15 困惑の両者
――おかしい。聞いている話と、実際に目にする光景。日を追うごとに私の中の認識との乖離は広がっていく。
王国の民を救うという目的のため潜入を続けているがどうもおかしい。民衆に特段不平不満があるように見えないからだ。飲み屋であれこれ聞き出そうとしてみても、貧乏だ、ひと山当てたいなどという愚痴は聞けども、あの愚王を悪く言う者がいないことも気に入らない。
今まで帝国で聞かされていた王国の雰囲気と全く異なる現状に、戸惑いを隠せないでいる。
国王は年端のいかない若い娘を王都に集め、夜な夜ないかがわしい行為にふけっている、などという噂もあるがと尋ねてみても、先代は色狂いだったという話は聞くが、今代でそういう話は聞かないと皆口を揃えて言う。
ただ、美人の女性は周りにいるようだから、いずれそのうちの誰かを妃にするのではという『健全な』噂については異口同音に、実にまことしやかに語るのだ。
旅を思い返すたびに、どんどん王国が悪い国には見えなくなってきていた。
王国とは腐敗が隅々まで行き渡たっており、王族貴族は贅沢三昧、国民には重税を課し、辛い生活を強いていると。長年の搾取によって国民には不平不満が溜まっており、他国に救済を求めている。そんな国ではなかったのか。
出発前には自国でこの国のことを学び、理解したうえでやってきたつもりだ。しかし今ではその認識は根底から崩れつつある。
何かが、おかしい。
「スぺシェ殿。此度のヒルソン商会への救援、なぜ失敗に終わったのか。納得のいく説明を求めますわ」
私の問いかけに近衛長――スぺシェが居住まいを正し、返答をする。
「は、皇女殿下。端的に申しますと、戦力差かと。連中、今回は守護竜を出してきました」
「現国王は守護竜との関係を大変良好に保っていると聞いています。つまり、いつ出してきてもおかしくなかったのでは? 当然予測されたことでしょうが、対応は適切だったのですか? 特に前回のカジノの街……リヒハイムでしたわね。あちらでも同様に守護竜の介入があったという報告もありますが」
「恐れながら、リヒハイムにおける竜種の介入は確証がとれておりませんので評価は差し控えます。また、残念ながら竜を相手に人が取れる有効なオプションはありません。隠ぺい、脱出戦術が最も合理的です。今回は敵のパーティーに優秀な斥候が居たようで、脱出行動が早期に露見してしまった模様です。なお、」
「斥候、ですか?」
「はい? ええ、……狐人族の有能な者がいたようです」
「そうですか……狐人族……」
ふと夜の街で私とベリータを救ってくれた狐人族の女性が思い浮かんだ。しかし直後に頭の中でその考えを振り払う。彼女にそのような凶悪なことを実行できるとはとても思えなかったからだ。
報告にあるような狡猾な行動はとれそうにない。なぜかそう感じる。
「王国では狐人族をそのように運用することが少なくありません。今回も『亜人』の有効活用といったところでしょう。実に不愉快です」
「スぺシェ殿、控えなさい。それが王国の文化というものですわ」
「……これは失礼いたしました」
「続けなさい」
「はい。今回の失敗により、我が国と王国首都間の物流道建設に多大なる遅延が発生することとなりました。商人の選定からやり直しですので、年単位の調整が必要となることが想定されます。これでプランAの成功確率は限りなくゼロに近くなりました。プランAは放棄せざるを得ないでしょう。早期にプランBへの移行をされることを強く進言いたします」
プランA。王国全土の住民開放作戦。残念ですが、もうこれは放棄せざるを得ないでしょう。プランB。辺境伯領をはじめとした、王国東部地域の開放作戦。こちらだけでも成功させ、一人でも多くの王国の民を救わねば。
「わかりましたわ。プランBに移りましょう。そうとなれば、いつまでもここに居ては我々も危険ですわね。すぐ動きましょう。スぺシェ殿、本日午後にはベルクヴェルクに向け出立を。ベリータ、荷の準備を」
◆◆◆
ノーウォルドに戻って、はや三日だ。やはり我が家は落ち着く。気候が良いので、テラスでのんびりする。
天気も良く、『絶界の山脈』もよく見通せる。一年を通して溶けることのない万年雪が陽の光を受けキラキラと輝く。
エリーが淹れてくれたお茶を片手に久しぶりの余暇を満喫していると、突然クロエが立ち上がった。
「どうしたんだ? クロエ」
「……奴が来る」
ものすごーく嫌そうな表情を見せるクロエ。ああ、本当に嫌なんだなぁって顔をしている。そこまで言わせるとは、一体どんな奴だ?
「奴って誰だよ?」
「あー……あれじゃない?」
エリーが嫌なものでも見たような表情で空を指さす。
「あれ?」
「来おった……とうとうここに……」
忌々し気にクロエが見上げる先にはいつぞやの記憶を呼び覚ますような姿が。豆粒ほどだったそれはあっという間にぐんぐん大きくなり、空の半分は覆いつくすのではと見まがうほどになった。
血のような、燃えるような赤。緋色の竜。帝国の守護竜が唐突にノーウォルドに現れた。目の前でみるみる人の姿に変わった彼女は、にっこりと手を振る。
「やっほー! 来たよ、クロエちゃん!」
全身赤と黒でまとめられた外見。両の側頭部でまとめられた長い髪(あとでエリーに聞いたら、ついんてーる、というそうだ)。朝焼けを連想させる躍動感あふれる勝気な瞳にクロエと異なるスレンダーな身体。……身長は若干クロエが低いか。
ドレス姿というのは変わらないのだが、露出があれこれヤバいクロエのそれとは異なり、見た目相応な可愛らしいデザインのものをまとっている。
そんな東天の古竜、名を……
「おーっ、人間ども、ひれ伏すがよい。レティシアだ! よろしくな!」
アッハイと挨拶を返す。普段からクロエを見ているから、もうみんなも慣れたものだ。
「なんじゃレティシア、べたべたくっつくでない。うっとうしいではないか」
「またまたぁ、クロエちゃん。嬉しいくせにぃ」
「誰がクロエちゃん、じゃっ。いい加減やめんかその呼び方」
レティシアの腕を振り払いつつ、ガチ目に迷惑そうな表情を見せる。クロエが押されてるのって、珍しいなぁ。
「だってだって。クロエちゃん可愛いから仕方ないじゃん!」
「可愛いのは認めるが、何しに来たんじゃわざわざこんな辺境まで」
認めるんだ、可愛いのは。
「えー、まぁ里に戻るついでにちょっと寄り道したんだよ。クロエちゃんに会いたかったから! んで? お気に入りの人間ってどれ?」
レティシアがぐるーりと周りを見渡しながら訪ねるものの、クロエの態度は終始冷たいものだ。
「……そんなもん、百年ほど居らんわ」
「ふふん、嘘ばっか。……ん~? んっ!」
レティシアは機嫌良さそうに全員を嘗め回すように見ていたが、俺を見るなり眉間にしわを寄せ、直後ぱあっと明るい表情を見せる。
「アンタだねっ。よろしく人間」
差し出された手を思わず握り返す。我に返ってすぐに放すとレティシアは首を傾げた。
「俺はウォーレナ。よろしく……と言いたいが、随分な挨拶だな? 帝国式か?」
「へ? なにそれ。君どんだけ帝国の連中嫌いなのよ」
失笑、という表現がふさわしいか。吹き出すように笑う。
「なに。クロエとは人間に対する接し方がずいぶん違うからな。アンタのメンタリティーが帝国のお偉方に伝染したということなら、なるほど納得だなあと」
「あっはっはっ! 面白いこと言うじゃん人間。いやすまん、ウォーレナ。さすがクロエちゃんが惚れた」
「それ以上囀ると、わかっておろうな?」
「やだ怖い、怖いよクロエちゃん! 可愛い顔が台無しじゃん! でもさあ、アタシもちょっと気になっちゃったんだよねー。ね、クロエちゃん、お願いがあるんだけどなぁ」
「……なんじゃレティシア。先に言っておこう。ダメじゃ」
クロエのつれない言葉にレティシアが口をとがらせる。
「ええー、ケチ……っていってもクロエちゃんのお気に入りだから当然か。しゃーない、じゃあさ、たまに貸してよ。それならいいでしょ?」
「ウォーレナは物ではない。貸し借りなぞ、できようものか」
クロエはうんざりした様子で手をプラプラと振り、呆れたように断りを入れる。
「えー、さすがにそれはケチ過ぎるよお! ……わかったよ、じゃあここでするしかないか。ねえウォーレナ」
そういった直後、レティシアはドレスの後ろをペロンとめくり、下着を露にする。
「ちょっ! 何やってんだよアンタ!」
俺の言葉も意に介さない様子で、レティシアがこちらに尻を向けつつ問いかける。
「ねえ、アタシとセックスしよ?」




