2 新天地と野菜泥棒
「さ、寒い……」
思わず声が出てしまった。いや季節は春だから実際は寒くはないんだが、なんというか。雰囲気がそういわせるのだろう。
途中馬車の故障やら野盗の襲撃やらの影響で三十日、つまりひと月ほど掛かってようやくノーウォルドに着いたわけだが見事に何もない。ここは隣国との国境となる北の山脈、通称『絶界の山脈』のふもとに位置する自然豊かで風光明媚な土地だ。
隣国と接してはいるが山が険しいため侵入しようと互いに思わない。戦略的経済的な意味がないことも手伝って、俺が知る戦史の中でここを軍が越境した記録はない。そのためか人もまばらで牧歌的な雰囲気が漂う。
誰が見てもそういうと思うがそう、いわゆる寒村だ。
俺に回ってきたこの土地は、十数年前ほどまで男爵が経営していた土地らしい。だが税金が払えず逃げ出したのだそうだ。そう聞くととんでもないやせ地なのではないかと舌打ちしたが、よく考えれば今の身分は国に属していないただの自由民。そして治める領主もいない。つまり納税の義務がない。なら自分が食べる分だけ作ればいいのかと思いなおす。
以来空き家となっていた屋敷、というよりちょっと立派な民家にとりあえず落ち着いたのが先週のこと。
その間にやったことといえば、まずは冒険者ギルドへ転居の届。今後魔物資源など手に入れたりしたら、それを売るためにも届けは必須だ。
俺のギルドカードは名前と騎士団所属などの過去を消された作り物の経歴で飾られている。城の文官が鼻歌交じりで捏造したものだ。
国家権力こわ。マジで二度とかかわりたくない。
その一部マスクされた経歴を見るなりギルドマスターのオヤジ、いきなりBランクへの変更を強く勧めはじめ、最後は「頼みます」とお願いしてきたが全力でそれを固辞し、Fランクのままにしてもらった。
なんでもBランクは自らの権限で付けられる最高ランクであるそうな。Bランクになった日には下手に国選依頼など来たら受けざるを得なくなる。こんな辺境にそんな依頼、来るとは思えないが目立つことが何よりまずい。それは是が非でも避けねばならない。
あとは近場の畑を隣の農園のオヤジに借りたプラウと馬を使ってガーっと耕して、ガーっとトウモロコシを植えた。いま植えると夏には収穫できる。何より手入れが楽だ。一人なのでなるべく手が掛からない作物がいいと思い選んだ。
耕していて思ったがやはり荷運び用の馬では力が足りない。近いうちに輓馬と乳が欲しいのでつがいの牛を購入しようと思う。牡牛は借りてもいいんだが今後牛も増やしたいのでこの際だ、一緒に買うことにする。それに牡牛は貸せばコミュニティにも加わりやすい。
そんな感じで市場に家畜を見に来たのだが……なにやら市場が騒がしい。いや、活気のある市場は大変結構なのだが、しかしこれは。
「俺たちじゃないっていってるだろ!? 何度言わせれば気が済むんだよ!」
「お前ら以外に誰がいるってんだ、このコソ泥!」
見れば薄汚れた年端のいかないガキが、例の農園のオヤジに首根っこを捕まえられてバタバタ暴れている。
「信じてください、ボクたちそんなことしません!」
見ればその傍らで同じ年頃の女の子も後ろ手に縛りあげられている。こちらも少々汚れてる。親に捨てられたストリートチルドレンといったところか。
これはかかわったら面倒な奴だ。死んだじいちゃんも言ってたしな。こんな時は見て見ぬふりするに限る。「ちょっと通りますよ……」とばかりに関心が無い感じを全身からアピールしつつ、その場を通り過ぎようと試みる。だがそのとき図ったように放たれた言葉に耳を疑った。
「この名に誓って泥棒なんて真似、決してしていない! だから!」
名に誓って、だと? まるで騎士か貴族みたいな物言いじゃないか。そういう目線で見直してみれば、なるほど薄汚れてはいるがまあまあ上等な服を着ている。どういうことだとそのまま観察していたらちくしょう。オヤジと目が合った。
「お、ダンじゃないか。どした、買い物か?」
「ああ、オヤジさんどうも。先日はプラウをありがとうございました。……な、何か事件ですか?」
聞きたくないがこの状況では聞かない方が不自然だ。まったく、ついてない。
「ん? ああこいつらがウチの畑から野菜を盗みやがったもんだから、いまから自警団に連れて行くところさ」
「だから盗るつもりなんてなかったんだ。嵌められたんだ!」
聞けばオヤジさんの畑から契約した分の野菜を取ってきてほしいという依頼を男から受けた、ということらしい。
「怪しすぎるだろ、そんな依頼。ったくこれだからガキは」
「ガキじゃない、俺にはビルって名前がある!」
噛みつくように抗議するガキ改めビル。うるさいな、狂犬か?
「わかったわかった。んでビル、その野菜はどうやって受け渡す段取りになってたんだ?」
「……町はずれの廃屋で待ってるって」
ばつが悪そうに言いやがって。お前も薄々変なことに気づいてただろ絶対。
「どう考えても怪しいだろそれ。ちょっとは考えろ。ったく……なあオヤジさん。取られそうになった野菜ってどこに?」
「ああ、それならここに。ほらみろよ。いいセロリだけ目が利くもんだよ、まったく」
オヤジさんが傍らの背負い篭を引き寄せて見せてくれる。覗き込むとなるほどキレイなセロリだ。どうやったらこんな立派に作れるのだろう。今度ぜったい聞こう。
ん? ちょっと待てよ。これ、解決したら作り方くらい喜んで教えてくれる流れでは? それに隣の農園で野菜泥棒なんて本当だとしたら次はウチだ。盗られる野菜はまだ育っちゃいないが心配の芽は早々に摘み取るに限る。よし。……俺、天才なのでは?
「んじゃオヤジさん。これ俺が買い取るわ。いくら?」
そういって言い値をオヤジの手に握らせるとビルに向き直る。
「おい、ビル。お前らこれ持って指定された場所に行け。俺はあとからお前をつける」
「……信じてくれるの?」
「ああ、とりあえずな。ただしウソだったら俺がお前を自警団に突き出す。それなら何も問題ない」
「でも、持って行ってどうするのさ?」
「あ? そんなもん決まってる。とっ捕まえる」
もう面倒ごとはまっぴらだというのに一週間もたたずにこれだ。ただ穏やかに暮らすために俺はここに居を構えることにしたというのにだ。
だから決めた。俺のスローライフを脅かす可能性はすべて排除する。……セロリの育て方にも興味がないとは言わないが。
これはもう、決定事項だ。




