18 僧侶の役割
なめたマネしてくれるじゃないか! 矢はわかりやすくエリーにまっすぐ向かってくる。腕が良くて逆に助かる。
意識を集中。途端に時間が引き延ばされる感覚に入る。それに合わせ、飛び込んでくる矢のスピードが遅くなる。あとはそう難しくない。ゆっくり飛んできた矢を掴み止めるだけだ。
「ですので皆さんにおいては冷静に……えっ?」
突然目の前に現れた格好の矢に、エリーは絶句する。音のほとんどしない矢の攻撃は怖い。魔法ではないので発動時の気配も感知できない。しいて言えば殺気だが、暗殺者はその殺気さえも発することなく命を刈り取る。
エリーはぽかんと矢じりを見て、次に俺を見てから目を閉じ深呼吸を一つ。再び目を開いた時にはいつもの彼女に戻った。やはり彼女は強い。
「ミミ。見えたか」
「うん。逃げ支度してる」
弓の弦を張りながら、ミミが視線を暗殺者から外さず答える。獲物を見る眼だ。
「よし、撃て。生死は問わん。エルザ。邪悪探知。エリー、念のために魔盾を張れ。メグ、ビル、周辺警戒」
「わかったわ」とエリーは錫杖を取り出し詠唱に入る。
「三時方向、住宅の屋根。こちらは認識されている通りです。新手が九時方向、射撃体勢です」
顔を伏せ気味なエルザが簡潔に答える。
「九時の方、届くか?」
「愚問ですね」
顔を上げたエルザは微笑みを浮かべ、さも当然のように答える。
「オーケー、エルザ。そちらも排除だ」
「ミミ、どうだ」
「動き止めたよ」
「上出来だ。息があるなら連れてきてくれ。色々聞いてみたい」
くしゅくしゅと耳を撫でてやったらニコニコと笑うも。
「ま、いちお見てくるけど。多分致命傷だと思うから、あんまり期待しないで欲しいかなー」
頼む、との言葉に一つ頷くと、ミミはトントンと壁を蹴ってあっという間に屋根の上に登る。その様子に、市民からはどよめきが起きた。ちょっとした大道芸だからな。
「各員、引き続き周辺警戒を厳に。クロエとライザはすまないが」
「屋根の上の連中の、その背後の有無を調べて来ればよいのじゃろ?」
「すまん、頼む」
間もなく右手の屋根の上に雷が落ち、何者かが地面に転がり落ちてきた。
「神をも恐れぬ破戒者よ、お聞きなさい!」
今までの優しく語り掛けるような口調と一変、凛としたエリーの声が広場を包んだ。ざわつき始めた群衆が、一斉に口を閉じた。
「卑怯な暴力は無意味であることを、今まさに神はお示しになられました。このような時であるからこそ、対話こそが平和への近道であることを、私は訴え続けます」
「卑怯者よ。私は逃げも隠れもしません! たとえ私が倒れようとも、正しき者が真の勝利者であることは、すでに歴史が証明しているのですから――!」
エリー。それは違うぞ。正しいから勝利しているんじゃない。正義を名乗ること、それが勝利者だけに与えられた特権だからだ。
敗者にも自らの正義はある。なんなら人の数だけ正義はある。
彼女の説教が終わるころには、群衆はいつの間にか拍手を送るほど彼女の言葉に、彼女の『正義』に酔いしれ、誰しもが市場を襲撃しようなどと息巻いていたことを忘れたかのようだった。
――これが、俺が宗教を嫌う理由だ。
そのまま夕刻となり、本来行くつもりだった辺境伯の城へは結局行けずじまいだった。あれだけの騒ぎがあったにもかかわらず領主の兵が出てこないというのはどういうことなんだ。明日は説教込みの訪問となりそうな気がする。
結局ギルバートなどの勧めもあり、街の宿屋ではなく、街から少し離れた騎士団の野営地に泊まることとなった。確かに寝てる間に騒動が起こったら面倒ではある。
クロエ達に頼んだ件も空振りだったようだ。ま、あんな手の込んだことを仕掛けるほどのバックボーンを持つ者は限られている。どのみち明日明後日にははっきりするだろう。
食事のあとの押し問答の末、宛がわれた俺専用と称するテントに入ってしばらくすると、外から声を掛けられた。
「兄さん、少しいいかしら」
エリーだ。明日の活動についての相談だろうか。いいよ、と返事をすると、彼女はスルリと中に入ってきた。座っていいかしら、とベッドに腰掛ける俺の隣を指さす。
「兄さん。今日はごめんね」
開口一番、彼女が珍しくしおらしく謝ってきたので何事かと思えば、市場の一件だった。
「なに。情勢が不安定な中だったんだ。仕方ないさ。そんなことより大丈夫か?」
「あー……。確かにちょっと驚いたけれど。逆にあれのおかげで吹っ切れたわ」
最初困ったような表情を浮かべた彼女だったが、ニコリと笑った。
「吹っ切れた?」
「ええ。最初、説法で納得しようとしていたでしょ? 今だから言えるけれどあれ、実はできる気がしてなかったの」
指遊びをしながらエリーは恥ずかしそうに笑う。
「そうだったのか? ずいぶん堂に入った話っぷりだったがな」
だが俺の言葉にエリーは首を振る。
「よしてよ。私が一番わかってる。――暴力は無意味、対話こそが平和への近道、なんて。去年まで戦争やってて、今でも時には暴力に訴える人間が言うセリフ? ……そんなの」
それこそ神への冒涜だわ。エリーは小さくつぶやいた。
「エリーが振るうのは必要に迫られて、のみだろ?」
しかし彼女に納得した様子はない。力なくかぶりを振ると指を組んだ。
「それに今まで散々魔法や奇跡で敵を葬っておいて、いざ自分の身に危険が迫ると途端に平和とか暴力がなんとかって言い出す。都合がいいのよ」
「エリー……」
「……こんな時、無力感に押しつぶされそうになるわ。司教なんかやってるとね、時々思うのよ。私、なにやってんだろうって」
膝の上で手を組み、俯き加減で話すエリーはなんだか少し小さく見える。
「なにって、普段は教会で人々の悩みを云々やってるじゃないか」
「そうね。市民から見たらそうかも。……ね、言ったこと、あったかしら? 割と有名な言葉なんだけれど。――宗教家は自らの宗教を信じてはならない、ってね。冗談みたいな話なんだけれど」
彼女は力なく笑う。相当参ってんだな、これは。
「信じてなくて、どうやって布教するんだよ」
「だからこそ、よ。布教する側は常に冷静でないといけないの。自らの宗教を、客観視できていなければならない。そうでないと、諭して入信させるなんて芸当、できるわけないじゃない」
立ち上がったエリーは二、三歩前に出るも、背中を向けたままこちらを見ようともしない。
「私の義両親も徹底した現実主義者。そういった意味では、ウォーレナとも気が合うかもね」
振り返ったエリーは自虐的に笑う。そんな彼女の表情を見たくなくて、立ち上がり思わず彼女を抱きしめた。
「ごめんなさい、ウォーレナ。私こんな事、言うつもりなかった。絶対口にしてはいけない言葉なのに。……ふふ、宗教家、失格ね」
胸のあたりがみるみるしっとりと冷たくなっていく。胸に顔を押し当て、小刻みに震える彼女を慰めたい。けれどいい方法が思い浮かばない。だからただ抱きしめる。
どれくらい経ったろう。そっと離れると頬をほんのりと染め、両の瞳から涙を流す彼女と見つめ合った。少し困ったような、微笑むような。そんな表情を見せる。
「大丈夫だ。そうやって想い悩む司祭、たまには居てもいいじゃないか」
「……いいの、かな」
「ああ、もちろん。それに俺はその。そっちの方がより人として好ましいというか。その、俺は好きだぞ」
「うん……ありがと……」
もう泣くなよと頭をなでると、彼女はもう一度「ありがと」と呟き、こつんと再び胸に頭を押し当てた。
「ね、兄さん。……お願いがあるの」
「ん? どしたエリー」
「今夜は、ずっと一緒に居てほしい」




