22 疑念の芽吹き
わずかの間にらみ合っていたが、唐突に禍々しい程の気配が霧散する。
「……あれ? ウォーレナきゅん?」
首をかしげて尋ねる彼女の無垢さに、まさに毒気を抜かれるというのか。「ええ、まあ」などと返事しそうになった。気を抜いたところでいきなり抱き着かれる。
「わぁ~。ウォーレナきゅんだぁ。ふんふん、やっぱいい男はいい匂いするよね~。ていうか手加減していたとはいえアタシの一撃を防げるなんてキミほんと人間? うん、やっぱいいわ。持って帰りたいっ、っていうかいいよね!? うん、一緒帰ろ!?」
「は? れ、レティシア様?」
シルヴェーヌが間抜けな声を上げる。
「やっほ~、シルヴィちゃ~ん、遊びに来たよ~? ……で、さ。何やってんの?」
「……この状況を見て、わかりませんか? レティシア様」
「ん~、遊んでるようには、見えないね? ベリータちゃんなんか気絶してるし。あっは、笑える~」
「笑い事ではありませんわっ」
「さっさと主から離れんか、このバカちんがっ」
クロエが突っ込みにしてはやたらに鋭いチョップを放つが、レティシアは涼しい顔をしてひょいと躱す。
「んあ。てか居たんだクロエちゃん? ねぇねぇ、ウォーレナきゅん貰ってっていい?」
レティシアがひらひらと手を振る。いや絶対ハナから存在に気付いていたよなぁ?
「貰ってっていい? って……貴様はあれか? バカか?」
「あの、ウォーレナ、って……まさか」
シルヴェーヌが何かに気付いてしまったようだ。人間、知らない方がいいことが多いと思うんだが。好奇心は時に人を殺す。
「ん? ウォーレナ……えっと、名前なんだっけ? ウォーレナきゅん?」
「ウォーレナ・グレンヴィル……何の因果か、この国の国王やってる」
突然のレティシアの登場で場の空気が変わった。彼女の出方を窺っている間に、シルヴェーヌたちは彼女の背後に引っ込んでしまった。これでは手が出せない。このまま膠着するかと思ったが、皇女様はこの状況から再度頑張るらしい。なんとも健気だね。
「さ、簒奪王……なぜ、ここに」
「いや、それはアンタらがよくわかっているだろう? よからぬことを企んでる誰かさんが居るって聞いたんで、わざわざ出張ってきたまで」
「ホント大変だねウォーレナきゅんも。ねぇ、よからぬことって何?」
「レティシア様! 何を悠長な! 我が帝国の守護竜であらせられるのでしたら、今のこの状況をどうにかしてくださいまし!」
ずいぶん勝手な言いぐさだなあ。侵略してきて都合が悪くなったら守護竜頼みかよ……。
「ええ? そんなこと言ってもさあ。アタシ、ウォーレナきゅん気に入ってるし。それに盟約破るわけにもいかないし。……怒ったら怖いんだよ、あの神様」
「で、ではせめて、あちらの守護竜を抑えることはお出来になるでしょう!?」
クロエを指さしながら言い募るシルヴェーヌ殿下。なんだか滑稽にさえ見える。
「うーん、まぁそれならいいか。……この間の借りも返したいしね」
あごに手を添え少し思案した様子のレティシアだったが、クロエをちらと見るとニヤリと笑った。
「なんじゃレティシア。また泣かされたいのか? 次は無いと申したはずじゃがな」
貫禄たっぷりに挑発するクロエに対し、レティシアはわかりやすく怒りだす。
「ふーん、次は負けないもんだ! いくよ、お前たち!」
そしてまた二人はいつぞやのように飛び去って行く。ただ今回は前と違い、レティシアにも取り巻きの翼竜がついているようだった。その様子を見て取ったエルザたちも相手の翼竜を抑えるべく参戦する。
竜族同士の戦いが再び始まった。少し離れた場所で殴り合いやら魔法の打ち合いやら、口から正体不明な何かを吹き出すやら。なんともバラエティーに富んだ戦いが繰り広げられている。
しかし前回もそう感じたのだが、とても本気でやっているようには見えないんだよなあ。見せるための戦いというか。もしかすると単にじゃれあっているだけなんだろうかと感じてしまうのは、俺の感覚が麻痺しているだけなんだろうか。
「今のうちに愚王のほうを何とか……ってちょっと? レティシア様!? こっちに来ないでくださいまし!?」
戦場がこちらに近づいてきた。竜族の卓越した運動性能と無尽蔵に近い魔力により、飛びながら魔法を打ち合う空中戦になっている。地上の建物に流れ弾が次々と着弾する。
逃げ惑う兵士たち。突然襲ってくる魔法やら建材などを気にしていたら、とても戦闘どころではないはずだ。
そして予想通りというか。とうとうシルヴェーヌの至近に翼竜の一体が放った魔法が着弾する。
「きゃ――っ!!」
激しい破壊音と衝撃とともに床がはじけ飛ぶ。とっさに強化やエリーが魔盾を張って防げはしたものの、吹き飛ぶ身体をコントロールできるはずもなく、シルヴェーヌの華奢な体は風に翻弄される木の葉のように舞う。
どんくさい姫様だ! 駆け寄って壁を蹴り、瓦礫を足場に飛び上がって何とかシルヴェーヌの身体を抱き寄せる。
「ど、どどどどこ触ってらっしゃるの!?」
「ちょ、暴れんな! 死にたいのか」
きゃあきゃあ騒ぐシルヴェーヌを何とか抱きしめ、抑えつける。途中柔らかいところやらお尻やら触ってしまった気もするが、触りたくて触ったわけじゃない。勘弁してほしい。躱し切れない瓦礫がいくつか身体に当たるが、強化のおかげで大したダメージはない。
何とか無事着地し、一息つくも途端に顎をぐいーっと彼女に押される。
「お放し、あそばせ!」
「わかったわかった、放すからちょっと待て、っていでででで!」
こいつ思い切りつねりやがって。放り出してやればよかった、くそ。
「あ、貴方ケガを」
ん? そういえば瓦礫がかすってどこか切ったか?
「ああいや、大したことない。それよりアンタは無事か」
「わ、わたくし? ……だ、大事ないですわ」
「そか。そりゃよかった」
笑いかけてやると、シルヴェーヌはぐっと押し黙ってしまった。
「ん? やっぱどこか痛めたのか?」
「あなた……」
「はい?」
「あなた、どうして、敵を助けるのですか」
ペタンと地面に座ったままのシルヴェーヌが俺を見上げて尋ねてくる。不思議と先ほどまでの攻撃的な雰囲気が若干和らいでいる気がする。
「いやあ、空の上でド派手にドンパチやってる中での突然の事故だし。なによりアンタ、魔法強化も掛けてなかったようだから、当たったら死ぬと思ってな。っていうか助けるのにそんなのいちいち気にしちゃいねぇよ! もう、無事だったからよかったじゃないか」
案外細かいことを気にするお姫様だな? するとふいと視線を下げたかと思えば、今度はポツポツと語りだす。
「やはりあなたは……あなた様は……あのダン様そのままなのですね……」
「はあ? 何言ってるんだ? 俺は俺に決まってんだろ。どっかで頭でも打ったか?」
「そんなあなたがどうして国を簒奪するなど、暴挙に出たのですか?」
ちらとこちらを見上げた彼女の瞳には、当惑の色がありありと見て取れた。
「……俺は決して王国を奪ったわけじゃない。ほかに良い手が無かった。人心を掴み、国を引っ張れる者も居なかった。だからやむなく王位に」
それから王位につくまでの経緯を手短に話した。帝国の情報将校にそそのかされた王女と議会とを中心に内部から突き崩され、王は暗殺、一時期は帝国に占領された状態だったこと。それを有志で取り返したこと。なり手が居なかったから象徴としての国王となったこと。一切を話した。
話をすべて聞いたシルヴェーヌは狼狽していた。一体どんな内容を吹き込まれていたのだろう。いささか信じられないのだろう、くるくると表情を変えるその姿は滑稽ではあるが単に世間知らずなのであろう。可愛らしいところもあるもんだ。
そうこうしているとシルヴェーヌはやおら立ち上がり、空をキッと見上げる。
「レティシア様、クロエ様! お伺いしたき事がございます! どうかこの愚かな女の願いを聞き届けてはいただけないでしょうか!?」
空に向かってシルヴェーヌは叫んだ。




