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ホワイトハニーの未来へ  作者: 綾沢 深乃
「第2章 有効に使ってほしい」
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「第2章 有効に使ってほしい」(2-1)

(2-1)


 医者が言うのは発見が遅かったのが原因らしい。その事を言われた時、大樹は最初、母が自分を責めないかと不安になったが、母は静かに話を聞いていた。涙は止まり、完全ではないにしろ、いつもの母の顔に戻りかけている。


 母が何種類かの書類を書き終えた。事務作業を終えると、看護婦さんが良ければ泊まっていくかと提案してきたが、母が帰ると言ったのでタクシーを呼んでもらった。二人を乗せたタクシーが病院を出て自宅に戻る際、ずっと大樹は黙っていた。交差点に差しかかかった時、ようやく口を開いた。


「俺、今日はこのまま実家帰るよ。明日、一度マンションに戻って、着替えとか済ませる。土日だから会社には月曜の朝に連絡するよ。忌引きで何日かは休めるはずだから」


「ありがとう」


「いいって。母さんも一人で大変だったと思うけど」


「大丈夫。お医者さんが言うには、本人に痛みがあったのは一瞬で、後は自覚がないって。そう考えると、重い病気が何年も続くよりは良かったのかもね」


 まだ真っ暗な空を見ながら、母がボソッと呟く。


「ああ」


 上手く返せずに大樹は、曖昧な返事をした。母もそれ以上、何かを言う事はせず、タクシーの指示器の規則正しい音だけが、車内に響いた。


 久しぶりの実家に帰り、自分の部屋に入って電気を点ける。大学生時代から止まった部屋。今ではマンションの部屋の方が落ち着く。大樹はビジネスリュックを下ろすと、スーツのままベッドへと飛び込んだ。


「ふぅ〜」


 住んでいる時は気付かなかった部屋のベッドの匂いが懐かしい。仕事の疲れはこの数時間で麻痺していたが、ちゃんと体に蓄積されていた。ベッドで横になるとそれを実感する。


 寝支度を整えないと思いつつ、大樹の体はベッドの奥底へと、どこまでも沈んでいき、意識が完全に薄れていった。


 翌朝、目が覚めてリビングに行くと、そこはいつもの我が家だった。母はいつものように台所で朝食を作っている。


「おはよう」


 大樹が声を掛けると母が自然な動作で振り返る。


「おはよう。何? あんた、昨日スーツで寝たの? 上着は脱いでたみたいだけど、ズボンどうするのよ?」


「大丈夫、これ洗濯出来るヤツだから」


 ズボンをいつも洗っておきたいと、洗濯可能な物を購入していた。その事を母に話すと「今は便利な時代になったのねぇ」と感心した様子だった。


 デロンギの全自動コーヒーメーカーに豆と水を入れて、起動スイッチを押す。これも学生の頃から当たり前のように我が家に存在する。ある日、父が美味しいコーヒーが飲みたいと言い出して、買ってきたのだ。


 値段を聞いて怒っていた母だったが、味に慣れてしまうと、次第に新しいコーヒー豆を求めてコーヒーショップに買いに行くようになった。そのコーヒーメーカーで大樹はマグカップに溜まっていくコーヒーを眺める。


 当たり前だが、この家のあちこちに父の面影がある。


 家を出て行ってから四年と少し。それだけ離れた大樹でもあちこちから父の残滓を感じる。この家でこれから母は一人で暮らさなければならない。


 大丈夫なのだろうか。出来上がったコーヒーをリビングに持っていき、口を付けて母の後ろ姿を眺めながらそう思った。


「はい、ご飯」


 母がトレイにとろけるチーズが乗った焼いた食パン二枚とサラダを乗せて持って来た。先週の土曜日だとまず出てこない朝食。その感想が顔から漏れていたのか、母が目を細めた。


「アンタ普段、朝ごはんとか食べてる?」


「食べたり、食べなかったり」


 食べなかったりが割合的には多いのだが、自然と口から嘘が出た。大樹がそう答えると、母は「はぁ〜」とわざとらしくため息を吐く。


「ったく、朝ごはんは毎日食べなさいっていつも言ってるでしょう」


「今度から気を付ける」


「なら、良し」


 朝食を食べているかの話なんて、どうでもいい事くらい大樹にも分かっていた。話すべきなのは父の事。だけどやはり、いきなりは口に出せない。


 大樹が言葉にするタイミングを伺っていると、母がテレビを点けた。土曜だけやっているニュース番組では、一週間の簡単な時事ニュースのまとめから始まる。いつも家では土曜日にこれを観ていた。


 やがてブックランキングが始まった。話題の本のランキングが流れて特集では小説家がインタビューされる。普段は、そこまで熱心に観ていないコーナー。


 無言が漂うリビングで母がボソリと口にした。


「お父さん。このコーナー好きだったな」


「本が好きだからね」


 父のイメージはよく小説を読む人。電車移動の時は携帯ではなく必ず文庫本を開いていたし、部屋には大量の本がある。大樹も小説を全く読まないとは言わないが、あそこまでではない。文字列ばかり追うよりも漫画の方に手が伸びてしまう。


「今日って通夜するんでしょ?」


 父の名前が出た事で自然と大樹は母にそう聞く事が出来た。彼の質問に母はこちらを見ずに答える。


「ええ。それまでにやらないといけない事が沢山あるわ」


「手伝える事はするよ」


「ありがと。じゃあ朝ご飯を食べ終えたら色々頼むから。さぁー、これから大変だ」


「了解」


 父の死以降、止まってしまわないかと心配していたが、いつもの大樹の知っている母だった。


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