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健一は悩んでいた。

大好物のエビの天ぷらなどに目もくれず、子猫を目の前に悩んでいた。


『けんちゃん早うせな、無くなってしまうで?』


声を掛ける祖母だったが、その声すら聞いていないなと判断したのか、しつこく声をかけるのをやめ、そのうち来るやろうと、自身の食事を開始した。


『なぁ、じーちゃん!こいつの名前、何がいいと思う?』

『せやなー』


ズイっと、目の前に差し出された子猫はご丁寧に、こんにちは!と言っているかの様に、にゃあ!とひと鳴きすると、祖父は箸で掴んだままの芋天を子猫に、食うか?と差し出そうとした所で、おじいちゃん!!と祖母に叱られた。


『けんちゃん、この子の名前を付ける人が、この子に1番信用されるって事やけど......ホンマにじーちゃんで、良いんか?』

『......』

『もし、じーちゃんが名前を付けてしまったら、何があろうともけんちゃんには懐かへんのやで?それでも良いなら、ほら、じーちゃん』

『せやな、けんちゃんがどうしてもって言うんやったら......そうやな』

『あかん!!ちゃんと決めるさかいに、待ってて!!』


祖母の言葉に焦って祖父から離れた健一は、再び悩み始めた。

その姿は微笑ましく、子猫が来るから特別な日やね!と言った孫の為に用意した、好物のエビの天ぷらは祖母の手によってラップを掛け様とした所で健一の、決まったで!という言葉で止まった。


『ばーちゃん、決まったで!!こいつの名前、決まった!!』


そう言うと、まだほんのりと温かいエビの天ぷらを手で掴み口に入れて、


『この子の名前は、てんぷら!てんぷらにする!!』

『……』


孫が決めた事に対して反対が出来ないのが、祖父母と言うのものだ。

祖母が、呆気に囚われていると祖父は、何でや?と健一に聞くと、得意気に待ってました!と言わんばかりの顔で、


『あんな、俺な天ぷらが大好物やんか?でな、特別な日には、ばーちゃんの天ぷらが食べたいねん!』

『うんうん、ほんで?』

『ばーちゃんが、今日は特別な日って思った時に、一々聞かんでも良い様に、この子を見たら分かるようにしたらええんとちゃうんかなー?と思ったん!!』

『で、てんぷらって名前なん!!』


生き生きと語る孫に祖父は嬉しそうに聞いているが、祖母はもっと良い付け方があるのでは?と思うも孫が、てんぷらーと呼びかけると、子猫はにゃーと返事をしている姿を見て、まぁ良いかと思った。



子猫改、てんぷらが家族になってからは健一の性格が大きく変わった。


『あんな、今日な!』


以前は学校で何をしていたのか、誰と遊んだのかの話など一切しなかったのが、帰宅後直ぐにてんぷらに今日の出来事を語る様になったのだ。


『何か、健一さ、変わったよな?』

『……え?』

『だってさ、てんぷらが来てからめっちゃ話す様になったやん?てんぷら限定やけど』

『そ、そんな事ない』


健一より5つ年上の兄奏斗(カナト)が自身の宿題を終えると、まだ宿題が終わっていない健一に話し掛けた。健一は急に兄に話し掛けられ、オドオドし始めた。

奏斗とは仲が悪いとかでは無い、だが、健一にとって何でも完璧に行う兄が少し苦手と言うのもあるが、1番の理由は......


『ただいまー』

『あ、おかえりなさい』

『......』


2人の部屋に入ってきた母親に奏斗は、今日返ってきたテストの答案を持って見せに行くと良い点数だったのだろう、凄いじゃん!と満面の笑顔で奏斗を褒めた。


『けんちゃんは?』

『え、うん......兄ちゃんより、良い点なんて取れないよ』

『そうやんな、兄ちゃんはやっぱり賢いは!』


そう言うと、お腹空いたーと言いながら部屋から出て行き、健一は一瞬にして強ばっていた身体から力が抜け落ちると、その場に座り込んだ。すると同時に、グシャッと紙が潰れた様な音が鳴った。


『健一、何を隠しとるん?』

『え、あ、何でもない、ホンマになんでもないねん!!』


その音に奏斗は健一が後ろ手で何かを持っている事に気が付くも、異様に焦り始める健一に、そうかと言ってそれ以上は追求しなかった。

別に弟に興味が無いわけでない。奏斗にとって、弟である健一は自分が持っていない物を持っている。しかもそれは、努力を重ね続けても手に入れることの出来ないものだと、分かっていた。

要はこの兄弟、お互いに声や態度には出さないが、尊敬し合っているのだ。だが、それを知るのはまだまだ先の話だ。


『……』

『にゃぁ』

『えへへ、言いそびれちゃった』

『うぅ』

『仕方が無いよ、ママは知らないんだもん』

『にゃおん』


先程、自分のお尻でグシャグシャになった1枚の紙を健一はゆっくりと広げ、泣きそうになるのをグッと我慢した。それでも徐々にぼやけていく文字を見て、涙を流してしまった。

気を紛らわす為に書いてある文字を、小さな声で読み上げてた。


『金賞、木下健一ど、の......』


それは、賞状だった。

図工の授業で描いた絵を健一が知らない間に、コンテストに出されていたのが、今日、金賞として返ってきたのだ。

クラスメイトからそして教師達までもが、おめでとうと健一に賞賛の声を掛け、1番はママに!と心を浮き立たせ帰宅し待っていたのにも関わらず、結局は家族の誰にも言えず、いや、てんぷらには言えたのだが、それでも幼い心はどうする事も出来ない程、傷付いていた。


『けんちゃん、ご飯に、って、どないしたん!?』


外の街灯のみで薄暗い部屋で寝転んでいた健一に、晩御飯だと伝えに来た祖母は驚くしかなかった。


『あ、ばーちゃん!』


電気を付ければ孫の顔には泣いた痕がハッキリとありもう一度、どないしたんや?と聞く祖母に心配を掛けると駄目だと思い、笑顔で何ともないで!と答えると祖母はそれ以上は聞けず、先に行ってるで?と言った。

健一は咄嗟に隠した賞状を、小さく小さく折畳み部屋のゴミ箱に、捨てた。

だが翌日の朝、その小さく折りたたまれた賞状は何故か、食卓の上に置かれていたのだ。



『けーん、ちゃーん!?』


まきと話し終えたてんぷらは、ボーッとしている木下の顔に近付き呼び掛けた。


『わっ!ビックリした!!』

『どうしたのさ、いつも以上にボーッとして?』


意識が戻ったのを確認すると、まきの近くにポンっと飛び降りたてんぷらに、あの時の賞状は君なん?と聞こうとしたが止めた。


『まぁ、今はこんぶを大切にするんだよ?』


そう言うと2匹に霧が掛かり、木下の目の前から消えた。



「けんさん!!」

「……?」

「にゃぁ!!」

「わっ!!!」


確かに瀬戸内の声が聞こえた筈が目の前には、こんぶのドアップがあり、驚くと共にソファーから落ちた木下を心配そうに見ている瀬戸内と目が合った。


「だ、大丈夫ですか!?」

「う、うん、平気」


この2人、よくソファーから落ちているがそれもその筈。

木下は職場で荒田の次に長身長の183cmもあり、瀬戸内は木下よりも身長もあり体格も良い。そんな長身の男性がゆとりを持って寝れる程このソファーは大きくない。今回も木下は上半身だけ落ちている。


「こんぶ、退けて」

「にゃー」

「大丈夫、今回は頭、ぶつけてへんから、な?」


そう言うとこんぶは素直に木下から飛び降りた。


「けんさん、こんぶが何を話しているのか、分かっているんですか?」


木下とこんぶのやり取りに驚く瀬戸内に、完全にラグの上に寝転んだ木下は、ちょいちょいと手招きをし、まるで秘密の話をするかの様に瀬戸内の耳元で、せやねん、俺猫語が分かるねん!と言うもその顔は笑いを必死に堪えようとしていた。


「ちょ、嘘を吐かないで下さい!!」

「あはは、すまんって!何となくや、何となくや」

「もー!!」


何を言ってるんだ?と自身の寝床へ行こうとしたこんぶは2人の飼い主が気になり、混ぜろ!!と瀬戸内の背中に飛び付いた。


「ちょっと、こんぶ!!」


手が届かない場所に飛び乗ったこんぶに、アタフタする瀬戸内の姿にとうとう木下は声を出して笑ってしまい、あそうや!!と何かを閃いた。


「なぁ、大輝、一緒に住まへん?」

「……はぁ!?」

「まぁ、今も一緒に住んでるようなもんやけど」


驚きはしたが確かになと思った瀬戸内に対し、木下は、嫌か?と自信なさげに聞いてきたが、そうでは無いと言う前に、賛成!と言っているかの様に瀬戸内の肩まで登ってきたこんぶが元気よく鳴いた。


「俺は、別に良いですよ?」

「ホンマに!?」

「はい!!」


瀬戸内はこんぶに負けないくらいに元気よく返事をした。


「ほな、改めて、これからもよろしくな!?」

「こちらこそ、よろしくお願いします!!」


こうして、隣の人から同居人となった2人だったが、木下にはもう1つ瀬戸内に伝えなければならない事があったそれは、


「ここ、動物飼育禁止やねん!!」


先日、管理人から注意を受けていた木下は、今後こんぶとの生活の方が大切だ!とハッキリと言い、退去する事を管理人に伝えていたのだ。


「……じゃ、引越しですか?」

「せやね、引越しやな」

「にゃぁ」


全てが唐突過ぎる木下に、瀬戸内は只々溜息しか出て来なかった、こんぶも。



だが、瀬戸内は負けなかったいや、木下の思い通りに行くものか!と思い先程、佐藤から聞いた話を持ち出した。


「そう言えば、けんさんって、職場では物静かな人なんですね?」

「……え?」

「家ではどちらが歳上なのか分からない程、はしゃいでおられますけどもー」

「い、いや、ほら、そのー」

「佐藤さんから聞いた時は、本当に驚いたんですからね?」


瀬戸内の突然の反撃に焦り始める木下に今度は瀬戸内が笑いを耐える番だ。


「もうさ、言いたかったんですよ?けんさんは、全く物静かな人じゃないって」

「え、言ったん?」

「え、言った方が良かったですか?」


少しづつ距離を詰めてくる瀬戸内に、後退りをする木下は、佐藤が言っていた物静かな人とはほど遠い姿をしていた。そして、未だに瀬戸内の肩にぶら下がっているこんぶもまた、木下の方へ顔を近付けていた。


「ご、ごめんやって!」

「何が、ですが?」

「そ、そのー、引越しの件、言うのが、遅なって......」

「本当に思ってます?」


完全に下を向いてしまった木下の顔を覗くようにして聞く瀬戸内に、堪忍してやと弱々しく言う木下にペチ!とこんぶが瀬戸内の顔を叩いた。


「え、何!?」

「うぅ!!」

「え、怒ってるの?」

「にゃぁ!!」


肩から飛び降り瀬戸内に向かって尻尾を真っ直ぐ立て、威嚇し始めたこんぶに、木下が気が付き小さな身体を持ち上げた。


「こんぶは俺が大輝に虐められてるんやと思ってるみたいやで?」

「いやいや、虐めてないし!!」

「うぅぅ!!」


大丈夫やで、落ち着き?と木下は自身の胸に抱くと、本当に?と鳴くこんぶに、優しく微笑みながらゆっくりと頭を上下に振った。

その後、少しの間だが触ろうとする瀬戸内に、嫌と態度で示すこんぶに木下は笑ったが、


「ほら、こんぶ?いい加減に、大輝を許してやり?」

「……」

「こんぶー!」


片手に猫用のおやつを持って、本気で泣きそうになっている瀬戸内に、そろそろヤバいかも?と思っているのか木下の膝から降り様子を伺う様に、チラチラと瀬戸内の顔を見ながら前足をそっと乗せ、すまなんだと言っているかの様にひと鳴きすると、その姿に嬉しくなった瀬戸内は抱き上げようとするも、瞬時に木下の元へ戻ってしまいこれには、木下は苦笑いしか出なかった。



翌朝、昨日の事もあり今日1日大丈夫かな?と心配をしている木下は、


「うん、これなら大丈夫か」


昨夜、珍しくゲージに入るのを嫌がったこんぶは、寝る前は木下の顔の横に居たが朝起きると、


「ホンマに、お前はその格好、好きやなー」


横向きに寝ている瀬戸内の顎の下に、自身の顔を突っ込む様にして寝ていた。そんなこんぶの姿を見て、木下は安心した。

そして、そんな2人の寝姿を写真に収め、いつものうつ伏せ状態のこんぶを仰向けして、静かに木下は出社した。

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