14
最近、木下と一緒に駄菓子屋に来れる様になった瀬戸内に希菜は嬉しそうに、大ちゃん!と話し掛けてきた。
木下から店主の鈴木を紹介された時は、やっと来たか!とあたかも来るのを知っていたかの様な口振りに、不思議に思ったが、木下から鈴木に相談していた事を伝えられ、勝手に相談した事を必死に謝る木下に、瀬戸内は鈴木の両手を包み込む様にして握り、
『けんさんや希菜ちゃんからお話を伺っておりました。初めまして、瀬戸内大輝と言います』
と自己紹介を済ますと、鈴木は店内に居た男児達に、
『あんた達、良い男ってのは、大輝みたいなのを言うんだよ!!』
と腰に手を当て仁王立ちで叫んだ。
そんな日から2ヶ月が経ち、希菜達学生組は夏休み真っ最中の8月。ある日の昼下がり、駄菓子屋でのことだ。
木下や希菜のお陰で少しずつ子供に慣れてきたがやはりまだ怖い。なかなか話さない瀬戸内が物珍しい児童達は、
「なぁ、兄ちゃんって何で喋らへんの?」
と少数だが話し掛けてくるのでその度に、
「ちょっとあんた達!!大ちゃんに気安く話し掛けてええんは、けんちゃんだけなんやで!?」
と希菜がはじめの方は牽制していたが、夏休みに入ってからは、勉強を教えてくれるいい兄ちゃんと児童の間で広まった。今では児童達の良い先生となっていた。
「そう言えば、最近、けんちゃん見いひんけど......」
勉強の合間の休憩中、鈴木からの差し入れされたアイスキャンデーを頬張りながら児童の誰かがそんな事を呟くと一斉に、確かに!と騒ぎ始めた。
「けんさんは今、外泊中です」
「......」
騒ぐ児童達に聞こえる様に瀬戸内が言うと、隣に居た希菜がどこか悲しそうな顔をこちらに向けていた。寂しくない?と聞いてきたが、その言葉に否定すると嘘になるし、本当の事を言うのも恥ずかしく、笑いかける事しか出来なかった。
3日前、木下はスマートフォンを見てこの世の終わりだと言った顔の後、微かに手が震えていた。
「けんさーん、あのです、ね......けんさん?」
「え、あ、なんや!?」
急に呼ばれ咄嗟に上げた顔にはゆっくりと汗が流れ落ち、口元だけが笑っていた。それもどこかぎこちなく。何かを隠しているのだろうと、それに気が付かない程、瀬戸内は鈍くない。
「どうか、したんですか?」
「何で?」
今の瀬戸内が出来る精一杯の優しさを込め、けんさん?と問い掛けると、木下は手をギュっと強く握り何かを決意したかの様に自身よりも少し上にある顔を見上げゆっくりと口を開くも、
「やっぱり、何でもない!」
そう言うと目線を床へ落としてしまった。
そして翌日、瀬戸内は木下が居ない朝を迎える事になった。
5ヶ月ほど前まではこれが当たり前だった。だが、自分に何も言わずに居なくなった悲しみと、辛い事があれば頼るっと言っていたのに、頼ってくれなかった怒りの2つの感情が瀬戸内の中でグルグルと巡っていた。この気持ちをどう表現したらいいのか分からなかった。
「……けんさん、の、あほ」
と呟く事しか出来ない。瀬戸内の近くにいたこんぶは、感情を読み取ったのか、ボクがいるよ?と言っているかの様に、
「にゃぁ」
と鳴いた。
「よう帰ってきたな」
「……」
「はぁ、黙りするん止めろ!」
「……ごめんなさい」
昨晩、見知らぬ電話番号でショートメールが入っていたが、恐る恐る内容を読むと、
『健一、明日絶対に逃げずに、帰ってこい!!』
差出人が誰なのか聞かれなくとも木下には分かっていた。そう、木下奏斗、健一の兄からだ。だが、今の連絡先を教えていない筈なのに、どうして知られているのかは、今の健一にはどうでもいい。
ただ、兄の言う事は昔から絶対!と幼い頃から言われ続けていた。よって、このメールの内容は正しく、断頭台に一歩近寄った死刑囚と同じ感覚に陥っていた。そんな時に、瀬戸内が声を掛けてきた。健一は頼ると約束した事を思い出し、全てを打ち明けようと決意するも、結局は怖気付いてしまい今朝、何も言わずに家を出た。
そして、電車に揺られやっとの思いで着いた実家の最寄り駅には兄である奏斗が立っていた。
その姿を目にした途端、健一は一目散に逃げ帰りたい気持ちが涙として溢れ出てしまい、被っていたキャップを深く被り直した。
相も変わらず弟である健一に対しての態度は、あの晩と同じく冷たく突き放した言い方をする奏斗。そして、何も言えず無事に家に付ける事を願うしか出来ない健一。兄はナイフという言葉で多くそして深い傷を、健一に負わせていた。
「母さん、仕事やし帰ってくるな」
「……はい」
「ま、お前にしたらここが、実家みたいなもんだよな?」
「……はい、っ!!」
はい、と返事を言っていれば奏斗は満足してくれる筈だと思っていた。だが、健一の態度にイラつき、左肩を思いっ切り拳で殴ってきた。
「他に言う事は無いのかよ!?」
「……ありがとう、ございました」
そうお礼を言う健一に、さっさと降りろ!と車から追い出されてしまった。だが、表情は先程までの辛い、苦しい、悲しいの感情ではなく、ただ嬉しいと言う表情を浮かべ、奏斗が運転する車が見えなくなったのを確認しそして、早る気持ちを落ち着かせるも、身体は正直に足早になっていた。
「じーちゃん、ただいま!!」
「おぅ、帰ってきたんか!?」
玄関のドアを開けながら、家中に聞こえるように大声で家主に帰ってきた事を知らせると、祖父が人当たりの良い笑顔で出迎えてくれた。そして健一は、今まで話せなかった事を早口で話した。だが、祖父は責めることも無く話が終わるまで、うんうんと昔と変わらない優しさで話に耳を傾けていた。
祖父に、今はどの様に暮らしているのか、大きな仕事を任されて成功した事、猫を飼い始めた事を話した。
「うんうん、元気にやっとるんやな」
「うん!」
凄いなー!と祖父に頭を撫でて貰え、頑張ってきた甲斐があったとしみじみ思っていると、じーちゃん、やめて!!と言う声で健一は一瞬にして全身に力が入り、その場から動く事も、声を出す事も出来なくなった。
「なぁ、健一、お前がしてきた事はな、皆ができることや。何を偉そうに威張ってるわけ?」
「そ、そんな事ない!」
やっとの思いで出た声は健一が思っているほど大きな声ではなく、奏斗に対しては少し……いつも瀬戸内と話している時の大きさ、の声しか出ていなかった。それでも、いつもと違う弟に奏斗は少し怖気付くも、直ぐに自身に反抗してきた事に腹を立てた。
「お前に何が出来るって言うんだよ!?え、成績順位が常に上位だったのか?個人戦で全国に行ったことあんのか?木下家の中で、一番レベルの高い学校に行ってたのか?親の言う事以外は信じるなって、言われてたのか!?お前は......っ!?」
そこまで言った奏斗の言葉を遮ったのは、祖父の新聞を捲る音だった。
「うん?奏斗まだ言いたい事があるんやろ?ほれほれ、言ってみろ?」
「うぅん、クソじじが!!」
「おー怖い怖い、それでも高校教師ってのは本当なのか?」
次第に顔を真っ赤に染めていく奏斗を、ほれほれ!と揶揄う祖父は、実に楽しそうで健一は止める事をしなかった。
「ほれ、健一よ、今じゃ!言いたい事あるんだったら、今のうちに、ぶちまけてしまえ!!」
幼い頃からいつも言いたい事を言えなかった。そんな健一を、誰も見向きもしなかった。唯一、目を掛け、気に掛け、そして声を掛け続けたのが祖父母だった。
親からも兄からも、話に入ってくるな!と邪魔者扱いされていた弟は常に親戚達が集まると別室で過ごし、少しでも親戚達の前に現れると、家族ではなく名前も知らない親戚達から容姿、内面、学力等を馬鹿にされ挙句の果てには、
『健一に、近付くのではありません!』
『近付いたら頭がおかしくなりますよ!』
まだ、小学低学年の子に対して周りの大人は、あまりも残酷過ぎる言葉しか言ってこなかった。健一にだって得意とす物があったが、それは無駄な才能と言われ、一度も褒められた事がなかった。
そんな誰からも認めて貰えなかった健一を祖父母は、一番どちらが好きか!と言って、毎日の様に色んな形の愛情を注いだ。
少しでも孫の為になるなら、少しでも笑ってくれるなら、少しでも健一が幸せで生きていけるように。と、祖父母は健一の味方に徹した。
そして、自分の気持ちを全て言えるのは今しかないのかもしれないと、健一は深く深呼吸をし、
「俺は、母さんや兄ちゃんが思っているような人間と、ちゃう!俺は、自分がしたい事をして、結果だって残してる。それに昔みたいに、誰かに頭を押さえ付けられるなんて、真っ平御免や!!」
「俺の人生は、俺のもんや!!」
初めて大声で健一に怒鳴られた奏斗は何も言えず、ただ呆気に取られていた。だが、我に返り何かを言い返そうとした所で祖父が、奏斗!とドスの効いた声で名前を呼ぶと、何も言わずにどこかへ行ってしまった。
「なぁ、じいちゃん、俺の考えは、間違ってると思う?」
奏斗との会話を黙って聞いていた祖父に、健一は落ちそうになる涙を堪え聞くも、祖父は新聞から目を離さず読むのに夢中になっていた。もしかしたら、孫の問について考え込んでいるのかも。だが生憎、健一が立っている場所からは祖父の表情は隠れて見えていなかった。
「......」
「......」
パッポー、パッポーと正午を報せる鳩時計は、長年この家の住人達のために働いてきた。健一が産まれる前から......曽祖父が健一と同い年位に買ったらしい。その為、幾らゼンマイを巻いても活気は無いが、今日も一生懸命に時間を報せている。
「健一、ワシの考えている事が分かるか?」
いつ止まってもおかしくない鳩時計が、なんとか12回鳴き完全に奥に戻れなくなっているのを見ながら祖父は新聞からやっと顔を上げた。
「......分からん」
「ワシも、あの鳩の考えが分からん」
奏斗が、じーちゃんは認知症だ!!と言っていたことは本当なのでは?と少し不安になった健一に、祖父は微笑んだ。
「ボケたと、思ってるんやろう?」
「え、ちゃ、ちゃう!!」
「この歳になったら皆、ボケたって勘違いするもんや」
昔から読み終えた新聞を1枚ずつ折り畳むのは今も健在だ。まだ完全にボケてはない!と言いながら畳み終えるのを健一は黙って待つ事にした。
「でだ、自分の考えなんて誰も分からん。分からんのに正解なんて他人が決める事じゃない」
「......でも、兄ちゃんは」
「奏斗は自分の意見を言ったまでや。健一は、兄ちゃんと同じ頭しとんか?ちゃうやろう?」
「うん」
そこまで話すと祖父は立ち上がり、仏壇の前に座った。
「おばあちゃんと結婚する時、周りに猛反対されたんや。おばあちゃんはな、昔から身体が悪くて子が産めないって、でも、ワシは子よりもこの人の笑顔を守りたい、短いかも知れへんけど、それでもこの笑顔を一生掛けて守り抜くって、親父に啖呵切ったんや」
初めて聞いた祖父母の馴れ初めにただ一言、そうやったんやとしか言えなかった。
「後悔あとに立たず、自分がしたい事を思いっ切りして、上手くいかなかったら、後悔したらええ!だから、悩んでるなら、先ずは行動あるのみや!!」
そう言い切った祖父は、愛する者を守り抜いた正しく漢の顔をしていた。
「うん、頑張るは!」
「うんうん、おばあちゃんも応援してるで、きっと」
健一は仏壇の上に飾られた祖母の写真を見て、この人ならきっとメガホンを持って、誰よりも大きな声で、けんちゃんファイト!!と声援を飛ばしてるんやろなと思うと、自然と笑えた。生前の祖母はそんな人だったから。
「よし、そうと決まれば、早う帰ったり?」
「うん!!」
「誰かが帰りを待ってるってのは、どの時代でも、どんな人でも嬉しいもんや!!」
せやね!と言いながら立ち上がる健一に祖父は、あ、そうや!と言って再び台所へと戻り、ビニール袋の中に詰め込まれた色んな大袋のお菓子を健一に渡した。
「お土産や!」
「じーちゃん、俺こんなに食べれへんで?」
あまりにも大量のお菓子を受け取るも、少し減らして欲しいとお願いしたが、
「健一だけにとちゃうで?」
「……え?」
「一緒に住んどる子と、半分こしたらええやん?」
こんぶの事は話したが、瀬戸内の事は一切話していない。それでも祖父は健一に同棲している誰かにもと、大量のお菓子を渡してきた。
「俺、同棲してるって言ったっけ?」
そう言うと祖父がニヤーと笑うのを見て、嵌められた!と内心焦る健一に祖父は、やっと言ったな?と言って更にお菓子を足そうとしていたのを止めた。
「10年以上も会ってなかったら、口調も考えも変わるが、それもまた誰かの影響を受けての事。健一、お前は今誰かの影響を受けているんじゃないか?」
「……」
「別に隠さんでも良え、ただその人に感謝さえしていればな?」
「……うん、あんなじーちゃん!!」
祖父のその言葉に背中を押された健一は、瀬戸内の事を話し始めた。責めることも無く、怒鳴り散らすことも無く、ただ幸せを噛み締めて話している孫の話にお茶を飲みながら聞いていた。




