1 夜の路地、場違いなお嬢様
第二部始めさせていただきます。
よろしくお願いします!
その女性は飲み屋街の裏通りにはいささか場違いなドレスをまとっていた。そして夜の暗闇にあってなお場違いに、涼やかに煌めく髪をなびかせる。
そこでおよそ場違いなセリフを俺たちは聞くこととなった。
「助けていただいたことには感謝しております。しかし『亜人』に頭を下げろというのはいかがなものかと。……あなた様はご自宅のペットに頭をお下げになったこと、今までにありまして?」
こてんと首を傾げた彼女は、あくまでも無邪気に、息を吐くように言ってのける。
正体がわからない、やたら身なりの良い女性。その不思議そうにまっすぐ問いかけてくる視線を正面から受け止めたとき、戦慄が走った――
トラントフ子爵領、レイオット。ノーウォルドからは東に位置する街だ。ここにはある目的のためにやってきた。それは最近、この街の周囲で出没する盗賊団と目される存在について調査するため。実はつい先ほどから始めたところだ。
始めてしばらく経った頃合い。酔っ払いと客引きとの下卑た会話が繰り広げられる夜の盛り場を歩く最中、不意にミミが袖を引いた。
狐人族の彼女は夜目が利き、聴覚も鋭い斥候。聞けばどうやら人が襲われているらしい。駆けつけてみると路地の奥で女性が二人、男どもに囲まれていたので助けた。
不埒な下衆どもを衛兵に引き渡し、一息ついていると二人の女性が近づき深々と頭を下げた。そのうち身なりのより良い方が口を開く。彼女が主人なのだろう。名をシルヴィと名乗った。助ける直前まで下衆どもとやり合っていた威勢のいい方はベリータと言うらしい。
シルヴィは商家の娘で、この街には父親の名代として取引にきたということだ。
彼女ら二人は年のころ二十に届くかどうかぐらいか。エリーと大差ない気がする。二人とも方向性は異なるが仕立てのいい服に身を包んでいる。シルヴィはいかにもお嬢様といったドレス姿。対するベリータは冒険者然とした出で立ち。
見れば供の用心棒も汚れているが、それなりに良い服に身を包んでいる。先ほどまで毒の影響で昏倒していたせいか、まだ満足に動けないようだ。護衛のくせに情けない、と切って捨てるのは簡単だが、毒の吹き矢でも射かけられたのだろう。運が悪かった。
改めてシルヴィが深々と頭を下げてから口を開いた。
「この度は危ないところを助けていただき、何とお礼を申し上げてよいのか」
「ああ、お連れさん、大丈夫だったかい」
すり寄るミミをなだめながら言葉を返すと、やわらかな笑みを浮かべつつ言葉を継いだ。
「はい、そちらの司祭様に回復していただき、大事なく。解毒までしていただき感謝の言葉もございません。さぞ高名な方とお見受けしますが。あの、お名前を頂戴しても?」
「エリーです。たまたま通りすがっただけですし、仕事なのでお気になさらず」
司祭である彼女にとって人助けは当然の義務の一つ。……といつも言ってはいるが、なかなか率先してできることではない。
「そうは参りません。神に仕えし高貴なお方に不義理を働いては父に申し開きができません。せめて感謝の言葉と、機を改めまして寄進を納めさせていただきたく」
「でしたらこの子に礼を。雑踏の喧噪からあなた方の戦闘の音を聞き分けなければ、助けにも行けませんでしたから」
エリーは丁寧ににっこりとミミを指し促す。だが相手の反応は予想を少し外していた。
「はあ。しかし失礼ながら、こちらは『亜人』……でございますわよね?」
ミミとエリー、二人の表情がすこしこわばったのを感じた。
「……そのおっしゃり様は少し気になるのですが。それが何か?」
エリーが不快そうに返す。
「いえ、助けていただいたことには感謝しておりますわ。しかし『亜人』に頭を下げろというのはいかがなものかと。……あなた様はご自宅のペットに頭をお下げになったこと、今までにありまして?」
こてんと首を傾げた彼女は、あくまでも無邪気に、息を吐くように言ってのける。エリーが口を開こうとするのを手で制し、ミミを抱き寄せ割って入る。シルヴィが俺を見上げるような格好になった。
「悪いが今夜の功労者はこのミミだ。助けてもらったら礼を尽くすってのは、ガキだって知ってるお作法だと俺は心得てるがな」
彼女はまっすぐ俺を見つめる。オリーブ色の大きい勝気そうな瞳。ずいぶん目鼻立ちが整った美人タイプのお嬢さんだ。緩くウェーブのかかったライトグリーンの髪とあいまって、なるほど名前どおりの人だと感じた。
突然割って入った俺の言葉にも臆することない、微笑みを浮かべ余裕すら感じる表情で彼女は続ける。
「確かに。これは失礼いたしました」
シルヴィは軽く会釈した。理解してもらえただろうか、ホッとしたのもつかの間、再び口を開いた彼女の言葉に、驚きを禁じ得なかった。
「あなた様がこちらのご主人、ということですね? 良い従者をお持ちです。さぞ名のある冒険者の方と」
「ちょっと待ってくれ。だからなんでそうなる」
従者ってどうしてそういう発想になるんだ、こいつは。
「は?」
彼女は首をかしげる。俺の言っている意味が解ってないらしい。俺に礼を尽くせ、と言ってるとでも思ったのだろうか。
「ミミは従者でもない。そういう言い方はよしてくれるか」
「そう、でございますか。ではどのように」
「ミミは俺たちの仲間だ。エリーからもあったが、礼はコイツにしてやってくれ」
「それは……困りましたわね。どうしましょう」
「なにが困ることがある?」
「はい、普通『亜人』には銀貨以上の貨幣を持たせることはしません。過ぎたものですから。ですのでこの場合はご主人……ではなかったのですね、リーダーの方にお渡しするのが適当かと。こちらには後で褒美を施して差し上げてくださいまし。あいにく手持ちが心もとなく、形ばかりではございますが」
途端に怒りが込み上げてきた。こいつの差別意識は相当なものだ。それも住む世界が違うレベルで。
こんな端金、受け取れるか!
「……金が欲しくてやったわけじゃない。いらねえよ」
そういって小さな革袋を差し出すのを押し返す。
「なっ、それはさすがにお嬢様に失礼ではないだろうか!」
シルヴィの脇から横やりを入れてきたこちらも中々に勝気な雰囲気の女性だ。モスグリーンのショートカットが怒りに震えるかのよう。ダークブラウンの切れ長の瞳は、やはり俺を射抜かんとまっすぐに視線をぶつけてくる。なんともはや、血の気の多いことで。
「ベリータ、とか言ったか、嬢ちゃん。ならこちらのお嬢様が、俺の大事な仲間に投げつけた『お嬢様のお言葉』は失礼じゃあないのかね?」
「おっ。……お嬢様は事実を言ったまで」
ベリータはたじろぎながらも反論する。ウソやハッタリが苦手な人種のようだ。
「そうかい。お嬢様に対し、大変恐れ多いことで恐縮だが言わせてもらおう。……オルレーヌ帝国でどう呼ぶか知らんし興味もないが、王国は違う。人とそれ以外に貴賤はない」
「……なぜ我らが帝国の者だと?」
シルヴィがふわりと問うた。その態度もまた気に入らない。
「狐人族にそんな不遜な物言いをするのは帝国の高貴であらせられるお方以外、存じ上げないからな。と、いうわけでお嬢様たち。もう遅いから、伸びてる奴連れて早いうちに宿に引っ込んだ方が……身のためだと思うがね?」
そういって大げさに周りをぐるりと見てみれば、すでに幾人かの風体の怪しい新手の連中が、ギラギラとしたぶしつけな視線を彼女たちに投げかけている。
「……そのようですわね。本当にこの国は聞いていた通り、洗練されていないご様子。この御恩は改めて、いずれ必ず」
うやうやしくお辞儀をするシルヴィを尻目に手を振る。
「あー、一切忘れてもらって結構だ。それより衛兵について行ってもらうことをお勧めするよ。アンタの言う通り洗練されてないから、チップも忘れずにな。それじゃあ、よい旅を」
シルヴィたちの反応を待たずにその場を後にした。しばらくは黙って三人で歩く。
二つ角を曲がって短くため息をつく。そして多少なりとも傷ついたであろう、仲間を気遣うべく振り返る。
「ミミ。すまないな、せっかく見つけてくれたのに」
「ごめんねミミ。帝国ではああいう考えがまだ横行しているけれど、王国は」
「二人ともありがと。でも大丈夫、慣れてるし。そんなことよりさぁ」
そういってミミは俺の腕に絡んでくる。ちょいちょい、歩きづらいだろが。
「『大事な嫁』っていうのはホント!? ウチのこと、そんな大切に想ってくれてるの!?」
「……嫁とは言っていないと思うが?」
「一緒のことだよう。あーもう、ウチたまんない。もう宿に帰ろ? んで今夜は一緒に寝よ? いいよね?」
「また始まりましたか……この瞬間発情娘。私の『ごめんね』を返しなさい」
エリーさんの瞳から光が失われた。
「えー? いーじゃん。アタシさっき心無い言葉浴びせられてぇ、今とっても傷心なんよね。ダンくんに慰めて欲しいっていうかぁ、ぬくもりがガチ目に必要っていうか?」
「なんでそうなる? いやまあ、連中のさっきの物言いは確かに腹立たしいものではあったが、それがなんで『一緒に寝る』につながるんだ?」
ミミは胸を俺の腕に押し付けると、唇を尖らせた。うん、物足りなさは若干感じるが、十分やわらかい。
「ガチ必要だし。それにー。さっきダン君、ウチのこと抱きしめてくれたじゃん。もっともーっと、ギュッてして温めて? ベッドの中で!」
「それとこれとは話が違う……というかこれはもう、処すしかないですね……!」
わかってると思うけれど。エリーが棍棒を取り出したからさ、そろそろ落ち着こっかぁ!?
そんなこんなで騒がしく宿に戻った俺を待っていたのは、他の仲間たちと一通の封書。
近況報告と……財務卿からの『王の決裁が必要な書類』だ。
どうせなら、ラブレターとか色気のある方がよっぽどいい。内心うんざりしながらペーパーナイフを差し入れた。