40 思惑と愛憎
「いよいよ決行する。数日空けるが待っていてほしい」
パトリック様が言い残し部屋を後にしたあの日から四日後。王が討たれ、帝国軍が接近しているという知らせが届いた。
正面が見える部屋に急いで階下を見下ろすとすでに帝国軍の軍旗が、そしてパトリック様のお姿が見えた。彼の成功、そして私の時代の到来を確信した瞬間だった。
王族や重臣は逃げる間もなく次々に捕らえられ、地下の牢に収監されたらしい。
まもなくパトリック様の言伝として「罪人を裁くにあたり、数が多く確認に時間がかかっている。タリン姫に身元確認を手伝ってほしいので地下の牢まで来てほしい」と連絡が入った。
城の地下。じめじめして普段は絶対に近づかない所だけれど、今日はこの腐った国を変える特別な日。このような気味悪さなど来る時代の変革のためのちょっとした試練のようなものだ。
帝国軍人に固められた地下牢の入り口をくぐるとより一層陰鬱さに拍車がかかる。時折あわられる水たまりに辟易しながら進むと一つの牢の前に案内される。
「パトリック様!」
そこには柔らかな笑みを浮かべた愛しい彼の姿が。
「やあ、タリン姫。ご機嫌麗しゅう。大成功だったよ」
「おめでとうございます、パトリック様」
ひとしきり抱きしめあう。
「タリン! これはいったいどういうこと!?」
そんな中、割って入るように牢の中から見知った声が響いた。
「どうしました、姉上? そう驚くことでもないでしょう。腐った国を粛正し生まれ変わらせる、そのための必要な作業ですわ」
「作業……ですって?」
「あはっ。なんて顔されるのですお姉さまぁ。まさか『なんで自分が!?』とか思ってたりしますぅ? 残念、この結末は最初から計画されていたことなんですのよ!」
そう。すべてはパトリック様が中心となって計画した帝国による王国占領計画。
貧乏貴族の養子という地位を金で買い、時間をかけ宮中伯として周りに浸透、腐敗した政治に不満を持っている貴族、議員、騎士などの賛同者を秘密裏に集めた。特に帝国から王都までの「回廊」となる貴族は脅迫と領地安堵をちらつかせ、重点的に懐柔した。
また各騎士団を弱体化、あるいは戦線を「創出」し張り付かせ、王城周辺に真空状態を作り出す。王家直轄の騎士団は厄介な存在になり得たからだ。
今回機が熟したころを見計らい決行。
王を警備が手薄な妾の家で暗殺、その後の混乱に乗じて城を占拠、王族並びに王政派を捕らえる。しかし妾までパトリック様が準備した駒と聞かされた時は正直戦慄した。
――騎士団は動けず、ここまでは順調に推移している。
「そして帝国の庇護の下、新たな王国として初代女王としてこの私が王位に就くことになっているのよ。何も知らずに呑気にサロン遊びに興じていたお姉さまがたには申し訳ありませんが、今後はそのように」
「タリン。ほとんど把握しているんだけれど、誰かわからない者が数人居てね。すまないが教えてほしいのだが」
「わかりましたわ、パトリック様」
そしてそのままその場を後にする。背後でキーキー喚いている女どもがいるけれど、知ったことではない。が、あまりにうるさいので牢の前で警備をしている者に声をかける。
「そこの人。牢の中がうるさいから静かにさせて頂戴。不快だわ」
いつの間には牢は静かになっていた。うまく大人しくしたのだろう。手早い仕事は好ましいわね。
二時間ほどで不明だった連中の確認作業が終わった。命乞いをする者、口汚く罵る者、憐れむような表情を浮かべる者、達観したような者。対応は様々だ。大事の前の小事。気にするほどのことでもない。
「……よし、これでわからなかった関係者の人定は終わった。ありがとう、助かったよ」
何かの帳面をパタリと閉じ、深く息を吐いてパトリック様が安どの表情を浮かべた。
「お役に立てて光栄ですわ。それであの、次は何をすれば」
「そうだね、あとは……」
パトリック様は思案するように視線を巡らしてから頷いた。
「うん、手伝ってもらう仕事は終わりかな。じゃあタリン、最後に」
「はい、何なりと!」
するとパトリック様が私……の後ろを指さす。
「そこに、入ってもらおうかな」
「え?」
「だから。牢に入ってくれるかな?」
彼はあくまで穏やかな表情で理解に苦しむ発言を繰り返す。
「え、ちょ、どういうこと、ですの?」
突然パトリック様の表情が、すうっと冷たいものに変わった。ゾクリと背中に冷たいものが走る。
「どうもこうも、君も王族じゃないか。……私の敵だよ?」
気づけば両脇を兵に囲まれていた。
「な、なんなのですお前たち、無礼ですよ! 私は次の女王となるっ」
あっという間に牢屋に放り込まれる。ガシャリと背後で冷たく重い金属音が響く。
「……これはどういうことですか、それに手荒に扱って! 私のお腹には」
「そんなの。もうとっくにいないでしょ?」
「え? ……そ、それは」
「知らないとでも、思った?」
まさか、パトリック様に気づかれていた? そんな……どこから?
けれどそんな疑問を、彼は明確に晴らしてくれた。
「私が侍医に堕胎薬を処方させたんだから、当然の結果だよね?」
直後頭のなかがぐちゃぐちゃになる。
「だ、だたいやく? そんな、では、最初から」
彼はため息をついてから腕を組む。冷笑を浮かべながら私を見下ろす。
「薄汚れた血の尻軽女との子なんて欲しがる奴がどこにいる? ……いやこれはあまりに本音が過ぎるか……うん、政治的不安定を招くような子の存在は好ましくない。これは極めて高度な政治的判断なんだ。理解してほしい」
「う、うそ。うそよそんなの。……だましたの? 私をだましてたのね!?」
「騙すなんて人聞きの悪い。君の言う通りさ。この結末は最初から計画されていたこと。ハナから君のことはあくまで手段。目的はただ一つ」
彼の表情がニタリと歪む。怖気がたった。
「あのウォーレナを城と騎士団から追い出すこと。それが計画完遂には必須だったからね」
ウォーレナ。ここでなぜあの男の名が。
「奴が率いる北鷹騎士団は本計画を阻害する最大の障害だった。むしろ奴の騎士団が存在する限りこの計画は永遠に実行できない。なぜだかわかるか?」
「――守護竜。クロエとかいうトカゲでしょ」
事あるごとにバカにしてくるあのチビ。本当に忌々しいトカゲ。
「はっ、浅学もここまで来ればいっそ清々しい。自国を守護する偉大なる竜をあろうことかトカゲ呼ばわりとは。でもまあ正解。経緯はついぞわからなかったが、なんと南天の古竜はウォーレナと主従契約を結んでいるというではないか。初めて知ったときはなるほど、あの化け物じみた強さはそこから来ているのかと合点がいったものだよ。同時に狂喜したね」
「ど、どうして」
「わからないかい? つまりだ。厄介なウォーレナさえ排除すれば併せてさらに厄介な守護竜もいなくなる。最大の障壁はこれでなくなるわけだ。ではそれをどう実現する? ……功績もある、人格的にも問題ない、経歴に傷もない。要は追放するネタがない。それに殺しても死にそうにない彼のことだ。戦場で戦死、なんてことを期待するのも分が悪い」
そして再びいつもの笑顔でこちらを見る。
「そこで君だったわけだ」
いつもの笑顔、のはずが今ならわかる。これは仮面の笑みだったことを。
「まさか……そのためだけに私と……?」
「いや議会での調略も骨が折れたよ。普通なら君を廃せばいいだけのところを、ウォーレナを追い出すほうに持っていくの、ちょっと大変だったんだよ?」
「ふ、ふふ……じゃあ私は、とんだ道化ね」
「君は実によく踊ってくれたよ。感謝している。ありがとう。……さ、おしゃべりは終わりだ。さよならタリン。……永遠に」
そしてパトリックは背を向け歩き出す。
「ふざ……けないでよ」
「はい? まだなにか?」
彼は立ち止まり再び振り返った。その表情はまるで汚物でも見るかのよう。
「ふざけるな! 散々もてあそんで用が済んだらサヨナラ? 冗談じゃない! 私は王女、アンタはタダの宮中伯、立場をわきまえ」
パトリックの表情が醜くゆがんだかと思えば身体に衝撃が走る。
「……かはっ」
彼の持つ剣が深々と胸に突き刺さっている。手がまともに動かない。震える手で刀身に触れる。残酷なほどひんやりとした感触。
「ば……あ、な……た」
「ああ、本当に。本当に愚かな女だ、アンタは」
パトリックは残念そうに首を振る。向かいの牢から悲鳴が聞こえる。うるさい。
「な、にが」
全身から冷汗が噴き出してくる。血が流れ意識が遠くなる。心臓が早鐘を打つ。
「大人しくしておけば多少は名誉が残るマシな死に方を用意してやったというのに」
「ふ、今更、ね」
ぐらりと眩暈がする。痛みも感じなくなってきた。不安が失せていく。心臓が、かつてないほど鼓動する。うるさい。
「確かに今更感はあるかもねえ。ま、こっちも一人分、手間が省けていいんだけどね」
「……呪って、やる。あと一年。いや、ゴフッ……半年。……いや一月。お前を呪い殺して、やるわ。待ってなさ、い」
視界が。暗い。
「そうか。それは楽しみにしてるよ、タリン姫」
にっこりと彼は笑って剣を引き抜き。
「ちっ。剣が汚れた」
支えを失った体はガクリと崩れたけれど、もはや倒れたのか立っているのかすらわからない。
いいや。そんなことはもう、どうでもいい。
絶対、お前を許さない。お前も、一緒に、地獄に。
絶対、あなたを離さない。パトリック。あなたは、私の……
そして私は永遠の白い暗闇に落ちていく――




