7 露天風呂、思わぬ邂逅
えーっと、どうしてこうなった?
「狼藉者、覚悟はよろしいですね」
目の前には長身のスレンダーな女性が……タオルを巻いただけの姿で長剣を構えている。相手が何者なのかは幸か不幸か、大量の湯気のせいで判然としない。更に湯気の向こうにはもう一人が腰を抜かすようにへたり込んでいるのだけはわかる。性別は判然としないが、目の前の彼女の様子から、おそらく女性なのだろう。
対する俺の得物は……なんとも頼り気の無い洗い桶と椅子、と腰にタオル。とりあえず強化を掛けてはみたが、太刀打ちできるような代物ではない。
なぜこんなことになっているのか。まずは時を数刻さかのぼる――
エルザたちの数倍大きな背を持つクロエに乗せられ、関所を離れたところをゆったりと飛ぶ。エルザとライザも翼竜の姿で随伴しているが、地上から見れば竜が散歩してるくらいに見えていることだろう。
日が落ちかけているので地上をつまびらかに見ることはできないが、関所と思われる場所にはかがり火が数多く立ち、順番待ちの旅人がずらり並んでいるのが見て取れる。かなり厳重に確認をしているようだ。噂は本当なのだろうか。
――麻薬を扱っている貴族の噂を耳にしたのはつい最近のことだ。国境での通関免除を始めとする貴族の特権を悪用し、よからぬ物を輸入しているらしい。思い当たる節はと尋ねたところ、文官たちは口を揃えてとある貴族の名を挙げた。
フックス男爵。数ある男爵家の中にあって、突出した納税額を誇る新興貴族だ。だが領地は農業のほか、これといった産業もない土地。更に言えば彼の地からの農産品で税収に見合うような高付加価値な品もないという。
あの納税額を支える唯一の可能性を挙げるならば数年来、積極的に行われている観光開発。とりわけカジノだ。なるほど大金が動く賭博ならば、胴元に入る金もそれなりの額になる。領地経営の一つのやり方ではあろう。
だが光あるところに影あり。聞くところによると借金まみれとなり一家離散、そのままスラムや花街に身を落とす者も少なくないらしい。そこで蔓延しているのが麻薬、というわけだ。二重三重に搾り取る構図が透けてくるが、これ以上の調べが進んでいない。
ただこれだけは言える。政治の世界では清濁併せ吞むとはよく聞くが、ここの濁り水からは腐ったドブ川の臭いがする。
リヒハイムの街に近づく頃にはすっかり日は落ちていた。おかげで近くに降り立った際にもクロエの姿を見られることが無かったのは幸いだった。ここはそのフックス男爵が治める街だ。
さすがカジノの街。夜も人通りは多く、街並みも華やかなものだ。客引きの声を何とか振り切り宿にたどり着く。事前に調べておいた宿は幸い部屋が空いていたのでそのまま厄介になる。
「主よ! ここには露天風呂があるらしいぞ!」
手続きをしているとクロエがテンション高めに駆け寄ってくる。うん、知ってた。だからこの宿にしたんだからな。風呂好きとして、この宿以外に選択はなかった。
「早速入るとするぞ。ほら、行くぞ」
「なぜ俺と入ろうとする。他の連中と行ってこいよ」
「主が居ると色々と面白いからの。ほら、皆も共に行こうぞ」
「面白がるな。ったく、女だけで行って来い」
ケチじゃのう、とボヤくクロエは放っておいてまずは部屋に行けとみんなを追い立てる。
「……俺はゆっくり入りたいんだよ」
そして一人フロントに戻ると、こっそりと貸し切り湯の予約を入れたのだった。
荷物を置いて早々に男湯に一人で入ってくる! と連中を置いてさっさと貸し切り湯に来た。フロントで聞いた部屋に入ると、薄暗い脱衣所に居ながらすでに温泉の香りが漂う。
いいぞいいぞ、こういうのがいいんだよ。これぞ旅の醍醐味ってやつだな。これは浴場への期待が、否が応でも高まる。ああもう、服を脱ぐのもまどろっこしい。脱いだ服を整理するのもそこそこに。待望の浴場へ、いざ、出陣。
扉をくぐると、そこは別世界が広がっていた。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れる。まるで森だ。さまざまな植物に囲まれた中に、岩で設えられた大き目の風呂。湯船はうねっており、奥まで続くその先は大量の湯気で伺い知れない。その雰囲気が大自然の中で偶然見つけた秘湯然として、実に趣深い。
素晴らしい。まさにこの一言に尽きる。さすが旅雑誌『湯屋道』推薦の宿。
身体を洗うのもそこそこに湯船に。これはいい。洗っている時からもしやと感じていたが、泉質もいい。すべすべと肌に心地いい。いわゆる美人の湯という奴だ。ひとしきり堪能すれば次は探検をしたくなるのは男の子としては仕方ない、はずだ。
ざぶざぶと奥に進むと意外と広いことに気づく。こうなればすべて探索をと冒険心がもたげた丁度その頃、予想外の事態に見舞われる。
「何者か!?」
「えっ!?」
鋭い声が耳を刺す。若い女の声だ。よく見ると湯気の向こうに人影がうっすら見える。おかしい、貸し切りではなかったのか?
声と同時に大きく水の音がした。おそらく湯船から出た音。直後、光る切っ先が湯気の向こうから突然飛び出した。
「うおっ!?」
思わずのけ反り声が出る。いきなり切りつけてくるとは、物騒だな!?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! どういうことだ? 今は俺が貸切ってるはずだが」
「何を異なことを! 今は我々が貸切っている時間! 覗きが露見したところで、あろうことかとぼけるとは!」
「とぼけるとか、そんなつもりはない! 本当のことを言ってるまでで」
今攻撃されるのはまずい。まずは……アレしかないか。湯船を飛び出すと、床の洗い桶と椅子を手に取った。
「言い訳はそこまでですか。狼藉者、覚悟はよろしいですね」
ここで冒頭のこれにつながるわけだ。
温泉の洗い場で対峙する見知らぬ男女。それだけでも十分シュールだが、こっちは洗い桶、対するあちらさんは長剣を構えているっていうのが何かの冗談のように感じる。
「大人しく降伏なさい。さもなくば」
剣の一閃。思わず受けた椅子の先が、飴細工のように斬り飛ばされた。木の椅子とは言え、強化がかかっているんだぞ? なんて切れ味してんだ。まともに受けたら椅子ごと斬られる。
「斬ります」
次はできれば斬る前に言って!?
「まて、誤解、だから誤解だって!」
「問答無用!」
横なぎで振り抜いてくるところを下から打ち上げ、振り下ろしには躱して横から当ててと何とかいなしていくものの、確実に俺の頼みの綱、桶と椅子はその形を徐々に失っていく。
もう一つの頼みの綱、腰に巻いた布も少々締め付けが心もとなくなってきた。
「しつこいですね……いい加減、観念してください」
女は苛立ち始めたのか、剣に込める力を強めたようだった。桶が削れる量が一気に増えたがこれはチャンスでもある。
「水球」
女の顔めがけて小さい水球を放つ。狙い違わず顔らしき辺りで大きく弾けた。
「わっ、つめたっ……きゃっ!」
思わぬ反撃に驚いたのか。目を閉じ、反射的に身を固くした瞬間、女は足を滑らせた。その拍子に剣で温泉の内装をどこか切ってしまったのか、一部が崩れてきた。崩れる音と女の悲鳴、そしてもう一人、あちらもやはり女だったか、少し離れたところで声がした。
女はとても受け身が取れる体勢ではなかったので、やむなく抱き寄せ頭を守ってやる。背中に装飾の部品がいくつか当たったが影響はないだろう。魔法のおかげだ。
きゃあきゃあとしばらく腕の中で叫んで暴れていたが、周りの音が落ち着いたところで解放してやる。温泉の装飾が崩れたことで外気が大量に流れ込んできたのか、湯気がすっかり失せていた。そして互いに気づく。鼻同士がくっつきそうな距離で。
「あー、大丈夫か……ってあれ? あの時のお付きの……確かベリータとか言ったか」
「え? ……あ、あの時の失礼な人! 大丈夫ですが……とりあえず、胸に置いた手をどかしてくれませんか」
「ん? 胸?」
「んっ……できればその、手を動かずに速やかにどかしてもらえますか」
「えっ……あ。し、失礼」
腹か肩あたりかと思った、とは言わない。言ったらきっと再び戦闘が始まる。がれきを避けつつ素早く立ち上がる。ベリータも身を起こしたが、すぐさま勢い良くこちらから目をそらし、俺に向かって指を差す。
「……ちょっと! 隠してください……前!」
見下ろすと、いつの間にか唯一の防具が装備解除されている。こりゃいかん。とりあえず手近な大きい葉っぱを拾って当てておく。
その後、気まずい空気が流れたところで騒ぎを聞きつけたらしい従業員が駆けつけ、この場はいったん収まった。
従業員から、貸し切り風呂の部屋を間違えて伝えてしまったことが皆の前で伝えられた。恐縮しきりの従業員が何度も頭を下げつつその場を去ってから、当事者同士向き合った。
「早とちりをしてしまって、本当に申し訳ない」
聞かされたベリータはため息を一つ付いてから、頭を下げてくれた。隣ではシルヴィも軽く頭を下げる。湯煙の向こうにいたのは彼女だったのか。
「いや頭を上げてくれ。誤解が解けたのならそれでいい。互いにケガも無かったんだし、もう水に流そう」
温泉だけに。という言葉はグッとこらえた。おやじギャグは嫌いなのだ。
「我の誘いを袖にして一人で温泉に入ろうとするからじゃ。まさに天罰じゃの」
クロエはプリプリと怒っている。そんなに俺と入りたかったのか。すまないことをした。もっとも、そのようにアピールされたとしても多分入ってなかったと思うが。
それよりというか、やはり気になるのはエリーさん。表情を盗み見ると、なんと穏やかに微笑んでらっしゃる。それが一段と恐怖を駆り立てる。怖い。
「では互いに誤解が解けたところで、わたしたちの婚儀の日取りを決めましょうか」
えーっと、ベリータさん? ちょっと何言ってるかわかんない。だがただ一つ、これだけはハッキリわかる。嵐の予感しかしないってとこ。




