5 思惑、うごめく
「さてトラントフ卿。貴殿は敗れた。速やかに縛に就かれたい」
トラントフ子爵はしばらく押し黙っていたが、ひときわ深いため息を一つ付くと小さく頷いた。
「さすがは竜を統べる者といったところか……完敗だ」
ようやく罪を認める気になったのか、そのまま抵抗することなく捕縛され移送された。
「今回は私、出番無かったわね」
その様子を傍らで見ていたエリーが隣で笑った。
「そうでもないさ。下調べで色々動いてくれたじゃないか。助かったよ」
「そ、そう? じゃあご褒美。忘れないでね?」
「ウチもだかんね? 何にしようかな~?」
そこにミミがエリーの背に覆いかぶさるように顔を出した。
エリーがよろめきつつも妖怪おんぶ狐に対し文句をつける。
「ちょっとミミ、重いっ」
「えー? いいじゃん。てか重いって何気に失礼じゃね?」
「重いんだからしょうがないじゃない、っていうか暑苦しいからさっさと離れ……っ! あっ、やあっ、ちょっとどこ触ってんの」
「えー? にひひー。いいじゃん、毎晩誰かさんにいっぱい触られてるんでしょー? ちょっとぐらいへーきへーき」
「よくないぃっ! それに触られてもないからっ、も、もうやめっ、やめてぇ」
いやあ、二人も仲良くなって、ホント良かったなぁ。余計なものは見ないよ? 何たってボカぁ王国紳士だからね。
ひとしきりじゃれ合っていたが、最後はエリーがしびれを切らせて尻尾を掴んだところで大人しくなったようだった。
「し、子爵が居たので中断せざるを得ませんでしたが……素晴らしい技ですね、『竜術』というものは」
「ん? そうじゃろう、そうじゃろう。我と眷属の一部しか使えぬ秘術じゃ」
エリーの質問にまんざらではない様子のクロエだが、この後の展開がわかり過ぎて今から噴き出しそうになる。
「あの、どうして今のタイミングで使えるようになったんですか?」
「えっ!? いやー、そのー……うん、あれじゃ! ありていに言うとじゃな」
途端に目が泳ぎ出す伝説の古竜様。装甲が紙すぎる。
「クロエ様……?」
「ええい、もう、ままよ! 使い方教えるの、忘れとった! あはは!」
「わすれ……てた?」
「いやぁ、契約をした辺りで教えてたつもりだったんじゃが。あのとき色々ゴタゴタしとったじゃろ? すっかり忘れとったんじゃ、教えるの。……えへっ♡」
「えへっ♡、って何なんですそれ……」
エリー……クロエの動きまでトレースしなくてもいいんだぜ……?
しかしクロエがやったら腹が立つだけのあざとムーヴも、エリーがすると破壊的に可愛いのはなぜだろう。
「まあまあ、今はこうやって使えるようになったんじゃからいいではないか~。いや昔からおかしいとは思っておったんじゃよなー? 『なーんで主は竜術を使わんのじゃー?』とな。いや、使わんのではなく使えんかったとは。いやはや参った参った!」
あっはっはー! と開き直って高笑いするところ、やはり相変わらずな俺様クロエ様だった。
「でも竜術って、翼竜でも使える者は限られているのですよ。私やライザも使えないくらいで。それなのに人の身でありながらそれを成すなど、やはりご主人様はすばらしいですわ。尊敬いたします」
エルザがキラキラと瞳を輝かせながら褒めてくれるの、控えめに言って大好きだ。時々でいい。そうやって思いっきり甘やかしてくれ……!
「そうだよねー。これもしかしたら、ご主人様の種を貰ったら竜術を使いこなせる子供が生まれるかもね?」
んんっ? ライザ、そういう話題は、ちょっとおじさん、苦手だぞ?
「あらライザ。あなたそんな打算でご主人様にお仕えしているというの? 私はそんなことにかかわらずお慕い申し上げているというのに」
「まーたそうやってお姉ちゃんすぐいい子ぶるー! どのみち種は貰うんだから、どうせなら強い子がいいっていうのは女としては当然でしょう?」
「うーん、そう言われれば確かにそうね……ふふっ、楽しくなってきましたわね」
エルザ、そこで納得しないで……! それに展開が、不穏……!
「はあ、もう……。ところで、他にもあるんですか? 竜術? って……」
エリーは一瞬困ったような表情を見せため息をついた。気になることでもあるのだろうか。相談に乗れるものなら、あとでそれとなく聞いてみるか。
「ん、まぁまだあるぞ? 我が与えられるのは風属性だけではあるが、単体特化とか設置型とか。それに威力についてもさっき主が使ったのは中伝。さらに奥伝、皆伝、極伝と続くの」
「魔法とは別物なのでしょうか」
さすがエリー。自身も魔法を操る者として、探求心がもたげてしまったか。俺は気にも留めなかったのに。だが、これは簡単に終わりそうにない話なんじゃないのか……?
「うむ。結果としての現象は元素魔法と変わらんのじゃが、作動機序が異なっておっての。おぬしらが用いる魔法とは、術者周囲に存在する『いわゆる魔力』と呼ばれるリソースを用いるのに対し、竜術を始めとする……ってなんじゃ、主」
「その話、すぐ終わるか?」
「んー……終わらんな。エリーよ。すまんが続きは夜じゃ」
独り言で「人の身でどこまで耐えられるか、楽しみじゃのう」などと物騒なことを言っているので、ほどほどにしてもらおう。そうしよう。しかしそういうの、聞こえないように言おうな!
「若い頃に知っていれば、もう少し仕事が楽だったかもな。ホント肝心なところが抜けてるよな、クロエは」
「なぬ? せっかく教えてやったのに何じゃその態度は! もう教えてやらんぞっ」
そんなこと言いつつも、しばらくすると別の技についての説明を始めるんだから、よほど竜術を使えることが嬉しかったのだろう。
その後、駆けつけた近衛騎士たちに邸内をくまなく調べさせた。その結果、郊外で盗賊を使っていた証拠となる書きつけ、窃取した商人の荷物の目録、外部の商人との取引記録などが見つかった。どうやら盗品をそれとわからないようにして横流ししていたようだ。強奪された商人に来てもらって盗品の照合と実行犯の人定をすれば裏付けも取れるだろう。
「ホント、正直ショックですよ私は」
来るなりギルバートがぼやきだす。
「なんだよ来るなり。開口一番愚痴ってのは、気分悪いんでやめてもらえますか」
いきなり不機嫌なギルバートくんに抗議を入れるも、ご本人は怯む素振りもない。
「いや言いたくもなりますよ。来たらあらかた終わってるんですもん。そりゃね、陛下たちが強いのは十分、ええ、じゅーぶん解ってはいるんですけれどもね? ちょっとは我々もいいとこ見せたいかなっていうかね、アイデンティティってやつがね」
あれ、コイツ案外面倒な奴だな?
「あー、うん。じゃあほら。次はしっかり働いてもらうから。それならいいだろ?」
「本当ですかぁ?」
「本当、本当。んじゃ、早速今日の調査の結果、聞かせてもらおうかな!?」
言葉の通り気を取り直して、という奴だろうか。それからはいつものギルバートに戻った。
「しかし、いくら考えてもやっぱり解らないのが物盗りの対象ですよ。領内の者だけ、というのがどうにも腑に落ちなくて」
ギルバートが首をひねりながら疑問を口にする。
「それは領民でない者を襲えば他の貴族が調査に乗り込んでくるからだろう?」
俺の言葉にエリーが反応する。
「それはそうかもしれないわ。けれど領民から奪えば領地は痩せるし、商人だったら別の街に逃げ出してしまう恐れもある。そもそも割が合わないのよ」
「うん。それは俺も考えた。長期的には悪手に過ぎる行為を、奴はなぜ実行したのか。その理由がわからない。……ってギル、その手にあるのはなんだ?」
「あっ、そうでした。暖炉の中に落ちていたのですが気になって」
「……紙の切れ端がどうした?」
「ええ。ここ、見ていただけますか」
パッと見ただの燃えた紙の切れ端。だがギルバートが指さす先には何やら紋章が刻まれていた。
「これは……帝国の?」
「ええ、連中が公文書に用いる紙、ですねこれは」
残念ながら肝心の書きつけの部分はすべて燃えており、判別できるのは紋章のみだった。
「この際内容は置いておこう。問題は、この紙がなぜここにあるか、だ」
財務卿から届いた橋の一件といい、今回の件といい、どうにもきな臭い。短期的に荒稼ぎすることが目的だったのか? 領地を焦土にするという、デメリットが余りにも多い手段で?
トラントフ子爵家の財務状態も調査する必要がありそうだが。
「もしかしたら、案外この燃えカスが関係しているのかもな」
ギルバートの手に乗せられた紙片に周りの者の視線が一斉に注がれる。悪事を働く貴族への懲らしめのつもりで始めた今回の件。意外な方向に転がる予感に、暗澹たる気持ちとなった。
◆◆◆
――豪奢な馬車が、夕闇迫るレイオットの街をゆっくりと走る。
「すまん、通り過ぎてくれないか」
目的の屋敷にそろそろ着こうかというところで、近衛長が御者に停まるなと命じた。馬車はそのままのスピードで目的地である領主――トラントフ子爵の屋敷を素通りする。
「どうかしたんですの?」
「恐れながら姫様。少し様子がおかしいもので」
「様子が? 何がおかしいと?」
外の様子を気にするように窓枠に手を掛けたとき、近衛長が制止する。
「いけません、馬車からお顔をお出しになりませぬよう。……門扉が外されています。また先日と門番の様子が違います。それに数も多い。本日の会談は中止いたしましょう。……ブリゼ少尉」
近衛長が私の隣に座る、町娘に扮したベリータに目を向けた。
「周辺の調査を命ずる。我々は一旦宿に戻る。報告はそこで」
「了解」
「ベリータ。くれぐれも気を付けるのですよ」
「ありがとうございます、シルヴェーヌ殿下。これも任務ですので。では」
ベリータはニコリと一度笑った後、近衛長に頷く。少し離れた場所で止めた馬車からスルリと降りると、あっという間に街の雑踏に消えた。
イザベル・オシュデ・ブリゼ――ベリータは物心ついたころから私の護衛を担当してくれている。参謀官僚を父に持つ、帝国軍の少尉だ。
もともとブリゼ家は歴代優秀な士官を輩出する、由緒ある武官の家。
けれども私は彼女のことを一度もただの護衛部隊の一員と思ったことなどない。かけがえのない大切な友人。ベリータは大事な、唯一心を開いて話せる親友なのだ。
「シルヴェーヌ殿下。あまり感心しませんな」
「なんです?」
「少尉のことです。あまり深入りされませぬよう」
ああ、あなたが言いたいこと、わかってましてよ? 近衛長。確かに彼女は貴族とはいえ所詮子爵の二女。おまけに士官になりたての少尉。私とは立っている場所がそもそも違うと、そうあなたはおっしゃりたいのよね?
……オルレーヌ帝国、第二皇女。シルヴェーヌ・シャルロット・バーデル。この名前と肩書、捨てたいと思ったことは一度や二度ではありません。その度に支えてくれたのが他ならぬベリータなのですから。そう易々と、なかったことにできる関係ではないことくらい、あなたにだってわかるでしょう?
「――忠告ありがとう。もっとも、あなたに言われないまでも、皇女としての分別は持っているつもりでしてよ」
流れる車窓から街の様子をぼんやり眺める。こんな辺境の田舎街でさえ、あのように治安の悪い状態だとは。助けが入らねば、危うかったかもしれない。
「しかしこの街の治安は、いったいどうなってるのかしら」
「は、それにつきましては、面目次第もなく」
「ああ、別にあなたを責めているわけではありませんわ。不意打ちで麻痺毒など、想定するのも対処するのも難しいでしょう。それに元はと言えば私が無理を言って手勢を従えずに夜の街を回った結果ですから。実際あなたたちはよくやってくれています」
「そんな、恐れ多い。街の真の姿をご覧になりたいというそのお心こそ貴い。まさに上に立つ者の心構えといえるでしょう。今はそのお言葉だけで十分」
「治安も大事ですが、根底にあるのはこのような状態を放置している政治。それこそが問題ですわ。……やはり噂は本当だったと言わざるを得ないでしょうね」
「おそらくは。早急に計画を進め、民を救わねばなりませぬな。これはシルヴェーヌ皇女殿下。あなた様にしか成し得ないことでございます」
やはり愚王を育む地からは愚王しか産まれない。元凶を打ち倒さねば、王国の民を救うことは敵わない。せいぜい惰眠を貪っているといいわ。
未だ見ぬ愚王の姿を思い描きつつ、その首を刎ねる日を夜ごと夢見る。
「……ウォーレナ……グレンヴィル」
――馬車は土煙だけを残し、夜の帳に消えていく。




