20 潜入
「どうせ二人っきりなら、もっとロマンティックな場所が良かったっていうか」
ミミはここに来てもなお、ブツクサ愚痴っている。朝のことをまだ引きずってるのか?
「こんなところで見る月も、案外おつなもんじゃないか。切り替えていこうぜ」
今日の月は半月。明るいので潜入には向かないが、贅沢は言ってられない。
「はあ、それダンくんが言うの、おかしくないかなぁ」
ミミがロープを準備しながらボヤく。
「そうか? さ、仕事だ。そろそろマジで切り替えてくれ」
わかったよぅ、と彼女はロープを使い器用に屋根を降りていく。その様子を見てため息を一つ。俺もロープで降りていく。
先ほどエルザに辺境伯の城にある塔の屋根に送ってもらったのだが、そこから降りて最上階の窓にとりついた。
ミミが窓枠の陰に隠れながらスルスルと降りて中を確認する。予定通り見張りの類は居ないようだった。部屋に躍り込むと兵士の代わりに居たのは大量の麻袋。おそらく麦だろう。ここは食糧庫だ。
「図面通りだね。楽ちん」
「ああ。でも油断するなよ? 想定外ってのもあり得る」
「当然。ところでこの服、ずいぶん動きにくいね。変えたほうがいいんじゃね?」
ミミは身体をひねって服をまじまじと見る。俺たちは兵士の服で潜入している。彼女は普段はチューブトップに短パンというほぼハダカ(と言うと偏見だと怒られるが)で活動するため、全身すっぽり覆われている服はお気に召さないようだ。
今回はエルザに認識阻害の魔法を掛けてもらっているので、彼女の自慢である尻尾や耳は見えないようになっている、らしい。が、触れるとその存在は知覚できるので、触らせてはいけない、とのこと。
「目立たないようにするためだ、我慢しろ」
階下に降りて身を隠しながら移動しつつ、兵士たちの声を拾う。
「……なんでデモ隊を鎮圧しないんだ?」
「上からの命令は待機だ。なんでも騎士団が担当するらしいから余計な手出しは無用だと」
「ええっ。他所の人間にやらせるとか、舐められやしませんかね」
「知らねえよ。ならお前が閣下に聞いて来いよ」
この時間なら辺境伯はおそらく居館だろう。人目を盗みつつそちらに移動するも、入り口はずいぶんと大人数で守られている。
「ずいぶん人数が多いな」
「ちょっと抜けるのは無理っぽいね」
「やっぱり裏口を使うしかないか」
図面を頭に思い浮かべる。裏の炊事用の勝手口……その更に奥の2階部分に戸板がついている。そのうちの一つ。倉庫に付いた窓だ。
壁際に立って足場になる。俺が頷くとミミが軽く助走し、俺の手を踏み台にするとひらりと戸板の枠に取り付く。ナイフで器用にこじ開けると中に入る。間もなくロープが降ってきた。
ほぼ光の無い倉庫だが、ミミには問題にならない。俺の手を取り、倉庫に置いてある物を上手く躱しつつ、スルスルと出口に向かう。程なくして扉の枠の形に光が漏れている場所にたどり着く。
聞き耳を立ててみるが、内部は外ほど人が居ないようだ。この階は食堂。食事の時間は終わっているはずだ。扉をそっと開き廊下を覗き見ても、やはり人の姿はない。階上に向かう。
階段を上がり切ったところで人の声がした。奥から人が近づいてくる。
「今日の客人はエライ別嬪でしたね。どこのお嬢様なのか知りませんが、まさか側室とか」
「ばっか。そんなわけないだろ? それよりさっさと当直に代わって帰ろうぜ」
まずい、隠れる場所が無い。階段の反対側もすぐ突き当りだ。迷っている間にも兵士は近づいてくる。ええい、仕方ない。
「ミミ、こっち」
彼女の手を引き、そのまま反対の突き当りの窓に向かう。抱き寄せて窓に掛かるカーテンに身を隠す。
「ふわ、だ、ダンくん」
「すまん、ミミ」
一応断ってから彼女の口をキスで塞ぐ。情熱的なキスを見せつけられた兵士は思惑通り冷やかしを掛けてくる。
「なんだぁ、随分見せつけてくれるな? ……ったく、そういうのは帰ってからやれよな」
「おい、ほっとけよ。さっさと上がってハンナの店で飲もうぜ、ちくしょう」
ひとしきり観察された後、連中は誰それを買う、などと飲んだ後の計画を話しつつ階段を下りて行った。外があんな状態で店は開いてるんだろうか……?
ミミから離れた時には、すでに兵士の声は消えていた。
「ん……はぁ」
「すまん、大丈夫か」
「へぇ……? あ、うん、だいじょぶ……だいじょぶ……だよ」
我に返ったミミが口元をグイッと袖で拭う。
「まだ目的を達してない。急ぐぞ」
廊下を進む。すると先の扉から数人の男女が会話する声が漏れてくる。ここは確かサロンだ。互いに頷いて隣の部屋に入る。
屋根裏に上がり、隣の部屋の上に出る。先ほどより声がはっきりと聞こえてきた。天井パネルに隙間でもあればいいんだが、残念ながらそのようなものは見当たらない。
「ということは、作戦は今のところ順調。ということでよろしいですわね? 皆様方」
女の声。話し方からして、配下に語り掛けているように聞こえる。
隣ではミミが同様に聞き耳をたてる。
「はい、シルヴェーヌ皇女殿下。すべて予定通りでございます」
このセリフには更に驚かされる。シルヴェーヌ!? 今そう言ったか!? 皇女殿下などと敬称が付く人物に、俺は心当たりが有り過ぎる。
……シルヴェーヌ・シャルロット・バーデル。オルレーヌ帝国第二皇女。
やはり裏で糸を引いていたのは帝国。しかも足元の女性は王族ときたもんだ。更にこの城でご内密の会談としゃれこんでいる事実から、当然辺境伯もクロということになる。
「わが軍の状況は?」
「は。現在国境から半日のところで野営中との連絡が入っています。辺境伯閣下の宣言に応じ、『自治権を求める住民たちの保護』を名目に越境。他領との境に、街道近辺を中心に展開します」
独特な言い回し。コイツはおそらく帝国の軍属だろう。
「現在領内に留まっている王国の騎士団については、現在張り付かせている偽装領民を押し出します。領民には手を出せない腰抜けどもです、楽に排除できるでしょう」
この声は恐らくホルツマン辺境伯。祖父の軍功に胡坐をかいてダラダラと愚かな執政を行っている、典型的な世襲貴族との評判は間違いではなさそうだ。
「そうですか。それは重畳」
「場合によっては人質役も作って揺さぶるのも良いですなぁ。はっはっは!」
辺境伯の軽口に、シルヴェーヌはトーンを下げて話しかける。
「皆様。作戦の成功はもちろん重要ですが、その前に皆様方は栄えある帝国軍人です。その名にふさわしい、品性ある作戦行動を期待します。……相手に合わせる必要は、全くないのですから」
「も、もちろんでございます、皇女殿下。勝利まで、どうぞ心安んじられますように。こちらにて、吉報をお待ちください」
先ほどの軍属が軽く一礼をすると、シルヴェーヌは「休みます」と言った後扉が開く音がした。部屋を後にしたようだ。
えらいことになった。辺境伯が一枚噛んでいることが分かればよかったのだが、帝国と相手の王族まで絡んでいるとなるとのんびりしてはいられない。軍も近くまで来ているというのなら、明日にでもなんとかしなければならない。
その場を離れようとしたとき、気になる会話が始まった。
「ふん……小娘が。何が品性だ。野蛮な王国の連中相手に遠慮など。これだから温室育ちは」
「これこれ。殿下も王国の哀れな民のため、色々と腐心されておるのだ。願いは叶えたいであろう?」
「何をたわけたことを。お主が一番当てにならんではないか」
さわさわと数名が笑う。ひとしきりジョークとも批判ともつかない会話が続いたのち、手が二回打たれた。それに合わせて会話が止まる。
「さて諸君。王族批判はそこまでで。……明朝、正門広場で市民を集めて決起の宣言を行うのだ。スピーチはもう、考えたかね?」
……お偉いさんも大変なことだな。




