35 慌てるクロエとバカな提案
「クロエ!!」
思いがけなく大きな声となってしまい、この場にいるもの全員が息をのむ気配がした。
「……なんじゃ」
クロエは言葉を止めゆっくりとカップを置いた。
「そんな悲しいことを言わないでくれ。確かに俺は騎士をクビにはなった。なんでだって思ったよ。浮気した奴はお咎めなしで俺は追放なんて馬鹿げてる、なんでこれだけ国のために尽くした俺が? って悩みもしたさ。けれどな」
深く息を吸う。
「民衆には何の罪もないじゃないか。戦になってまず割を食うのは国民だ。貴族や騎士は彼らの負託を受けて統治している。いざとなれば彼らの盾になるべき存在だ。黙って見過ごすわけには」
「とは言うても主よ。何度か言うておるがお主はすでに」
「わかってる! 自分がクビになったってことぐらい。けどな、そんな簡単に割り切れるかよ! 民衆には色々助けられた。物質的なものだけじゃない、精神的なものもとても大きかった。彼らがいたからこそ俺はあんな掃きだめのような戦場で今までやってこれたんだ」
そうだ。そもそも俺が騎士になった理由。
「俺はこの国が好きなんだよ。やさしく、俺たちを信じて支えてくれる民衆が。美しい国土が。だからクロエにはそんなこと言わないでほしい。じいちゃんと、俺の両親が命を懸けて守ったこの国のことを、そんな悪く言わないでくれ。たのむ……!」
じいちゃんや両親が愛したこの国を守るために、俺は騎士になったんだ。それなのにこの言われようはかなり堪える。俺はクロエに頭を下げる。
「あえ? や、参ったの。そんなつもりで言っていたわけでは、いや頭を上げておくれ主さまよ。我こそすまんかった、言い過ぎた」
ガタリと椅子が動く気配がした。クロエが立ち上がりでもしたのだろうか。速足で近づく気配がした。こちらに彼女が来たようだ。顔を上げるとクロエの泣きそうな表情が一瞬見えたかと思うとそのまま頭を抱きしめられた。
「よもやこの事をお主がそこまで気に病むとは思うておらなんだ。ただお主があまりにも不憫なゆえ、協力する気が起きなんだだけなのじゃ。じゃからお主が望むなら我も再び力を貸そうぞ。だから、その、な? 許してほしいのじゃ」
抱きしめられながら頭を優しくなでられるに任せる。というか抜け出せない。
わかってはいた。俺のことを気遣って、心配しての行動だったということは。
けれどそれではこの国が本当にダメになってしまう。
「ああ、まだ怒っておるかの? どうしたものか。許してはくれぬか? おっぱい揉むか?」
お前はこの期に及んでそんな発想をするのかと思ったら自然と笑いが出た。
突然俺が笑い出したのが不思議だったのか、クロエが抱きしめる力をゆるめ俺の表情をうかがう。
「ふはっ。なんだよ、揉むかって。今言うことかそれ? ……わかったよありがとう。クロエの気持ちは十分伝わった」
「では……許してくれるのか?」
見下ろす格好でクロエは尋ねてくる。彼女の流れる髪が頬にかかりくすぐったい。
「許すも許さないも、俺のことを思っての行動なんだろ? うれしいよ」
クロエは一瞬表情をくしゃりとゆがめたかと思えば途端に柔らかな表情に変わった。かと思えばごく自然にキスされた。
!?!?
誰かしらの短い悲鳴が聞こえた。
クロエとの口づけはほんの一瞬だったかもしれないがその場にいる者たちへの効果としては抜群だったようだ。
クロエが俺のくちびるを撫でながら囁く。
「今更じゃが……お主と我の契約は使役契約。この身はお主のものじゃ。我はお主の命が尽きるまで、お主とともに戦い、守り、慈しむことを改めて誓おう。好きに使うがよい」
「……ありがとう、でいいのかなクロエ。上手く言えないけれど、よろしくな。でも人前でその、今みたいなのはやめてくれ」
「おや。では誰もいないところじゃったら良いのか? それは好都合」
「いやそれも勘弁してくれ」
ではせめてもう一度、と彼女は再び口づける。このバカ力に抗せるはずもなく、俺は甘んじて受け入れるしかない。アプリコットのような甘い香りに眩暈を覚える。
人前ではやめてくれと言った端からやるんだからこの人は。
ライザの大き目な咳払いで場は我に返る。
「御館様。ここは衆目もございますから、どうかお控えください」
ふん、無粋よの、とクロエが不機嫌そうに離れる。助かった……。
「あ、そうじゃ主よ」
「……今度はなんだ?」
「好きに使えとはいうたが……痛いのはイヤじゃからな? やさしくして、なのじゃ」
「あのな……なにいってんの? じゃあご要望通りこき使ってやるよ」
「ウチの主はブラックじゃのう、そう思わんかライザよ」
しりません、と大きく鼻を鳴らしたライザがこちらに向き直り話し始める。
「ところでご主人様? そもそもの原因はあの姫なわけで」
ライザが身振りを交えながら話しはじめたが……今その話題に行っちゃう? そうじゃな、とクロエも乗ってしまう。
「そうですね、婚約者としてのあるべき行動をとらなかった結果、現状が引き起こされていると考えて差し支えないでしょう」
エルザも顎に手を添えて同意する。みんな乗ってしまうのだ、この話題には。
「でしょ? だからさ、やっぱあのバカ姫の息の根を止める必要はどうしてもあると思うんだよね」
ふんす、とライザが腕組みをしながら力説を始める。
「いやいや思わない思わない! なんでいつもそっちの方向に話が行くんだ?」
そしたら三者三様に俺が不憫だと。もうほとんど吹っ切れてるんだけれどな。
「みんなの思いは本当にありがたいと思うよ。うれしいとも思ってる。けれど相手は腐っても王族だ。下手に手を出したら国家反逆の罪は免れない」
「王家ごとすり潰せば問題解決じゃの」
クロエが意地悪く笑う。
「クロエ、話をまぜっかえさないでくれ。そんなことしてみろ。あっという間に乱世に逆戻り。最後は隣国に好き勝手に切り取られてこの国は終わりだ。お前も隣国の竜と事を構えたくはないだろう?」
彼女はすこし困ったような表情で笑う。
「我らは国家間の争いには関与せんことになってはおるが……そんな口約束守る連中とも思えんしなぁ、確かに面倒じゃな。すまぬ、続けてくれ」
「うん。とはいえこのまま手を出さずにいたらいずれ砦の内側にまで蛮族が侵入してくる」
「グルカ砦から半日くらいの距離には集落も点在しているわ。国民に被害が出ることになる」
エリーはここでも国民のことを気に掛ける。生粋の宗教家だ。
「そうだ。そしてフレンセン辺境伯領、ノイバウアー伯爵領を経由すれば行き着く先は……王都だ」
「辺境伯領には城塞都市があるからまだ頑張れるだろうけど。そこから先は防衛施設なんて代物、先に逃げ出した方がマシ程度しかないんじゃなかったっけ?」
ライザが肩をすくめながら口にする。
「近年の議会制? だかのせいで軍事費が削られ続けているからでしょうね。無策ここに極まれり、かと」
エルザが冷ややかに妹の言葉を継ぐ。
そうだ。辺境伯はもともと主たる任務が国境警備なわけだから、城塞を築いて防備をしている。けれど近年の議会における一部リベラル派の専横により軍備が縮小の一途をたどっている。そういった事情があり国境を接していない地域の貴族は満足に防備を整えられていない。ノイバウアー伯爵もその一人だった。
「ま、放置すればフレンセンのボンボンが落ちれば終わったようなもんじゃな」
クロエが総括した。その通りだ。辺境伯が抑えきれなかった場合、相当深部まで蛮族に食い込まれることは覚悟せねばなるまい。
「そこでだ、俺から一つ提案がある。もちろん俺の想いだけだから、断ってもらって構わない」
ああ、俺は田舎でスローライフを送りたかっただけなんだがなぁ。心の中でデッカイため息をつく。ホントバカみたいだなぁ。
「みんな、国を守るためにひと肌脱ぐ気はないか?」