ヤリ逃げ御免!
(お⋯⋯おかしい、最近(といっても昨日からなのだが)なんだかセンセーに避けられてる気がする⋯⋯⋯⋯)
うららは自由ほうきの柄を握り締めながら、がっくりと深く項垂れる。
避けられているといっても物理的にではない。なんだか心の距離だけが遠く離れてしまった気がするのだ。
具体的にいうと、最近めっきり至と視線が合わない。
(理由は分かってる⋯⋯。あたしが、嫌がるセンセーに無理矢理————)
「————っと、ちょっとうらら! 聴いてる?」
「え⋯⋯?」
「さっきからずっと声掛けんだけど、大丈夫かァ⋯⋯?」
「も、ももちぃ⋯⋯」
棒立ちのうららの前には心配そうな顔をしている百香がいた。どうやら教室の清掃中にも関わらず惚けるうららに、しばらくの間声を掛け続けていたらしい。
「って、ま~たセンセー絡みか⋯⋯。ウチに話してみ?」
百香は何かを察したのかそう言って、うららの手を取る。そして、彼女に引かれるまま掃除の邪魔にならないようにと2人は窓際に移動した。
✳︎✳︎✳︎
「————というわけで、センセーがなんか変なんだよね⋯⋯」
「ふうん、なるほど」
顔を赤くしたり青くしたりしながらもどうにか事のあらましを説明し終わったうららは、そう言ったきり黙り込んでしまった百香の顔を覗き込む。
「ちょ、ちょっと、ももちぃ。なんか言ってよ、不安になるじゃん⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯うらら、アンタ中々やるじゃん」
それまでじっと何かを思案するように口を閉ざしていた百香が漸く口を開く。その口元には怪しげな笑みを湛えていた。
「えっ、ホント!?」
思わぬ百香からの褒め言葉に、うららの表情はぱあっと明るくなる。
しかし、次の言葉でどん底に突き落とされることになるとは予想だにしなかった。
「『ヤリ逃げ』なんて、昨今なかなか出来るモンじゃないよ」
「やっやややヤリ⋯⋯!?!?」
うららはあんぐりと口を開けて絶句する。しかし、直ぐに正気を取り戻し慌てて弁解の言葉を並べた。
「たっ、確かにあの後チャイムが鳴ったから碌に話せずに帰って来たけどっ! だからって、そんな人聞きの悪い事言わないでよっ!?」
「でもねぇ、話を聞く限りそれって⋯⋯どう考えてもヤリ逃げじゃん?」
「ゔ⋯⋯っ!」
うららはこれ以上ないほどに顔を真っ赤にして言葉に詰まる。
「アンタは加害者、んでセンセーは被害者。良かったね、既成事実が作れて」
「ちょっと、ももちぃ! 面白がってるでしょっ!! あたしは真面目に悩んでるのにっ⋯⋯! って、キセージジツ⋯⋯?」
「だってアンタ、センセーと間接キスしたってことでしょ? やったじゃん」
「⋯⋯⋯⋯へ?」
「もしかして『あーん』に満足してそこまで考えてなかった?」
「!!」
百香の言葉で昨日の昼休みの出来事を思い返す。
(センセーの口に出汁巻き卵を突っ込むまであたしはふつーにお弁当食べてて⋯⋯。その箸をセンセーの口に————)
「~~~~っ!!」
無事に回想が終了したうららの顔は茹で蛸も顔負けするほどに湯気を立て赤く染まっていた。
「今更になって気付くとか、アンタね⋯⋯」
百香は呆れ顔でうららを見やる。しかし、うららはそれどころでは無かった。
「どっ、どうしよう⋯⋯ももちぃ」
「何が?」
「あっあた、あたし! 箸、洗っちゃった⋯⋯!!」
「はァ⋯⋯?」
涙目であわあわとするうららにドン引きの視線を向ける百香。
「記念すべき至センセーとの初キスなら、ぜっったいに洗わなかったのにぃっ!!」
「アンタねぇ⋯⋯」
「ねねっ、ももちぃ! 今からでも間に合うと思う? 一回洗っちゃったけど、箸に口つければあたしも間接キスしたことになると思う!?」
うららは百香の肩を力強く掴み、ぶんぶんと揺さぶる。ガクガクと力無くされるがままの百香の顔からは、先ほどまでの笑みは跡形も無く消え失せており、心なしかやつれていた。
「ガチで気持ち悪いわ⋯⋯」
「え!? なっ、なんで」
百香の言葉に驚いて肩からパッと手を離す。うららには百香に気持ち悪がられる心当たりなどは一切無かったからだ。
「発想がオヤジくさい」
「オヤジぃ!? どっからどう見てもふつ~の恋する乙女じゃん!」
「⋯⋯少なくとも普通の乙女は箸をしゃぶろうなんて発想にはならんから」
「!? さっ流石にしゃぶろうなんて思ってないって! 一瞬ぺろっと舐めるだけ!」
「同じなんだよ⋯⋯⋯⋯」
それからは何を言っても墓穴を掘るばかりで、百香の変態を見るような目が変わることはなかった。
(なんか、至センセーとだけじゃなくて、ももちぃとの距離も遠くなった気がするような⋯⋯?)
「とりあえず、今までの箸は保存用にするとして⋯⋯っと」
百香との一件を気のせいだということで結論付けたうららは、放課後、新たな箸の購入を決意したのだった。
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