6 幼馴染と聖女様
あっあっ、またエリーさんの暗黒面が。うん、とりあえず錫杖、手から放そうか。あー、その祝詞聞いたことありますよ、外典ですよね? 詳しい内容までは存じ上げませんが、デバフ系の雰囲気びんびん漂ってますよ。きっとロクでもない効果ですよね? あ、ちょっと。ガチで詠唱しないでー。
「ちょっとまて、なぜそうなる」
錫杖をひったくって無理やり止める。てかこわいよエリー。
「あん、ちょっと!」
「やめろ、バレたら下手するとお前、縛り首だぞ」
「……だって、ひどすぎるじゃない」
「エリーが怒ることじゃない。でもま、その。ありがとな。俺のために怒ってくれて」
錫杖を差し出すとエリーは無言で受け取る。だからなんでお前がそんな泣きそうな顔するんだよ。俺のことなら気にするなとあれ程いい含めたのに。
「ね、最近ちゃんと眠れてる? 兄さん、すごく疲れた顔してる。無理してない?」
そういうとエリーが俺の右手を取り両手で包み込む。あったかい。心にしみわたる温もり。
「……ま、ここにきて一月、働きづめだったからな。少しは疲れてるのかも」
「ううん、そういうんじゃない。今の兄さんに必要なのは人の温もり」
すべて見透かされているようでドキリとした。
エリーは腰を浮かすと、俺との距離を少し縮める。
「だから、その、今夜は……私が」
熱に浮かされたような表情でエリーが見上げる。握られた手に、力が込められた。
予感はあった。エリーは優しい。弱った者を見たら手を差し伸べずにはいられない。うぬぼれるわけじゃないが、俺のこんな姿を見たらきっとそうすると確信めいたものがあった。
けれどそういうのは違うと思う。だからエリーの手をそっと放す。少し寂し気な表情を見せる彼女の様子に、胸の奥がチクリと痛んだ。
「ありがとう。エリーにそう言って貰えるのは率直にいって嬉しい。でもすまん、俺まだ無理だ。女性に対してその……特別な感情が湧かない。こわいんだ」
こわい、という言葉にだろうか。彼女はびくりと反応した。
もう二度と裏切られたくない。そんな気持ちがずっと俺に付きまとう。本当はわかっている、どんなことがあろうと、きっとエリーは俺を裏切らない。
そして俺は、二度も彼女を裏切りたくない。だから余計に、やわらかいところに触れられるのが怖い。
「だからその……すまん」
エリーはがっかりするだろうか。本当は目を合わせるのも怖い。けれど彼女を見続けた。それがせめてもの誠意だと。
意外にも彼女は微笑みながらゆっくり首を振った。
「いいのよ。ゆっくり傷を癒せばいい。兄さんはそのためにここに来たんでしょ? だいじょうぶ。私、待ってるから。……待つのは得意だしね。だから気にしないで。……そうだ。少し喉渇かない? 悪いんだけれど火を起こしてくれないかしら。お茶しましょ?」
ハーブティーか。そういえばエリーは昔からお茶が好きだった。いろんな時、状況に合わせて様々な味と香りのお茶が飛び出す。無限の引き出しから湧いてくるかのような体験に俺はいつも驚かされていたし、そんな俺の様子を見るのがきっと彼女も楽しいのだろう。
「ハーブもしばらく使う分は荷物に入れてきたの、正解だったわ。ここだと手に入るかわからなかったし」
エリーは鼻歌を歌いながら慣れた手つきでガラスの茶器を用意する。沸騰したての熱湯を注ぐのがおいしく入れるコツなのよ、と彼女が楽しそうに話しながらポットとカップにお湯を注ぐ。ポットのお湯を空けるとドライハーブを入れ、再び熱湯を注ぐ。砂時計をくるりと回した後、カップが流れるように準備される。
「少し待ってね」
茶器の中をハーブの葉っぱ? がフワリフワリと舞うのをぼうっと眺めていたら不意に目線から離れる。小気味よい音を立て、淡い黄色みがかったお茶がカップに注がれていく。
今日はどんなお茶が出てくるんだろう。久しぶりの彼女のお茶に興味が湧いた。
「どうぞ。パッションフラワーとレモンバームよ。イライラを解消して自然に眠りに誘ってくれる効果があるの。今の兄さんにピッタリだとおもって」
エリーはこちらにカップを差し出すと再び隣に腰掛けた。そのままじっと見つめられる。俺のために淹れてくれたんだ。それだけで気持ちがあたたかくなる。
カップを手に取るとややくすんだ黄色の液体がゆらりと揺れる。彼女に目を向けると小首を傾げて促した。
さっそく一口。たちまちやってくる優しいレモンのような香り。その奥に懐かしい草のような花のような風味が抜ける。おいしい。心のもやがゆったり洗い流されるような感覚。
「うん、おいしい。エリーの淹れるお茶は最高だけれど、今日は特段おいしく感じる」
彼女は満足げによかった、と微笑むと自らもカップを傾ける。ほぅ、と幸せそうにため息をひとつ。
落ち着く。エリーがやさしく語る子供の頃の思い出話も手伝ってか、一口含むごとに疲れやイライラが少しずつ溶かされていくようだった。
そのあとはいろんなことを話した。
今後ここでどうやって生きていくかとか、どうしたいのか、とか。あの双子をどうしていくつもりだとか。それこそたくさん。エリーは嫌な顔一つせず楽し気に付き合ってくれた。
「なあエリー」
「なあに?」
「……ハーブもいくつか植えてみようか」
「すてきね。フレッシュハーブも色々使い道があるのよ。明日にでも市場に見に行きましょ。ふふ、楽しみ」
エリーは本当に楽しそうに笑ってくれる。
そういえば姫は、こんな風に笑いかけてくれたことがあっただろうか。
――その夜は久しぶりに朝までぐっすり眠れた。