至のキモチ
「⋯⋯ねえ、センセー」
「どうしましたか、常春さん」
昼休み、うららはいつものように弁当と教科書を抱えて国語準備室へとやって来ていた。
テーブルの上には巾着袋から取り出した弁当箱が置かれ、右手には真新しい箸。そして、目の前には先ほどから不自然なほどに視線の合わない至がいる。
「あたしのこと、嫌いになった? この間のこと⋯⋯やっぱり怒ってる?」
うららは一見、目を合わせているように見えてその実、己の眉間を凝視している至を前にして不安げな表情を浮かべる。
(ももちぃにも『ヤリ逃げ』って言われたし、センセーが怒るのも無理ないのかも⋯⋯⋯⋯)
今までその話題に触れることは避けていたのだが、ついに我慢できずに勢いのまま聞いてしまった。
しかし、途端に至の反応を見るのが怖くなったうららは俯いてギュッと拳を握り締め、じっと彼の言葉を待つ。
「⋯⋯そうですね」
「っ⋯⋯!」
(や、やっぱり!! どうしよう、センセーに嫌われたら⋯⋯うららは⋯⋯うららは————!)
分かっていたとはいえ、実際に至から肯定の言葉を聞かされるのは相当に堪えた。
今にも逃げ出してしまいたい衝動に駆られるが、自分から聞いた手前逃げるわけにもいかず、気を抜けば直ぐにでも零れ落ちそうになる涙を口の中を噛み締めて必死に耐える。
「教師と生徒————。身近な存在とはいえ、両者の立場には明確な違いがあります。たとえ親しいとしても、互いに線引きは必要だと僕は考えてます」
至はうららに言い聞かせるようにして淡々と話し始めた。うららはそれを、タイルについた小さな傷を見つめながら無言で聴き続ける。
「君は練習と言っていましたが僕にする必要性は感じられませんでしたし、拒否している相手に対して強引な手段を取るのはいかがなものかと思います」
「⋯⋯⋯⋯」
「それに、常春さんとしては友達の延長線としてのつもりだったのかもしれませんが、誰彼構わずああいった事をしているといずれ大きなトラブルに巻き込まれてしまうかもしれません」
「⋯⋯⋯⋯!」
(あたしが誰にでもあんな事やるわけないのに⋯⋯。でも、心配してくれてるって事だよね?)
どんより曇った心に一筋の光が見えた気がした。
「————と、まあ⋯⋯幾らか厳しい事を言ってしまいましたが、君が思うほど僕は怒ってはいませんよ」
「えっ⋯⋯! ほ、ホント⋯⋯?」
うららは柔らかくなった至の声に、弾かれたように顔を上げた。そして、期待のこもった視線で彼の顔を食い入るように見つめる。
すると、ふっと微かに至が笑った気がした。ここ1ヶ月ほどだがそれなりの時間を共に過ごす内に、厚ぼったい前髪に隠されていても至の僅かな表情の動きや感情の機微もなんとなく察せられるようになったうららは、彼の言葉が真実だと理解しようやく固くなった身体から力が抜ける。
「はい。⋯⋯でも、突然箸を口に突っ込むのは危ないですからね。もう二度とやらないように」
「うんっ⋯⋯! ごめんなさい!!」
うららは満面の笑みで答えた。
今回は些か強引な手口を取り失敗したようにも思えたが、これにより得たものは大きかった。
まず1つ目に、物的な成果である至が口を付けた箸(自宅にて保管済み)。
2つ目に、至がうららの身を案じてくれた事。多少厳しい物言いではあったが、それも心配(と愛)故だとうららは嬉しくなった。
(なんてったって、あたしはセンセーのかわいい生徒だもんね!)
そして、最後。3つ目に得たもの————。
以前に決行した『ターゲットの胃袋を掴むべし』作戦の成果が着実に実を結んでいるという事である。現に、至はうららの作った出汁巻き卵の虜になっていた。
(このままいけば、あと少しで————)
うららは『計画通り』だとほくそ笑む。
そして、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはこの事で、先程至から注意を受けた事も忘れ、新たに決意を固める。
(次こそは絶対に合意済みの『あ~ん♡』させるから! 覚悟してよね、至センセー!!)
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