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コーヒー紅茶戦争

作者: よーぐると

ブックフェア2023宣伝隊長特別キャンペーン『相棒(バディ)とつむぐ物語』コンテスト参加作品となります。

 扉を開けるとカランとかわいい音が鳴り、冷えた空気が肌を撫でた。


「すずしー。生き返るー」


 一緒に入ってきた栞が開口一番そう言った。口にこそ出さなかったけれど、私も同じ気持ちだった。この炎天下では、五分歩いただけで生きる気力がどろどろに溶けてしまう。きっと私たちの前世はアイスクリームに違いない。


「オシャレなお店だね」


 レトロ、という程でもないけれど、なんとなく照明は控えめで、綺麗な木目の机や椅子もそれっぽい。ただ残念ながら客は大半が私たちと同じ制服で、それはつまりお店の雰囲気よりも甘いお菓子とお喋りが好きな集団だということだ。学校の近くに新しいカフェができたと聞いてやって来たわけだけど、どうやら考えることはみんな同じらしい。そしてこれから私たちも例外なくその末席に加わることになる。店主は立地を間違えたと嘆いてはいないだろうか……。


 店員に案内されたのは道路に面した側の席だった。大きな窓から外がよく見え、きっと外からも私たちが丸見えになっているに違いなかった。一方的にこちらを見られるのは癪なので、道行く人を手当たり次第に一瞥してやる。スーツを着たサラリーマン、よたよた歩くおばあちゃん、同じクラスの男子グループ、猫。そしてその誰もがこちらを全く見ないので、なんだか申し訳なくなってきてしまった。


「おーい、どしたの? 外になんかあった?」

「いや、なんか世の中いろんな人がいるなーって」

「人間観察ってやつ? やめてよね。流行らないからさ、そういうの」

「そんなんじゃないって」

「外よりメニューを見なよ、ほら」


 栞はそう言ってメニューを差し出してきた。画用紙に丸っこい手書き文字を並べてラミネートされた、可愛らしくも手作り感満載のメニューだった。


「ねえ、琴美はコーヒーと紅茶のどっちが好き?」

「んー紅茶かな。コーヒーは苦くてムリ。おいしさが分かんない。栞は?」

「私はコーヒー派。なんか紅茶って独特の甘味と渋味でちょっと苦手」

「独特さで言ったらコーヒーの味の方が上な気がするけどなあ」

「これはアレだね、コーヒー紅茶戦争勃発ってやつだ」


 その組んだ腕はもしかして軍人の真似だろうか。なんだかちょっと偉そうな口ぶりだし、きっとそうだ。


「何その、きのこたけのこ戦争みたいな」

「意味合い的にはまさにそれ。そのうち日本いや世界を巻き込む大戦に発展しようとは、まだ誰も知る由もないのであった……」

「勝手に起こされたよく分からない戦争に巻き込まれる世界もいい迷惑だわ」

「戦争とはえてして些細なきっかけから始まる。CTWもしかり」

「CTW?」

「Coffee Tea War」


 唇を必要以上に突き出してコーヒーの発音を強調する栞に思わず吹き出してしまう。


「ふふっ、何それ。あと紅茶はブラックティーね。CBTW」

「えー三文字略称がトレンドなのに~……っていうかレッドティーじゃないの!? "紅"茶なのに!?」

「世の中そんなに甘くないってこと」

「意味分かんないよ~」


 栞がうなだれている間にもう一度メニューに目を通す。


「よし、決めた! 栞は?」

「もち、もう決まってる」


 そう言うや否や栞はすぐに店員を呼んで注文を始める。どうやら待たせてしまっていたようだった。


「キャラメルナッツパフェと……あとはココアをお願いします」


 えっ、と思わず声に出してしまう。店員の怪訝な顔が少し気まずい。一方栞はしてやったりという顔だ。


「私、実はココア派なのよね」


 さらっと言われたその言葉に力が抜ける。まったく、今までの議論は何だったのか。それならそうと早くと言って欲しかった。


「すみません、同じのをもうひとつ」


 実は私も、と小さく舌を出してみせる。大戦の回避を喜ぶべきだろう。おそらく世界で一番平和な戦争は、これにて幕を閉じたのだった。ちゃんちゃん。


 ――とは残念ながらいかなかったのだけど。



   *


 店内はそこそこ賑わっているにもかかわらず、頼んだパフェとココアはすぐに届いた。チョコレートの甘い香りが私たちの周りを包む。それだけでなんとなく心が弾んでくるんだから不思議だなと思う。私が頼んだフルーツパフェはイチゴやバナナやキウイなど実に様々な果物が高く盛られていて、もはやこれは芸術と言ってもいいのではないだろうか。写真をあまり撮る方ではない私も思わずスマホに手が伸びてしまった。


「ココア同盟だね」


 ホイップクリームのひげを貯えた栞が何故か得意げにそう言った。


「同盟なんて組んで何するの」

「そりゃもちろん、戦争回避のために暗躍するのさ。――クラスもなんだか大戦前夜って感じしない?」

「……あー、そうね」


 そういえば今日ここに来ようと誘ったのは栞からだった。おそらく、これが今日の本題なのだろう。


 栞の言いたいことはすぐに分かった。あの二人のことだ。学校という場所がそうさせるのか、それとも人間の性なのか、クラスには自然と複数のグループが形成される。小学校でも中学校でもそうだったけれど、高校もまた例外ではなかった。そして今、私たちのクラスの女子は大きく二つのグループに分かれている。そのグループのリーダー格が一条真帆と和泉愛理だ。


 一条さんは少し気が強いところがあるが明るくよく喋るタイプの女子で、いかにもグループのリーダーをやりそうな性格をしている。陸上部に所属しており、一年生ながら期待株として注目されているらしい。そんな彼女だが、同じクラスの南部君に恋をしているというのは今や公然の秘密である。というのも、告白こそしてないものの傍から見ていても察せられるくらいには露骨にアプローチを仕掛けているのである。わざとやっているのか無意識なのかは分からない。


 その恋路に立ちはだからんとするのが和泉さんだ。彼女もまた南部君に思いを寄せているとされている。人となりは一条さんとは全く別系統。普段は物静かであまり人を束ねるようには見えないが、一本芯の通った性格とその凛とした佇まいで男女問わず人気が高い。どちらかというと周囲が持ち上げて派閥形成に至ったタイプ。成績も優秀で、この前の期末テストでは学年一位だったとか。


 一条さんと違って彼女が南部君に接近するようなそぶりは全然ない。何なら話しているところさえほとんど見たことがない。しかしながら事あるごとに南部君に言い寄る一条さんに対して、執拗と言っていいほど突っかかっていくのである。曰く、迷惑をかけるなと。普段の理知的な彼女はそこにはなく、彼女もまた彼を狙っているのだと噂されるようになった。


 かくして一条派閥と和泉派閥には大きな溝ができることになる。言ってしまえばただの色恋沙汰だ。本来なら個人間の問題のはずだが、リーダー同士の対立がグループ間対立にまで発展しつつある。全くもっていい迷惑だけれども、そもそもここまでことが大きくなくともグループ間に多少の隔たりがあるのは当たり前の話だ。隔たりがあるからグループが形成されるとも言える。無視してグループ内だけで仲良くやっていくことだってできる。


 ただ一つ困ったことがあるとすれば、私と栞が別のグループに属しているということだろう。出身中学が同じという理由で早い時期から自然と私は一条派に、栞は和泉派に組み込まれることとなった。その後に私と栞は仲良くなり、よくつるみ付き合うようになったが、ここにきてこの対立である。今やなんとなくグループを超えて仲良くしにくい雰囲気になりつつある。悪いことをしているわけではないのだけれど、周囲の目というのは存外に気になるものだ。特に私たちのような平和を愛する人間にとっては。今はまだ多少渋い顔されるくらいだが、これから先どうなるかは分からない。


「確かに、このままだと気軽にお茶も飲めなくなりそうではある」

「そうそう、だからここはひとつ、我らココア同盟でコーヒー紅茶戦争の激化を未然に防ごうではないか」


 大仰な言い回しをしてココアのカップを前に掲げる栞。失笑しつつも私も倣ってカップを前に差し出す。二つのカップが触れ合い、カチンと小さく音が響いた。


「しょうがないなあ。……ちなみに、どっちがコーヒーでどっちが紅茶?」

「んー、真帆がコーヒー飲んでるイメージが湧かないから、真帆がコーヒーで愛理が紅茶」


 なんとも適当だ。まあしかし、実際それくらいくだらない戦争ではあるか。


「じゃ、まず何から始める?」

「とりあえず情報を整理しないと。一条さんは見たまんまだからいいとして……、栞、和泉さんにちょっと話聞いてみてもらっていい?」

「オッケー。けど琴美が直接聞かなくていいの?」

「あんまり交流ない私からいきなり聞きに行っても不自然でしょ」

「へーい。で、聞き出したい情報とやらは?」

「三つ。南部君のことが本当に好きなのか、一条さんのことをどう思っているのか、南部君が一条さんと付き合うことになったらどうするのか」

「今更南部が好きかなんて疑うの? 見てる感じ明らかだと思うけど」

「少なくとも私は和泉さんから彼に何かアプローチしてるところを見たことがない」

「まあ確かに。了解、話聞いてみるわ」

「あとはどう着地させるかよね。正直南部君がどっちかとくっついて逆にグループ間で溝が深くなったりするのが怖いなあ。南部君がどっちとも興味なくて付き合わないって展開になるのがいいよね。もしくは二人の方が交際を諦めるか」


 結局のところ彼の気持ち次第ではあるのだ。人の気持ちを簡単に変えられるわけがない。ましてや恋愛感情なんて理屈じゃないのだから。どちらに転んでもいいように展開を想定して準備しておかなければならない。


「うへえ、それは難易度高そー」


 理解してるのかしていないのか、面倒そうに顔を歪める栞をしり目にパフェを頬張る。口の中で潰れたイチゴは少し酸っぱくて、甘い生クリームがそれを包んだ。



   *


 ドアを開けた瞬間、こもった熱気の圧力が身体を押し返した。空気にも質量があることを思い知らされる。外は直射日光が肌を刺す辛さがあるけれど、中は中で蒸し暑さによる不快感が耐え難い。


 クーラーのスイッチを入れる。冷たい風が吹いて部屋の空気を攪拌させる。大して広くない自室はすぐに涼しくなるだろう。クーラーは偉大だ。世間は節電だの環境がどうだの騒がしいけれど、どう考えたって暑さを我慢する理由になんてならない。見ず知らずの人間よりも自分の幸せを優先する私はワガママな人間なのかもしれない。それが悪いとは私にはどうしても思えないけれど。


 部屋着に着替えてベッドに腰掛けつつスマホを開くと、LINEの通知が来ていることに気付く。栞からだ。昨日同盟を組んだばかりだというのにもう報告を送ってきたようだった。仕事が早い。


『愛理から話聞いてきたよー』

『まず一つ目、南部のことが好きかどうかだけど、これはなんかはぐらかされた』

『普通に肯定してくると思ってたからなんかびっくり』

『二つ目、真帆についてはやっぱり良く思ってないみたい。南部君も迷惑してるからって言ってた。目に余るから口出してるだけだって』

『三つ目、南部が真帆と付き合ったらだけど、そんなことはありえないって一蹴された。結構断定的で自信ありげだったよ。だったら真帆にちょっかい出さなくてもいいのにって思ったけど』

『報告以上!』


 栞には意外だったっぽいけれど、南部君への好意を肯定されない可能性は実は結構あると思っていた。二つ目もさもありなん。一番意外だったのは三つ目だ。特に自信ありげというのが引っかかる。和泉さんはありえないと断言できるほどの何かを知っているのだろうか。


『ありがとう。めっちゃ助かる』

『次はやっぱり南部君の方にも話聞きたいな』

『一人になりそうなタイミングとか分からないかな?』


『放課後よく進路指導室で勉強してるらしいからそこ狙えばいけるかも』


 返信はすぐに来た。しかも打てば響くような回答で少し感動してしまう。もしかしたら聞かれることを見越して事前に調べてくれていたのかもしれない。普段は適当そうにしているが案外気が利く子なのだ。


『なるほど。こっちは私が直接話聞いてみる』

『情報感謝。愛してるぜ相棒』


『私も愛してるぜー』



   *


 進路指導室には誰かしら教員が常駐しており、その名の通り進路指導を受けられる場所である。しかし実際のところは自習スペースとして活用されるのが主な用途だ。我が高校の進路指導室は進学校の面目を保つべくそれなりの広さがあり、共通テストの過去問や赤本が大量に置かれているらしい。当然ながら私は利用したことがない。というか一年生で行ったことある人なんてそれこそ南部君くらいではないだろうか。和泉さんならあるいは利用したことがあるのかもしれない。


 南部君は授業が終わるとそそくさと荷物をまとめて教室を出て行った。気付かれないように後を付けると、栞の言った通り進路指導室に向かっているようだった。部屋に入っていくところを確認してから、少し時間をおいて私も足を踏み入れる。


 紙と鉛筆の匂いとともにいくつかの視線を浴びる。放課後すぐの時間だというのにもう席の半分以上は埋まっていた。南部君は教室の中央付近の席に座り、プリントを広げて早くも何やらシャーペンを滑らせている。こちらには気付いていないようだったので、斜め後方少し離れた席を確保し私も筆記用具と今日の宿題を鞄から取り出す。流石にここで話は出来そうにないので、南部君の勉強が終わるまで私も時間を潰すことにする。


 時計の音、冷房の音、紙の擦れる音、鉛筆が机を叩く音、たまに誰かの咳払い。大学受験なんてまだ先のはずなのに、若干ピリついた雰囲気を感じなくもない。隣の席の人なんてなんだかちょっと目が怖い。うわあ受験生だ、と馬鹿みたいな感想が浮かんでしまった。


 宿題を早々に片付けてしまうと、手持ちぶさたになってしまった。仕方がないので部屋に置いてある赤本を適当に持ってきて解いてみるが、正直全然分からなかった。習ってないから分からないのか、問題が難しくて分からないのかすら分からない。そもそも志望大学どころか学部すら決まっていないし、何なら理系か文系かすら決めかねているというのに、何をやっているんだか。南部君の様子も気にしないといけないので集中できるわけもない。


 結局18時になるまで南部君は席を立たなかった。完全下校を知らせるチャイムが鳴ると、南部君はさっと荷物を片付け進路指導室から出て行った。すぐに後を追い、声をかける。


「南部君」


 振り返った彼は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに柔和な笑みへと切り替わった。


「橘さん、いたんだね。気付かなかったよ」


 向かい合って対峙すると、改めて男子との体格の差を意識する。男子の中ではそこまで大きい方ではないはずなのにしっかりと存在感があって一瞬たじろいでしまったけれど、しかしどこか柔らかい雰囲気で圧迫感はあまり感じなかった。このあたりがあの二人を惹きつける理由なのだろうか。


「南部君っていつも勉強してから帰ってるの?」

「うん、予備校ない日は。俺、東大志望だし」

「ひえーそうなんだ。南部君がそんなに頭が良いなんて知らなかったよ」

「いや、そんな大したことないよ。かなり高望み。ただちょっと頑張ってみようかなって」

「青春だねー、勉強も恋も順調そうじゃん」

「勉強はともかく、恋はどうかなあ……」


 少し遠い目をするその表情からは本当にそう思ってるのかとぼけているのか判断できなかった。もう一押ししてみる。


「噂になってるよ、一条さんとのこと」


 一条さんの名前を出すと、今度は明らかに渋い顔に変わった。それだけで一条さんには残念だけどあまり脈はなさそうだということが分かった。


「……ああ、まあ、好いてくれてるってのは分かるよ」

「付き合わないの?」

「別に告られたわけじゃないよ。けどそうだね、あんまりそういうのは考えてないかな。今は勉強の方が大事だし」

「じゃあ和泉さんの方も興味なし?」

「……なんで和泉さんが出てくるのさ」

「一条さんと和泉さんが南部君を取り合ってるってのは有名な話だよ。そのせいで二人のグループ間が気不味い雰囲気になってる。正直さっさと南部君には結論出してもらって、問題を収めたいんだよね」

「そんな勝手な――」

「和泉さんはさ、一条さんと南部君が付き合うなんてありえないって言ってたんだよね。実際付き合う気ないみたいだし。和泉さんと絡んでるところはあんまり見たことないけど、実は仲良かったりする?」

「そんなことを……いや、たまたまじゃないかな」

「そうかなあ」

「一条さんには機会見て伝えとくよ。これでいいか?」

「うーん、それなんだけどさ、ただ一条さんを振るだけだとちょっと弱いんだよね。ないとは思うけど、振られたショックで怒りの矛先が和泉さんの方に行っちゃうと、今まで以上に対立が酷くなっちゃうし。その気がないなら和泉さんの方もしっかり振っといてほしいんだけど」

「……そんなこと、俺の知ったことじゃない」

「ま、そりゃそうか」

「もういいか? 悪いけど女子のいざこざはそっちで何とかしてくれ」


 話は終わったと背を向けて歩き出す南部君に、これ以上交渉の余地はなさそうだった。これで終わってもいいけれど、一条さんだけ振られるというのは目標の最低ラインか。若干賭けにはなるけれど、もうちょっと踏み込んでみるのもアリかもしれない。


「ねえ、最後に聞いていい? 南部君ってもしかして――」



   *


 聞きたいことがあるんだけど、と一条さんに言われて屋上に続く階段まで連れてこられた時には、なんだかドラマのワンシーンみたいだと他人事のような気分だった。


 放課後、生徒の喧騒から少し離れた薄暗い階段で私と一条さんは向かい合っていた。女子トイレじゃなかったのは幸いだったか。群れずに一人で相対してくるところは彼女らしい。単純とも言えるし正々堂々としているとも言えるけれど、その真っすぐさのせいか一条さんのことは案外嫌いじゃなかったりする。ただ、一条さんの方が普段私をどう見ていたのかは分からないけれど、少なくとも今はお怒りのようだ。


「で、私を差し置いて南部君に告白したっていうのは本当なの?」


 あの日、南部君と話していた場面がいつの間にか彼に告白したという話になっているらしい。いやあ、あの時間のあの場所なら他に知り合いなんていないと思っていたのに、一体誰に見られていたのやら。しかもこんなに尾ひれがつくなんて、全く不思議なこともあるものだ。実際そんな事実はないので、しっかりと否定しておく。


「してないしてない。勘違いだよ」

「本当だろうね」


 大きな目がギロリと動く。スタイルの良い彼女が凄むと、なるほど結構な迫力である。しかしどれだけ問い詰められたところでしてないものはしてないのだ。それにこちらには私の主張を支持する強力な証言者がいる。


「橘さんが言ってるのは嘘じゃないよ」

「南部君!?」

「ごめん、橘さんが連れて行かれるの見て、もしかしてと思って」


 突如現れたのは南部君その人だった。まさかの登場に一条さんは完全に固まってしまったようだった。こんな会話をしているところを当の本人に聞かれたとあっては無理もない。実質的に告白してしまったようなものなのだ。


「あの日は本当にたまたま橘さんと出会って、ちょっと世間話をしてただけなんだ。だから、一条さんの思ってるようなことは何もないよ」

「そ、そう、それなら、いいんだけど……」

「あとせっかくの機会だからもうはっきりさせておこうと思う。勘違いだったら恥ずかしいんだけど、一条さんって俺のこと好きだよね? だけどごめん、申し訳ないけど一条さんの気持ちには応えられない。こんな形になって悪いけど」

「……っ、そんな……いや……うん、なんとなく分かってたから……。一応、理由を聞いていい?」


 少しの間訪れる沈黙。躊躇った様子を見せた南部君だったが、意を決したように口を開いた。


「実は俺、ゲイなんだ」

「……え?」

「だから一条さんが何か悪いとかそういうことじゃないんだ。本当にごめん」

「いや……そんな……え?」

「まあこれからも今まで通り接してくれると助かる。あと俺がゲイだってことは内緒にしておいてくれないかな?」

「も、もちろん。私の方こそ、そんなこと知らずに、ごめんなさい」


 衝撃のカミングアウトに一条さんはどうやら感情の拠り所をなくしているようだった。結果的には振られたショックも和らいでいるのではないだろうか。酷いショック療法ではあるけれど。もはや私のことも完全に意識の外みたいだった。

 

 結局その後多少落ち着いた一条さんは、私にも勘違いを謝罪して帰っていった。残された私と南部君は一条さんが完全に見えなくなると二人大きな溜息を吐いた。南部君はやり切ったという安心感と本当にやってしまったという後悔の入り混じった複雑な表情を浮かべている。


「迫真の演技だったよ。役者でもやってけるんじゃない?」


 そう声をかけると、南部君はさらにうなだれたように息を吐いた。


「これで良かったんだよな。変な噂とか流れないかな……」

「そこは安心していいと思う。一条さんはちょっと不器用なところあるけど、他人のデリケートな部分を言いふらすほど性格悪い人じゃないよ」

「そう願うよ。……しかしまさか、俺と愛理が付き合ってるのがバレるなんてなあ……。おまけにゲイだなんて嘘吐くはめになるし」


 南部君と和泉さんは実は付き合っていた。それを周囲には隠していたのだ。和泉さんが一条さんにやたら突っかかるのは、つまるところ嫉妬だったというわけである。一条さんとの交際の可能性を否定したのは、自分と付き合っているんだからありえないという意味だった。一条さんには少しかわいそうなことをしたと心が痛むけれど、南部君にその気がないことは確かなので遅かれ早かれ結果は変わらないと自分に言い訳をする。


 恨めしげに向けられた視線は悪びれるそぶりを見せずに受け流した。


「一条さんは振られる。和泉さんにも脈がないと一条さんには思わせられるから、和泉さんに対する悪感情も生まれない。南部君への露骨な媚は減るだろうから、和泉さんが腹を立てることもなくなるし、グループの対立も収束していくと思う。協力してくれたのは本当に感謝してるよ。あとはまあ、バレないように気を付けて」

「実質選択肢なかったけどね。橘さんにはバレたからなあ……不安になってきた。より一層気を引き締めることにするよ。愛理ともちゃんと話さなきゃ」


 そう言って南部君もこの場を去っていった。今後のことをきちんと考えているあたり彼もなかなか強かそうだ。そうでないと困るけれど。入れ替わるように今度は栞が顔を出した。


「上手くいったみたいだね」

「なんとかね」

「けどよく分かったね。あの二人が付き合ってるなんて」

「証拠があるわけでもなかったし、ほぼ推測だったけどね。和泉さんが交際はありえないって言ったのがずっと引っかかってたんだ。南部君の方も一条さんに関してはすぐにその気ないって返したのに、和泉さんのことははぐらかしてるような感じだったから、もしかしてと思って」

「流石! 何はともあれ琴美のおかげでコーヒー紅茶戦争も終結しそうだね」

「そんなことないよ、私も栞の情報がなかったらここまで辿り着けなかったと思う」


 私が告白したという話を一条さんの耳に入るように仕向けたのも栞だし。そもそもこのままでは栞と話しづらくなるからこそ知恵を絞ったのだ。そういう意味ではむしろ解決したのは栞のおかげとさえ言える。


「そういえば聞きそびれてたけど、なんで付き合ってるの隠してるんだろうね」


 初めからオープンにしていればこんなことにもならなかっただろうに。いつまで隠すつもりだろうか。そもそもどういった理由で? ついつい気になってしまうけれど、しかし栞はそこにはあまり興味がないようだった。


「琴美、詮索は良くないよ。事情なんて人それぞれなんだから。それに――」


 栞の手が伸びてきて指と指が絡まる。その柔らかな感触と体温に少しドキッとしてしまう。


「私たちも、付き合ってること隠してるしね」


 悪戯っぽく微笑む栞に釣られて、私も笑みを零した。それもそうか、と悪癖を反省。ここでようやく完全に緊張が解れたと自覚できた。そんな私を見て栞も満足したようだった。


「ねえ、これからまたあの喫茶店に行かない? ココア同盟完全勝利の祝杯を上げよう」

「いいね、行こう」


 本当はまだ考えないといけないことはいっぱいある。世の中は不確定要素の塊で、そうそう思い通りにいかないことを私は知っている。だからこそ私たちの平穏を守るために策を講じなければならない。今回は何とかなったとはいえ対応が後手に回ってしまった。本来なら問題が表出する前の段階で対処すべきだった。戦争は起こる前に止めるのが一番良いのだ。


 だけど今はただ目の前の終戦を喜ぼうと思う。


 この頼れる相棒(バディ)であり愛する相棒(パートナー)とともに。


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