17 元婚約者と騎士団事情
「はぁ……」
退屈ね。
赤ちゃんを授かったって初めて聞いたとき。それこそ飛び上がるほど嬉しくって、彼との暮らしに思いを馳せてドキドキしたけれど、それも最初の数日のこと。やれ無理をしてはいけない、かといったと思えば運動しろ、やれ栄養のバランスを考えろだのお茶は控えろ、お酒などもってのほか。体を冷やすな夜風にあたるな。
――ああもう、イライラする!
イライラといえばあのかわいそうな男、どうしてるかしら。
ウォーレナ。つまらない男だった。
世辞の一つも言えない、真面目が服を着て歩いてるような根っからの武人。体格もガッチリして見た目もまぁ、それなりだったし? 婚約相手として推挙されたときは、最初はまぁうん、悪い気はしなかったと思う。けれどもとにかく話がつまらなかった。挙句ほかの女の話をし出すんだからいい気分しないじゃない?
私に赤ちゃんができたからって理由で地位や肩書すべて剥奪されたのはちょっと気の毒だったかもしれないけれど。でもまぁアイツと結婚しなくてよくなったのは、っていうかパトリック様と結婚できるってことが最高じゃない! そう考えたら清い身体を彼に捧げることができて、さらに一緒になれるのだからあの奥手の男にもほめるべき点があったということかしら。まさに一挙両得ってやつだわ。
パトリック様と出会えたのはまさに神の思し召しなのよ。きっとそう。
彼はとにかく優しい。そして私の話をいつも楽しそうに聞いてくれる。そしてすごいね、やさしいんだねっていっぱいほめてくれる。で、そんな私がかわいくて仕方ないって言ってくれたんだもの。気持ちをわかってくれて紳士、レディーのエスコートもばっちり。ダンスだってスマートにリードできる。……会話もろくすっぽできない朴念仁と比べること自体が失礼だわ。
そんな彼に惹かれてしまうのは仕方ないことだと思うの。初めて彼が頬に触れたとき確信したわ。私はこの人と一緒になるべきなのだって――
「はぁ……」
とここで我に返り、今日何度目かのため息をつく。手元のカップを傾けるも、すでに空になっていた。
首をめぐらすとお付きのメイドは壁際で談笑している。声を掛けようと口を開きかけたところでこちらの様子に気づいたようで、慌てた様子でこちらにやってくる。
「失礼しました、タリン様」
「構わないわよ。それよりお茶をもらえるかしら」
はい、ただいまとカートを押してきたメイドがポットを持ってくる。このお茶も何とか茶、とかいういつものお茶とは似ても似つかず、すこぶるおいしくない。
喉の渇きを癒すだけの代物だ。
それよりパトリック様のお顔を見かけなくなってどれくらい経ったかしら。妊娠が判明するまでは日を置かずに会いに来てくださっていたのに、今ではお腹の子に障るとかで婚儀の直前まではお見えにならないという。
それにどうやら一部の宮中の俗物達には私の妊娠は歓迎されていないらしい。お付きのメイドたちから漏れ聞こえてくる話から、彼にも強く当たる宮中伯がいるそう。おおかた戦争バカのお友達でしょうけれど。まったく、未来の世継ぎの父に対してそんなに冷たくして大丈夫なのかしら?
ああそんなことよりパトリック様。戦争バカが居なくなって彼との甘い生活が始まるとばかりおもっていたのに。
メイドから聞いた話では彼は幾人もの女性といい関係らしい。あの容姿だ、なびく女も片手では済まないだろう。
聞くところによると、今日は最近ご執心の若い女書記官と国政についての資料づくりを自室でされているとか。別なものを作ってなければいいけれど。
先日は子爵のご令嬢、その前は近衛の女騎士だったかしら。元気なことは結構だけれど、節度を持ってほしいと思う。
私との婚姻が正式に決まったにもかかわらず、変わらぬ態度なのはいただけない。仮にも王族の一員になろうという者がとってよい行動ではない。もしほかの女を身籠らせてしまったらどうするつもりなのか。
あのひとも宮中伯のひとり。対応を間違えることは万に一つもないと思っているけれど。
ああもう、こんなことばかり考えてたら腐ってしまいそうだわ!
「たまには外に出たいわ」
「さようでございますね。たしかにお部屋の中ばかりで退屈でいらっしゃるのは承知しております。ですが御身は大切な時期。落ち着くまでは外出は控えるようにと侍医からも固く」
コイツ、まるでオウムね。
「ええ、ええ。わかっているわ。……ちょっと言ってみただけよ」
「さようでございますか? あとひと月ほどで安定しますから、それまでのご辛抱です」
辛抱、か。
戦争バカに対してずいぶん我慢して。パトリック様と結婚できることが決まってようやく救われた、思い通りになった。……はずなのに。
なんで私まだ我慢しないといけないんだろう。
「なんで……妊娠しちゃったんだろう……」
おもわず零れた言葉にひどく驚き。
「はい?」
私のつぶやきが聞こえたのかいないのか。メイドが返事をする。
「ううん、なんでもないのよ。ひとりごと」
そうよ。これはおめでたいことなのよ。
……おめでたいこと。そのはずなのに、なぜか私の心は晴れない。
私の辛抱って、いつまで続くのかしら。
◆◆◆
「報告は以上です、団長」
「ありがとう」
「そういえば守護竜様への参戦の申し入れは」
「はい、遅滞なく」
「そうか……」
「……あの、なにか?」
「……なあ。これでいいんだろうか。まだ実感ないんだよな。俺が団長なんて」
途端に副長はうんざりした表情を浮かべた。わかってる、わかってるさ。
「またそれ? いい加減諦めなさいよギル。ウォーレナだん……元団長はもう居ないんだから。今はあなたが団長。ほら、もっとしっかりして?」
「そうだな、そうだよ。うん、仕方ないよな。ありがとう、下がっていいよ」
「ホント大丈夫? ……そうだ、今夜飲みに行きましょうよ」
「ん? あー、それもいいな、うんそうしよう。じゃ、残りはパパっと片付けるから」
「いつもパパっと片付けてくれると嬉しいんだけれど」
そして頬に軽いキス。
「……では、失礼します」
「東門でまってるからね」と副官がドアの向こうに消えたのを見届けてから、脱力した身体を上等な椅子にだらりと投げ出す。
「はぁ……」
このため息で今日何度目だったろうか。
北鷹騎士団、団長。ギルバート様、か。
マズイ。非常にまずい。
何がマズイって、とにもかくにも戦力がガタ落ちな点だ。それだけ団長、そして魔導大隊副長の脱退は深刻な影響を北鷹騎士団に与えた。
アイツをクビにするなど、上の連中は何を考えているのか! おまけに理由が婚約者の浮気だと!? 冗談にも程がある!
彼の指揮は芸術的でさえあった。そして敵に真っ先に切り込み一気に敵を屠る。知略だけではない、相手を圧倒する強さと味方を鼓舞する勇猛さのみならず、仲間を大事に思う優しさをも兼ね備えていた。あれほどのカリスマ性を持った奴はついぞ見たことがない。俺は嫉妬も忘れアイツに傾倒した。同性ながらそれは恋だと言われれば、なるほどそうなのかもしれない。
そして彼を陰に日向に支え続けたのがあの魔導大隊。とりわけ副長のエリーだった。騎士団は彼のリーダーシップと彼女のメディックとしての能力。その裏打ちがあってこそ実力を如何なく発揮できたのだ。
それらが失われた現在、北鷹騎士団の威容は見る影もない。補充を募るも、一騎当千の彼らの代わりなど、どこを探そうが見つけられるはずもなかった。
「なんでエリー、やめちまったんだよ……そんなに団長が居なくなったのがショックだったのかよ……」
俺だって、と言いかけてその言葉を飲み込む。
「くそ、完全な貧乏クジだ。俺は二番目がよかったんだ。一番の器じゃない。どうしてこうなった……」
いや、理由は分っている。タリン姫のせいだ。アイツの軽い尻のせいでこっちはとんだとばっちりだ。
などとここでわが身の不幸を呪う恨み節を奏上したところで、何も事態は変わらない。
再度の蛮族討伐が身近に迫っている。が、次の遠征はおそらく失敗するだろう。
「……俺も騎士団、やめるかな」
できもしないことを。でもこぼさずにはいられない。