き取る事を伝えると、次の日には、同じ洗濯ネットに入れられた生後3ヶ月程の子猫3匹が、少年の家にやって来たのだ。
『うーん、どの子にしようかな……』
3匹中2匹は初めて来る場所で怖かったのか、そろりそろりと後ずさりして行くのに対し、1匹だけはボーッとして、その場から動く事が無かった。
『先生、この子にします!』
指を差された子猫は自分の事じゃないだろうと言った顔をしていたが、担任が待ちあげた途端、自分かよ!と急に焦り始めたが、所詮は生後3ヶ月の小さな身体ではどうする事も出来ず、一瞬にして暴れるの諦めた。
『この子?この子は産まれた時から胃腸が弱くて、他の兄弟よりも一回りも、二回りも小さいけど、良いの?』
と、どこか不安そうに言う担任に対して少年は元気よく、
『はい、大丈夫です!!』
と答えた。
その後、祖母と担任で猫を飼うには何が必要かと色々と話し込んでいたが少年は、新たな家族を抱き締めるのに夢中になっていた。
『ようこそ、これからずっとよろしくね』
『にゃぁ』
これが木下健一とてんぷらの、20年という長い月日の物語の始まりだ。