10 亡国への提案
ボーイに向けて飛ばしたのだろうが、的外れだった。火の玉がヘロヘロとこちらに飛んでくる。水障壁を展開すると、へなちょこ魔法は力なく当たり、情けない音と共に瞬時に消え失せる。
そのまま意識を失い倒れこむ客。ボーイが支えきれず、もろとも倒れそうになるところを支えてやる。
「あっ、お客様、大丈夫です! こちらで対応いたしますので!」
「そうは言ってられないだろう? 急病人かもしれない……」
おかしいことにはすぐに気づいた。倒れた客の目の焦点が合っていない。よだれもだらしなく垂らし、四肢に力も入らないようだ。恍惚とした表情。そしてなにより。
「なあ。なんだ、この臭い」
客から漂う特徴的な香り。戸惑うボーイを尻目に客をエリーに任せ、先ほどこの客が出てきた扉に向かう。
「あっ、お客様、いけません! そこは立ち入り禁止」
開けたとたんに広がる異臭。酸っぱく、甘い。タバコのような匂いも混じる。
間違いない。麻薬の使用現場だ。
客にはエリーが解毒の魔法をかけると明らかに反応が良くなった。
「もう大丈夫だけれど、薬物の影響を受けていたことは間違いないわ」
エリーがこちらを見て固い声色で報告する。
「さて、これはどういうことなのか。説明を」
「困りますお客様、勝手な事されては……早く救護所に連れ出せ!」
遮るような言葉と共に、恰幅のよい紳士が現れた。薄暗くて判然としないが、おそらくはフックス男爵本人。
「……あんたは?」
「当館のオーナーです。この度は大変ご迷惑をおかけしました、ぜひお詫びをさせていただきたく、あちらで……ささ」
「いやこちらで結構。ところでこの部屋はなんだ? おおよそマトモなモノを提供している部屋には思えないが」
「お客様……お客様もお人が悪いですな。すでにお分かりなのに。アベーンの実、つまり」
「麻薬、だな」
「さようでございます。本来なら一見のお客様はお通ししないのですが、今回はご迷惑をおかけしましたので、特別に。さ、こちらに」
「悪いが今日はそれをヤリに来たんじゃないんだ。……フックス男爵。我の顔を忘れたか?」
「は? お客様は確か今日お初にお目にかかるかと」
「そうか……『この者、男爵位でありながら伯爵に比肩するほどの貢献を我が国にもたらしております』と財務卿から紹介を受けたのだがな。あまり我に興味はなかったようだ」
「その物言い……まさか……陛、下」
「フックス卿。そなたのしていることは国家荒廃への道を進む危険な行いだ。ゆえに我はそなたの行いを正さねばならない。大人しく縛に付け」
フックス子爵はしばらく押し黙っていたが、やがて低い笑い声を発したかと思えばゆったりと顔を上げた。
「……ふ、ふふ。何を言うかと思えば。簒奪王の分際で、片腹痛いわ! 後のことはどうとでもなる。ここで口をふさぐ。丸腰の今こそ我らの大願を叶えるチャンス。者ども、かかれ!」
エリーと二人、バフを互いに掛けつつ壁際に下がる。対して、ボーイはナイフを取り出すと逆手に持ち間合いを詰めてくる。
「いけるか?」
「誰にモノ言ってるのかしら?」
「頼りにしてるぜ、相棒」
相手は大振りせず、突きを中心に細かく攻撃をしてくる。いくつかいなしてからジャブを放つ。顔面にクリーンヒットし、よろけた敵の足を払って腕を取る。
「すまんな」
腕を折るときの感覚は未だに慣れないが仕方ない。手首を踏んでナイフを奪う。
その後も数人相手する。ナイフで牽制する間にエリーが転倒などで翻弄する。倒れた敵を無力化し次に向かうときにはすでに相手は金縛りされている。
「簡単なお仕事だな」
「たまには役に立つでしょ?」
隣でエリーが微笑む。
敵は次々と湧いてはくるのだが、その度にエリーの阻害魔法が功を奏し、俺は基本一対一の戦闘で済んでいる。こちらは安物のナイフ一本なので正直助かる。
「いつも感謝してるよ。やっぱりエリーは最高の相棒だ」
「ふふ。あとでご褒美、おねだりしなきゃね」
「お手柔らかにな」
しかしエルザとライザはどうしたんだ? まさかギャンブルが忙しすぎてこちらに気づいていないとか? そう思った矢先だった。
「――そういえばあちらのお連れ様、ずいぶん大人しいですが大丈夫なのかな?」
男爵の視線の先に目をやると、信じられない光景が。なんと後ろ手に縛られたエルザとライザが、乱暴に床に転がされ、剣を突き付けられている。
「え、エルザ!? ライザもどうした!?」
問いかけに応じる気配がない。何があったんだ!?
「さて、悪役のような言い回しはしたくないのですが……お静かに願いましょうか。お話合いといきましょう」
是非もない。俺は手に持ったナイフを床に放り投げる。
「話し合い? 脅迫の間違いではないのか?」
男爵の口元が醜くゆがんだ。
「陛下、あまり挑発はなさらない方がいいのでは? それに私ばかり気を取られていては」
「きゃっ!?」
「エリー!?」
「大事なものが手元から消えてしまうこともありますからね、ご注意あれ」
わずかなスキをつかれた。エリーは捕らえられ、男爵の前に連れられて行った。取り返しにと身体を向けたとたん、一斉に剣を突き付けられる。
「さて。お初にお目にかかります、聖女様。このような出会いとなってしまい、まことに申し訳ございません」
「……お気遣いなく。それより、離していただけますか」
後ろ手に縛りあげられているエリーが、腕をよじりながら男爵を睨みつけている。
「お話が済めばすぐにでも離すつもりでしたが……やはりお美しい。あなた様を見ているとどうにも気が変わってしまいそうで、自分が怖い」
男爵がエリーの顎に手を添える。
「……! 私に触れるな!!」
「おや、意外と気の強い面もあると。それもまたよい。いや聖女とは神聖性で人々を惹きつけているとばかり考えておりましたが。あなたのそれは、まさに女の魔性のそれですね」
「貴方。神の使徒に対し不敬ですよ」
エリーが今までになく冷ややかな目で男爵を見上げる。
「おっと失礼、うっかり本題を忘れるところでした……さて陛下。取引です」
「犯罪者が取引、か。こんな情勢で取引を持ち掛けるなど、どう考えてもロクでもない内容だろうが……。いいだろう、言ってみろ」
「簡単です。ひとつ、書類にサインを頂きたく」
揉み手をしながら話す。正直好きになれないタイプだ。もっとも、こんなことをしでかしている時点でお友達にはなれそうもない。
「……サイン、だと?」
男爵は指を三本立てると、機嫌良さそうに語りだした。
「ええ。内容を簡単にお伝えすると三点でございます。ひとつ、麻薬取引は王家の指示で私が専売で行っている。ふたつ、この取引に税は徴収しない。そして最後に、私に対して不逮捕特権を与える、このみっつ」
「……ずいぶんな欲張りセットじゃないか」
俺の嫌味な物言いにも動じることなくどこ吹く風だ。
「そうですか? 陛下はこの者たちを大層ご寵愛のご様子。彼女たちの命と引き換えるには、むしろ安すぎる取引だと思うんですがね? あ、なんなら伯爵位でも付けてもらいましょうか。では四点ですね」
「貴様……掛け値なしのド悪党だな」
「交渉上手、と褒めていただくのがより適切かと存じます」
男爵は肩をすくめて笑った。
「さて、困ったものだな。王としてはそのような条件、とても飲めるものではない。が、仲間を掛け金に乗せられたとなると、そうはいかんか……」
「ウォーレナ、だめ。そんな要求、拒否して」
後ろ手に拘束されたエリーが、身をよじりながら訴えかける。
「さてどうします閣下。あまり時間はありませんが」
「よし、決まった。答えは……ノーだ。当たり前だろ、このバーカ!!」
俺の罵りを聞いていたのか、絶妙なタイミングで屋根が吹き飛ぶ。いたるところ連続で雷が落ちる。エルザとライザにも落ちたんだが、大丈夫か、あれ?
「きゃあああああ!!」
落雷の轟音にエリーの悲鳴が重なる。雷の一つはエリーを拘束していた兵士を寸分たがわず打ち据える。崩れ落ちる兵士を押しのけた彼女は、よろめきながらも駆け出し、俺の胸に倒れこみながら飛び込んでくる。
「すまなかったな、よく頑張った」
「大丈夫よあの程度。蛮族との闘いより百倍マシだわ」
エリーが顔を上げて不敵な笑みを浮かべる。声は震えているものの、気丈な女だ。
「上出来だ」
頭をなでてやると、一度ギュッと抱きしめられたかと思えばパッと離れ、隣で男爵に相対する。
「呼ばれて飛び出てこんばんはー! じゃの」
古竜の姿でやってきたクロエがご機嫌な様子で挨拶をかます。
「いてて……。お館様……? これはいったい?」
クロエの背に乗るメグが明かりを複数置き、辺りはあっという間に明るくなった。
「何やっとるんじゃこの未熟者ども! 寝ぼけとらんでさっさと起きんか! それとももう一発雷撃食らわせてやろうか!?」
クロエの喝にエルザ、ライザの姉妹は寝ぼけ眼をあっという間に見開き、慌てて立ち上がる。だがなにがしかのダメージを受けているのか、足元がおぼつかない様子だ。
「クロエ、ナイスタイミング!」
「ふふん。じゃろう? ほれ、受け取れ。主らの武器じゃ」
上空から放り投げられた俺とエリーの武器をしっかり掴んでエリーに投げ渡す。すらりと鞘から剣を抜き放つと宣言する。
「さて諸君。これよりこのウォーレナ・グレンヴィルが粛正を行う。どこからでも掛かってくるがよい!」
額面通りに切りかかってきた敵を一刀のもと袈裟切りにする。ズルリと倒れる音と血煙の生臭さに、頭が急速に澄み渡っていく。
勇敢なのか、ただの蛮勇か。前から順に死んでいく。なるべく殺さないという『手心』が不要な相手には竜術を使うまでもない。
俺は相当、頭に来ているらしい。背を向ける敵も真っ二つ。本来やらないであろう残酷な攻め方をしている。だがこれは自覚的にしている。こいつらは絶対に許さん。
まもなく形勢が明らかに不利であることに気が付いたのであろう、男爵は慌てだした。
「な、くそっ、守護竜も付いているとは聞いていたが、早すぎるだろう! ええい、貴様ら、掛かれ! 簒奪王の首を」
「そんなこと言ってるヒマ、あるのかよ?」
男爵との間合いに一気に詰め寄り一閃。思わずかばう体勢となった、がら空きの左腕に切りつける。左手の指を数本、斬り飛ばした。途端に噴き出す鮮血。
「ひっ、くっ、くっそおおおおお!!」
わたわたと剣を抜き放つ男爵。鬼気迫る表情でこちらに刃を向ける。興奮からだろうか、痛みは感じていないようだが震えが出ているようだ。剣先が小刻みに震える。
「貴様。王に剣を向けることの意味、解っているだろうな?」
「なっ、なんで今日来やがったんだっ。あと一週遅ければっ……、ちくしょう!」
血走った眼、口角からは泡を飛ばしながら叫んだ男爵は、半ばやけくそのように打ち下ろしてくる。
「遅い」
身をかわし、剣を弾く。相手の脇に踏み込むと同時に斬り上げ。防ごうとする左腕もろとも男爵の首を刎ねた。乱雑な音を立てて男爵の剣が転がり、重さを伴った肉が崩れ落ちる。
転がった首に向かって話しかける。
「首を取られたのは、貴様の方だったな」
驚愕の表情で見上げる男爵の首に話しかけると、わずかに目を瞠った。斬られたことにすら気が付いてなかったのだろう。その後すぐに生気が失せた。
領民のみならず、王国の全体の民を食い物にして私腹を肥やしていた奴だ。同情の余地など、欠片もない。
気づけば周りで動く敵は失せていた。すべて排除したか、逃げ出したか。
いやそんなことより、だ。
「エリー! 大丈夫か!?」
いつの間にかメグが隣でケアしてくれていたようだ。メグを見るとにっこりと笑って頷いたので、おそらく大丈夫なのだろう、ひとまず胸をなでおろす。
「もう、おおげさよ。ウォー……兄さん。大丈夫」
「油断していた。守り切れなくてすまなかった」
床に剣を突き立て、エリーを抱きしめる。
「ちょ、ちょっとどうしたの? ……もう」
「すまない。良かった無事で……ありがとう」
謝罪の気持ちを、無事だったことへの安堵を、相棒として戦ってくれたこと、そして信じてくれたことへの感謝を込め、ひとしきり抱きしめる。彼女はため息をつくと「心配性ね」と囁くと、俺の背中に手を回した。




