あ〜ん♡(甘めです※当社比)
「さあ、昼休みも残り僅かです。少しでも勉強の時間を確保する為に、そろそろ昼食にしましょう」
至のその一言で少し遅めの昼餐が始まる。
「「いただきます」」
テーブルを越しに向かい合って手を合わせ、それぞれが持ち寄った昼食に手をつける。
例の如くうららは栄養バランスの整った自作の弁当、至はコンビニエンスストアで購入したおにぎり2個と今しがた備え付けのポットから湯を入れたほかほかと湯気を立てるカップ味噌汁だった。
「センセ~ぇ⋯⋯またそれ?」
うららは呆れ顔でおにぎりを一口齧って咀嚼中の至を見つめる。
「⋯⋯これが一番手軽で効率良いんですよ」
「センセーってば頭は良いのに、なんで食に対してはそんな甘い考えなの? センセー程の人でも知らないみたいだから教えてあげるけど⋯⋯食べる事は身体だけじゃなくて心の健康を保つためにも必要な事なんだよ?」
この言葉はいつか購入したレシピ本からの完全な受け売りなのだが、その事はひた隠しにしてさも自分の言葉のように至に得意げな顔をして話す。
「そうなのですね。勉強になりました。では、次からはここにサラダも追加しましょう」
うららから(比較的)難しい言葉が出て来たことに面を食らったようすの至は、感心したような表情をした後、真面目な顔をしてそう言い放った。
「もうっ⋯⋯! 至センセーってばぜんっぜん分かってないっっ!!」
うららは思わず声を荒げてガタンと勢い良くイスから立ち上がった。
突然の大声にビクッと肩を跳ねさせた至。うららは慌てて着席し、何かを訴えかけるように至の顔をじいっと見つめる。
(ホントはまた、センセーの分もあたしが作ってあげたいけど————)
もし断られたらと思うと以前のように無理矢理に口実を作ってまで弁当を押し付けることは出来なかった。
うららの脳内にトラウマとも呼べる陽葵との邂逅シーンがありありと甦る。
突然の強力なライバルの出現。しかも、相手は《《それなり》》(実際には誰が見ても容姿端麗な女性だが、認めたくないためそのような表現とする)に整った容貌持ち主で至と歳の近い女性。更に彼女は学生時代からの後輩で、現在では同僚とくれば一介の生徒に過ぎないうららでは太刀打ちできる筈もなかった。
(あの日、涙ながらにかき込んだ2人分のお弁当————敗北の味は絶対に忘れない!!)
周囲からは悩みなんて無さそうな能天気女と称されるうららでも、流石に一度受け取ってもらえなかったにも関わらず、再び手作り弁当を押し付ける図太さと勇気は持ち合わせていなかった。
大抵の事は気にしないとは言っても、こと恋愛に於いては臆病になるのは仕方あるまい。それも、初めて本気で好きになった相手ならば尚更だ。
「⋯⋯⋯⋯」
辛い記憶を思い返していると、不意にうららの弁当箱に視線が注がれているのに気がついた。
(なんだろ⋯⋯?)
不思議に思ったうららが視線の先を辿ってみると、弁当箱の中に綺麗に詰められた出汁巻き卵へと一心に至の熱い視線が注がれていた。
「センセ、欲しいの?」
「⋯⋯っ!」
うららが尋ねると、至は途端に驚いた顔になる。大方、無意識だったのだろう。
「えっ、僕⋯⋯そんなに見てましたか? すみません」
至は恥ずかしそうに頬を掻きながら言った。
「いいよ、あげても」
「⋯⋯いえ、結構です。教師が生徒から施しを受けるなどあってはなりませんから」
「え~? そんなの今更じゃん!? 前にもあたしの作ったお弁当食べてたよね?」
「⋯⋯⋯⋯」
至は少しの間考え込んだ後、気恥ずかしそうにコホンと一つ咳払いをしてから口を開いた。
「では、今回だけは常春さんのお言葉に甘えて⋯⋯」
そう言って、カップ味噌汁の蓋を差し出す。それが、出汁巻き卵をここに乗せてくれという意味合いを持つであろう事は容易に想像出来た。
しかし、うららはニヤリと口角を上げてその手を突き返す。
「えっ⋯⋯」
眉を下げて悲しそうな声を上げる至に若干心は痛みつつも、この千載一遇のチャンスをみすみす逃すわけにはいくまいとうららは心を鬼にする。
「あげるとは言ったけど、タダであげるなんて言ってないよ?」
悪戯っぽく笑ってみせるも、うららの内心は気が気じゃなかった。バクバクと早鐘を打つ心臓に、箸を握る手には汗が滲む。
「では、どうしろと⋯⋯?」
恐る恐る尋ねる至に、うららはパッと花が咲いたような笑顔で答える。
「センセーに『あーん』させてっ♡」
「!?」
無表情が常である至の表情はこれまでにないほどに驚愕で塗り替えられる。
「そ、それは⋯⋯俗に言う付き合いたての恋人同士がやる一方が口を開き、もう一方がそこに食べ物を運ぶ行為のことですか?」
「うんっ!」
「何故、それを僕と常春さんが⋯⋯?」
「え~? やりたいから⋯⋯?」
うららの言葉に意味が分からないという顔をする至。普段は読めない表情が露わになっていることと、それをさせているのが自分だということにうららは天にも昇る心地だった。
「そんな理由で⋯⋯? 駄目に決まっているでしょう」
「やだ~っ! あーんってしたいっ!」
子どものように駄々をこねるうららを見た至は小さくため息を吐き、諭すような口調になる。
「第一、そういった行為は恋人同士がやるもので教師と生徒がやることではありません」
「じゃあじゃあっ、その予行練習ってことで! 先生ならそういうコトも教えてよ〜っ!」
「何を言っているんですか、常春さん⋯⋯」
「ねっ、お願い~! 至センセーはぁ、かわいい生徒のお願いをきいてくれないの~?」
「⋯⋯⋯⋯」
両者、一歩も引かぬまま時間だけが刻々と過ぎて行く。
チラリと横目で壁掛けの時計を確認すると長針は既に『11』の数字を指していた。昼休みも残り僅かしか残っていない。
(このままじゃ埒があかないっ! こうなったら————)
「センセーがそんなに要らないって言うんだったら、あたしが全部食べちゃおっかな」
うららは出汁巻き卵を箸で摘み、至に見せつけるようにして自らの口元へと運ぶ仕草をしてみせる。
「あっ⋯⋯!」
それを見た至が思わず小さく声を上げた。
(作戦通りっ!!)
心の中でほくそ笑んだうららは自らの口元に向けていた箸の軌道を修正し、薄く開いた至の口元に勢い良く突っ込む。
「むぐっ⋯⋯!?」
突然詰め込まれたそれに、至は目を見開いた。しかし、何が起こったのかを次第に理解した至は静かに咀嚼を続ける。
(さすがに怒った、かな⋯⋯? でもっ、後悔はしてないっっ!!)
呑み込んだのを見計らってうららは口を開く。
「おいし?」
「はい、とても。しかし⋯⋯」
「お説教は聴きたくありませ~ん。⋯⋯美味しかったならいいでしょ?」
「⋯⋯⋯⋯」
うららの言葉が図星だった至はむっつりと黙り込む。一見、怒っているようにも見える態度であったが、彼の黒髪から覗く耳は微かに赤く染まっていた。
そのことに気付いてしまったうららは耐え切れずクスリと声を洩らす。
「センセー、か~わいっ♡」
「!?」
(やばいやばい、嬉しい⋯⋯っ!! これでちょっとは鈍感なセンセーもあたしのこと、意識してくれたかな⋯⋯?)
うららは今更、にやにやとだらしなく綻ぶ顔を隠す気は無かった。
この気持ちが伝わってしまったのならば、それはそれで良い————。
そう思ったうららは、熱で僅かに潤んだ碧の瞳を居心地悪そうに目の前に座る想い人へと向けるのだった。
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