24 敗戦報告と姫の誤算
北鷹騎士団、惨敗。
突然王城にもたらされたその知らせは、そこに住まう者たちにとって予想だにしなかったものだったに違いない、とおもう。
もちろんそれは私にとっても。
物心ついてから北鷹騎士団が敗れるなんて、小さいころに一度聞いただけだった。その唯一の敗戦の記憶でさえ、さきほどこの悪夢のような知らせを受けた文官が呟くように話したのを聞くまでは思い出しもしなかったくらい。
それほど北鷹騎士団というものは無敗の軍団であり、誰しもこのような日が訪れることなど考えもしなかったことであることは疑いようもないわ。
そんな常勝軍団が負けたというじゃない。しかも格下の蛮族どもに。
その指揮官……騎士団長が片腕を吊った状態で、いま父上――わが王の前に跪いている。
たしかこの男、ギルバートといったか。あの朴念仁がいたころは副団長だったかしら。
「今回の失態。まことに、まことに慚愧の念に堪えません。何卒、汚名返上の機会を」
大の男がみっともなく頭を下げて許しを請う姿は、いつ見ても見苦しいものね。
「うむ。此度の遠征の結果は残念であると言わざるをえん。じゃが想定外の伏兵があったとも聞く。連中がかような知恵を使うこと、我々は想定しておらなんだ。今回は不幸が重なったのじゃと思う。今は傷をいやし、来る決戦に備えてほしい。汚名をそそぐのはその時でよかろう」
父上ったら甘いんだから。こんな恥さらし、何かしら罰を与えるべきじゃなくって?
「慈愛に満ちたお言葉、もったいのうございます。このギルバート、次こそは必ずや我が王の期待を裏切ることなく蛮族どもめを見事討ち果たして見せますことをここに誓います」
あーあ、そんなこと言っちゃっていいのかしら。次しくじったらアンタ、クビよ?
いっそのことパトリック様に指揮をしてもらうってのはどうかしら。ってそうよ! 優秀なあの方ですもの、きっと戦場でも活躍なさることだわ!
そして有能ぶりが皆に知られることになれば。この姉上たちを押しのけてこの子が……!
隣に居並ぶ姉二人の様子をちらと見るけれど、相変わらず何を考えているのかわからない表情でこの場を静観している。
本当、お高くとまって。いけ好かない。
「断られた? ……断られたとはどういうことじゃ、ギルバートよ」
父上の言葉が鋭くなったわね。よく聞いてなかったけれど、断られたって、誰に? 何を?
「は。……これを」
役たたず団長は侍従になにやら紙のようなものを手渡した。
侍従はつい、と父上の元へ進み出てそれをうやうやしく差し出す。
父上は最近弱った目をしばたたかせながらその紙片を読み上げる。
「あー、なに……? 『ウォーレナをないがしろにするお前たちの手助けは二度とせん。命の残り火を夜ごと数えながら震えて眠れ』……!? な、なんじゃこれは。まさか!?」
「は。当職から出させていただいた参戦依頼に対する、守護竜クロエ様からの返信にございます」
守護竜さま? 確か王国の守り神として崇められているドラゴン、よね?
それが参戦を断ったということ? あの朴念仁のせいで?
「な、ウォーレナを、ないがしろに、か……」
「はい。そのため戦力面で不安を抱えながらの進軍でありました。また空からの支援もなかったため、伏兵に気づくのが遅れ……申し訳ございません」
「……いや、そんな状況で死者を出さなかったのはもはや不幸中の幸いといえよう」
「それも団……ウォーレナの功績なれば」
「……そうじゃな。まずは傷を癒すがよい。ご苦労だったな、下がってよいぞ」
役立たずは一礼をしたあと謁見の間を去った。重い扉が閉まる音ののち、途端に部屋は静寂につつまれる。
「やだやだ。一気に陰気な雰囲気になってしまいましたわ。そうだ父上、ここはパーティーを開きましょう。名目はそうね……『戦線” 転進”壮行会』とでも」
「……タリン」
「貴族にも多数参加してもらえばよいでしょう。大々的に行うことにより今回の作戦が予定通り完了したように錯覚してくれるように」
「タリン」
「ついでに次回の出征にはパトリック様にも参戦いただいて」
「タリン!!」
王の大声に思わず言葉を止めてしまった。つい、と王の表情を盗み見るとどうやら機嫌が悪いように見えた。その冷たい視線に思わず息をのむ。
「……はあ。お前のその稚拙な戦略に引っかかる貴族がどこにおるというのか」
なに憐れんだような目でみるのよクソおやじ。ため息までついちゃって、腹がたつ。
お姉さまたちも何よ、なんで小馬鹿にしたような目で見られなきゃいけないの? いくら扇で隠してても嘲笑ってるのバレバレなんだから!
「そうでしょうか? 案外いい作戦かと」
「控えよ。王の前である」
「……」
どこからともなく笑いが漏れ聞こえてきた。
くそ、今日は本当に機嫌が悪いわね。
「タリン姫。此度の件、そなたの責は決して軽くないと心得よ」
「それは、どういう意味でしょうか?」
「わしの口から、言わせたいのか?」
「…………いえ。出過ぎたまねをお許しください」
「では早々に下がれ。ワシは機嫌が悪い」
それは見てわかるわ。
自室に戻る廊下を歩くのも面倒ね。
どいつもこいつもウォーレナ、ウォーレナ!、ウォーレナ!!
ホントうっとうしい。
なによ、結局アイツのせいで今回騎士団は負けたんじゃない! どうせドラゴンにもアイツが何か吹き込んだんだわ!
それにそもそもドラゴンなんてトカゲのおっきいのでしょ? そんな力があるとは到底思えないし、ひょっとしてあの役立たずの騎士団長が負けた理由にでっち上げているってことも考えられるわね。
なるほど、なるほど。
ホント使えない男どもはどこまでいってもダメね。はやりパトリック様に立っていただかなければ。早速今夜にでも相談してみましょう。
しかし今日はなんだか少しおなかが痛むわね……興奮しすぎたかしら……。きっとあんなところに長い時間立たされたからだわ。もう、踏んだり蹴ったりね。
――その夜のことだった。突然の腹痛に襲われた。
同時に感じた下腹部の違和感と、えもいわれぬ喪失感にたまらず侍医を呼び出した。
侍医は脈を取ったり魔法で何やら判定したりと診察を一通り済ませたあと、静かに口を開いた。
「はっきりしたことは現時点では申せませんが……お腹のお子の状態が」
「赤ちゃんが? どうしたというの!?」
「申し上げにくいのですが、非常に厳しい状況であると言わざるを得ません。まずはご安静に。薬をお出ししておきます」
非常に厳しい? まさか赤ちゃんがダメになるということ?
ダメよそれは。パトリック様が、私の元から離れてしまう。
メイドに二言三言指示をした侍医はその場を離れようとする。
「待ちなさい。……今日のこと、他言無用に願うわ」
一瞬怪訝な表情を見せるものの、侍医は一礼したのち部屋を後にした。
メイドたちは気を遣う様子でそわそわとしていたけれど、何かあればまた呼ぶと言いつけて下がらせた。
ベッドに身体をあずけ、どんより暗い天蓋を見上げながら考える。
今は泣きわめいても仕方ない。誰かのせいにしたところで状況が改善するはずもない。
侍医の様子から、おそらくお腹の子はダメなのだろう。受け入れるしかない。
パトリック様はどう思うだろうか。子が居なくなったとなれば離れていってしまうかもしれない。それだけは嫌。
翌朝。メイドを呼び出し告げる。
「侍従長を呼んでちょうだい」
あの人を取られるくらいなら。
なにがなんでも隠し通してみせるわ。