16 アイドルちゃんと婚約者(自称)
声の相手を見るなり、ミミはあからさまにげんなりした表情を見せた。
「あー、マカシジ……アンタか。はぁ、マジうっざ」
「おい! ミミ、なんだそれは婚約者に向かって!」
彼女の態度が気に入らないのか、マカシジとよばれた狐人族の男が叫んだ。
「こんやくしゃ?」
ちょっとミミさん、面倒なのは勘弁よー?
対してミミは冷めた目で男を見返す。
「いやいやアンタと婚約とかガチで無いから。秒で消えて? 永遠に」
「んだとこの……。いやわかった、条件次第ではこのまま村に帰ってもいい」
「お、やけに素直じゃん。こりゃ雨でも降る」
「条件があると言った。コイツと勝負して、俺が負けたら大人しく帰る。だが俺が勝ったらミミ。俺のモノになれ」
いきなり指さされたんだけど何それ。俺、なんかされんの?
「はあ? それウチらにメリットないじゃん。やる意味ないし」
「そうか。なら力づくで連れて行くだけだ」
マカシジはそこまで言うとミミの腕を乱暴につかむ。
「は? いたっ! ちょ、触んなし!」
ミミは振りほどこうとしているがびくともしない。なんだかんだ言ってミミも女の子。それなりの体格がある男の腕力には敵わないか。
「ね、あれマズくない? 助けてあげなさいよ」
「は? 俺が?」
うわめんどくせー……って思ったら顔に出ていたのだろうか。エリーがあきれ顔を見せた。
「ねえ兄さん。私、あなたにはもう少し男気があると思っていたんだけれど」
うっ。エリーにジト目で見られたら弱いんだよなー……。わかったよ、わかりました!
「はあー。わかったよ。エリーにそう言われちゃ立つ瀬がない」
「やっぱり頼りになるわね、ダンくんは」
ポンポンと背中をたたくエリー。
「その呼び方、やめろって」
「……がんばってウォーレナ。応援してる」
なぁエリー。そこで昔の名前出すの、ズルくない?
「ちょ、どこ触ってんのよこのスケベ!」
ミミは相変わらずじたばた頑張ってはいるようだが抜け出せないようだった。
「あー、ちょっといいか。えーっと……」
「マカシジだ! ようやくお出ましか。女と別れの挨拶は済んだか?」
「んー、まぁどうでもいいんでとりあえずその手、放してもらえる?」
「だめだよダンくん。いくらダンくんが強いからってコイツは部族で一番の」
「そうだぜダンくん? あんなひょろい魔物を撃退したってだけで大きな顔をされてもな」
「あんたに名前で呼ばれるいわれはないがな。……しゃーない、俺も争いは好きじゃないんだが。ま、ミミは心配すんな。ちょっとどいてろ」
腕まくりをして、ミミには安心させるために笑いかけてやる。
「女の子泣かせちゃダメってのは、じいちゃんの遺言だからさ」
「ダンくん……」
「へ、おもしれえ。女なんぞ泣かしてなんぼだろ? おうミミ。アイツを切り刻んで魔物の餌にしてから、後でたっぷり鳴かしてやるからパンツ脱いで待ってろよ」
下品だね、どうにも。
マカシジはミミを突き飛ばすと腰の長剣をすらりと抜き放つ。ミミは痛いわねこの野郎、などと起き上がりながら悪態をつく。ケガはしていないようだ。エリーがすかさず彼女のそばに寄り添う。
そんな様子を見るうちに、周りは円陣を組まれた上にやんややんやの大騒ぎとなった。やれカッコつけてんじゃねぇぞだの人間なんかとっととたたんじまえだの俺らのアイドル返せだの、実に聞くに堪えないヤジばかりだ。
「ダンくんがんばって! でも気を付けて! んでそんなヘニャ〇〇野郎なんかぶっ飛ばしちゃえ!」
ミミ、お前のヤジが一番下品。
「どうした? 抜けよ。腰にぶら下げてるソレは飾りじゃねーだろ? それともブルっちまったか? でも残念だな。今さらごめんなさいは通じないぜ」
マカシジは幅広の直刀――ブロードソードと呼ばれるものだ――を肩に乗せ、安い挑発を仕掛けてくる。
それなら俺もと意趣返しをする。強化を全身に施して、と。
「いや、俺はこのままでいい。それより腹減ってんだ。御託はいいからさっさと掛かって来いよ」
こちらは手ぶらでさっさと来いとばかりに手招きしてやる。こちらもなかなかに安い挑発なはずだが。
「なっ、くそ、なめやがって!」
効果はばつぐんだ! 尻尾の先まで血が上ったらしいマカシジが上段から打ち込んでくる。まるで素人だな。ステップワークで軽くいなす。相手が腕を引く瞬間を狙って手の甲を打つ。直後がらん、と雑な音を立てて彼の剣が地面に転がった。
「シュッ!」
あわせて腹に一発お見舞いする。いい音がしてマカシジの身体が軽く浮いた。続けざまにワンツー。ストレートがきれいに入った。辺りがしんと静まり返る。
「ぐふっ」
二歩三歩よろけ膝をつきかけるもダウンは奪えなかった。おしい、ワンターンキルできなかった。案外頑丈だなコイツ。口元をぬぐいながらこちらをにらんでくる。周りの歓声が大きくなった。
しかし、まさかあれで剣を取り落とすとは思わなかったぞ。おじさん驚きだ。ま、そうさせるつもりで殴ったわけだけれども。
「ほら、拾えよ」
「くそ、ちょっと油断したが今度は」
すると本当に落とした剣を取りに行くもんだから心底呆れる。
そうだな、目線を俺から外した瞬間に腹に蹴りでも入れてやろうか。そう考えていた矢先、マカシジは土をつかんで投げてよこした。腕で遮るが奴はその隙に落とした剣を手に取るとそのまま下から切り上げてくる。
「人間が! なめたマネしやがってよお!」
相手のほうが一枚上手のカス野郎だった。そのままでたらめに剣を振り回す。
「ほらほらどうした!? 手も足も出ねぇじゃねーか!」
ド素人の剣筋なので見切るのはそう難しくないが、こっちは丸腰。さてどうブレイクしたもんかなと思いつつ避けていたがだんだん面倒になってくる。
「チョロチョロとうっとうしい、ぶっ殺してやる!!」
いやあ元気だなあ。よし、せっかくだからお返ししてやろう。
頃合いを見て地面を蹴り上げる。寸分たがわず奴の顔に砂が飛ぶ。たまらず奴は目を閉じて一瞬手が止まる。そのタイミングで腕を取ってやる。
「! てっ、てめえ!」
手首を捻り上げ剣を取り落とさせる。そのまま身体を入れて相手の手首から肘、肩に捻りを与えるようにくるりと回る。
「あだ、あだだだ!!」
マカシジはたまらず倒れこむ。もちろん受け身なんか取らせはしない。したたかに頭を打った奴は顔をしかめるが、そのがら空きの喉に突きを一発お見舞いしてやると「ぐ」とカエルがつぶれたような声を発したっきり大人しくなった。
「おいおいそこはもちっと頑張れよ。あと卑怯な手を使ったら勝たなきゃカッコ悪いぞ……って聞こえてねぇか」
俺のため息と同時に、歓声とも罵声ともつかないうなりが周囲に響き渡った。
「ダンくーん!!」
間髪入れずミミが飛びついてきたかと思えば避ける間もなくいきなり唇を奪われた。不意打ちとしては一級の腕前だ。ミミの草原と柑橘を感じさせる爽やかさと、内に潜む甘い蜜のような香りが交わりぶわっと遅れてやってきて、脳髄を激しく揺らす。
「やだダンくんつよーい! ガチつよじゃん! すき! マジでだいすき!」
口を離したと思ったら一気にまくしたてると今度は顔中にキスの嵐をお見舞いしてくる。このままじゃ俺の顔はあっという間にミミの唾液でべたべたになりそうだ。
ミミは頬を染め潤んだ瞳で見上げてくる。あ、これヤバい奴だ。
「うぅ、ウチもう我慢できない。……ね、しよ? 今すぐしよ? だめ?」
ミミはすっかり興奮した様子でおねだりをしてくる。ちょ、胸元見せんな! って俺の身体をまさぐるな! そんなところをまさぐるな! あっ。
「この瞬間発情狐、いい加減離れなさい!」
「んぎゃっ」
エリーがミミの尻尾を力いっぱい掴んだらしく、飛び上がらん勢いでミミが跳ねた。
夕食は狐人族も交えゆっくりとることになった。先ほどの戦いぶりは彼らにとっては合格点だったらしく、先ほどから代わる代わるやってきては酒を飲ませようとする。
「お嬢を持っていかれたのは悔しいが、まああの野郎を素手で軽くのしちまう男だ。諦めもつくってもんよな」
「俺はアンタのこと割と気に入ってんだ。それに前からアイツがいけ好かなかったからよ、まさにざまあみろってもんよ。今夜の酒がうめえのなんの。お嬢のこと、よろしく頼むぜ!」
などと無責任なことを言っては帰っていく。
ミミは終始ニッコニコで隣から離れようとしない。人が途絶えたタイミングで彼女に話しかける。
「なぁミミ。お前ホントに良かったのか? 狐人族の村を出ることになるんだぞ」
「んー? や、そんなこと、たいしたことじゃないよ」
あっけらかんと言い放つミミにあからさまなため息をついてやる。
「たいしたことだろ。だって」
「ううん、全然たいしたことじゃないし。ダンくんのそばにいれるなら、村なんて捨ててもいい。悪いけどウチ、マジだから」
不意にミミが真剣なまなざしで見つめてくる。こんな表情するんだと、改めて彼女を見返した。
揺れるヘーゼルの瞳を、まっすぐに見つめ返す。わずかに頬を朱に染めた快活な雰囲気を纏う彼女はしかしこの瞬間は儚げな少女のそれになっていた。
茶化してはいけない。それくらいはわかってるつもりだ。
「……お前の想いには応えてやれないかもしれないんだぞ」
「うん、わかってる。今は一緒にいれればそれでいい。それでウチ、十分幸せだからさ」
そういって腕を絡めてくる。
「だからお願い。一緒にいさせて」
いちいち覚悟が重いんだよ! なんで俺みたいな奴に。
「……まぁ、お前が居たいっていうなら」
「ほんと!?」
「ろ、路頭に迷われても夢見がわるいしな! それにお前は優秀な斥候だし!?」
「えへへ、ありがとダンくん……ウチしあわせ。だいすきだよ」
回された彼女の細い腕に、きゅっと力が込められた。
幸せ――との言葉に唐突に思い出す。
本当に心底どうでもいいことだが――元婚約者殿下はどうしてるだろうかと。




