10 幼馴染と自称嫁子
外の小鳥の声と、台所から漂ういい匂いに誘われ目覚める。
手のひらに慣れない感覚を覚え、ぼんやりした頭で正体を探る。あわせて腕にかかる重み。
なんだ? このあったかくて柔らかいのは。
「あん」
聞きなれない声に一気に意識が引き戻される。見ればミミを腕枕しそのまま抱きかかえるような格好になってる。こいつ、俺が寝ているのをいいことに。ってか今、マズイところを触ったのでは?
「ダンくんったらもう……朝から?」
「……ミミ? お前、何してんの?」
「なにって。ダンくん成分を補充しにきたんだよ? うふふ、ダンくーん」
「やめいうっとうしい。離れろ」
「やーだー、さっきまで触ってくれてたじゃーん」
などとさらにぐいぐいと俺の手を抱き寄せる。
「あらあら朝からお盛んなこと。ねぇ、ダンくーん?」
いつの間にか寝室に入ってきていたエリーの声で、気温が一気に下がった気がした。
エリーさんおはようございまっす! ……ほらまた誤解受けたー!
――そうだ、鍵つけよう。
朝からちょっとしたトラブルはあったものの、おおむね問題はない。はずだ。
「はぁ、狐は年中発情しているのでしょうか。まったく節操がないとはこのことです」
「や、ヒトよりはよっぽど慎ましいし? むしろ年中無休はヒトのほうっしょ? それに好きなオトコに好きって言うの、ふつーに自然じゃん? 逆にむっつりって引くわー」
「神に仕える身である以上、何事も節度を持って当たらねばならないのです。そこらの田舎娘とは背負うものが違い過ぎるのですよ」
「はいでた神職アンド都会マウント。もー必死過ぎてウケるんですけどー」
「必死って……!? こほん。だいいち昨日会ったばかりなのにもうす、好きとか。よく口にできますわね。恥じらいというものはないのですか」
「好きになるのに時間とか関係なくね? ってかあんなピンチあっさり片付けるスパダリ、ほっとくわけないっしょ? 悪いけどウチ、ダンくんにガチ恋だから邪魔して欲しくないってゆーか? それこそアンタこそ、ダンくんの何なのよ」
「わ、私? 私は、その……」
食後のお茶を飲みながら話す内容じゃねぇ。おまけに本人の前でそういう話すんなよ。ほら、双子が反応に困って固まってるじゃないか。ん? あいや、メグは食いついてる!?
「よ、よっし今日は畑仕事しよう! ちょうど人参とキャベツ植えたかったんだよなー、ははは!」
「え、ダンくん畑仕事もできんの? すごいじゃん、ウチも手伝うね。……都会育ちのお嬢様には無理だろーから!」
うん、もう煽るのやめて?
「そうですね。力仕事はいな……自然の中での暮らしが長い、得意な方にお任せして私はお茶とお昼の用意をさせていただくことにします。……ビル」
「は、はい! なんでしょうおねえちゃん!」
「ダンのお手伝い、くれぐれもよろしくね」
「い、イエス、マム!」
ビルがおびえてるじゃねーか。ホントやめたげて?
今日は朝から初夏の様相だ。日中はかなり気温が上がることだろう。先日までに耕しておいてよかった。この暑さの中耕耘からするとなればぶっ倒れてたかもしれん。それに手押しの種蒔き機を使ってずいぶん楽にはなった。手で播種するとなると相当大変だった気がする。
午前中でもうすっかり暑さでバテバテになってしまった。この寒暖の変化はキツイ。先ほどまで手伝ってくれていたミミに至っては木陰でダウン中だ。
なんとか播種は終わったので水をまかねば。大きめの水球を空中高くに打ち上げ、そいつに風榴弾を当てる。すると、
「うお! 雨だ! すっずしー!」
破裂した水球がまるで雨のように畑に降り注ぐ。その様子にビルがはしゃぐ。水まき完了。いやあっつー、マジほんともうムリ。
歩けないと辛そうにするミミを肩に担いで家に戻ると、エリーが「畑に埋めて肥料にでもすればよかったのに」と辛らつな言葉を投げかけ、ミミがびくりと震える。
ビルは裏庭の井戸で水浴びをしているようだ。ズボンを履いたままやらかしたらしく、メグに説教されている声が聞こえる。
昼食の準備もすっかり終わらせていたエリーが、タオルを差し出しながら心配そうに見上げる。
「おつかれさま。ご飯できてるわよ。暑くなかった? 大丈夫?」
タオルを受け取って顔をぬぐう。ひんやりと湿ったタオルが肌に心地いい。「ほら、アナタもおつかれ」とミミにも手渡す。
「ああ、大丈夫だけど、ちょっと食欲がな……」
「ふふん。だろうと思ってお茶を作っておいたの。食堂に来て」
エリーがどや顔で俺の腕にからんでくる。ふにゅ、と肘に伝わるやわらかな感触が意識を鋭敏にさせる。気付け薬としては効果てきめんだ。対してミミはなにやら言いたそうだったが、もうエリーにからむ気力もないようだ。ゆるゆると立ち上がるとついてくる。
食堂のベンチに腰掛けたとたん出てきたのは見慣れたワインを薄めたような赤いお茶。
「……紅茶?」
「んふ。とりあえず飲んでみて」
促されるままに手に取る。ひんやりした肌触りに驚く。冷やされたお茶だ。火照った体にありがたい。コップを傾けると途端に突き抜ける清涼感。これは。
「ペパーミントよ。どう? すっきりするでしょ」
「ああ……これはいいな。胃が重たかったんだがすっきりした」
途端におなかが鳴り、エリーが「効果でるの早すぎでしょ」と笑った。
「……おいしい」
ミミは空になったコップを見つめながらつぶやいた。
「あなたも暑かったのに頑張ったわね。まあ、その根性は認めるわ」
「ありがと。……ついでにダンくんも譲ってくれたら」
「それはダメ」
けち、とミミがつぶやくとエリーはふふ、と笑う。なんだろうこの距離感。
「ま、元気になってよかった。暑かったから今日は塩気の強い干し肉のアーリオオーリオよ。いっぱいあるからね」
昼は少し昼寝をしてから、夕方からやろうとみんなで決めていた庭先でのバーベキューを準備することにする。
こういった遊び、実はこっちに来てまだ一度もしていなかった。毎日畑仕事とクエストじゃ息も詰まるってもんだ。この話をしたら意外と一番に食いついたのはメグだった。そういった野外レジャーをしたことが無いらしく興味があると。
逆にビルは食えれば何でも良い派らしく、うまい肉なら何でも! という実に分かり易い返答だった。
日が傾く頃にはすべての準備が終わった。まずは町で樽買いしたエールからおっぱじめるかと栓に手をのばしたとき、視界の端に何かがかすめた。
最初は黒い点だった。空に黒い点? 鳥か? それは見る間に大きくなり、夕方の空にアンバランスなほど黒い大きな姿となった。ふいに周りに長い影が落ち、みな何事かと見上げるとそこには巨大な竜がこちらに向かって飛んでくる姿があった。徐々に周りには風がおこり、あっという間に俺たちの上空にやってきて止まった。
「あ、お、お師匠! りゅ、りゅ」
びゅうびゅうと吹き荒れる風。ビルは腰を抜かし、メグは隣でガタガタと震え、後ずさる。
あまりに唐突な竜の出現だった。