嗚呼、末恐ろしや。
「呉羽⋯⋯⋯⋯」
恐る恐る振り返ると、少し離れたところには呉羽が立っていた。うららは沈んだ声で彼の名前を口にする。
「秋月くん、こんにちは」
至が声をかけると、呉羽はにっこりと笑ってこちらに向かって歩いて来た。
「冬木先生、こんにちは」
「なに? 今、あたし超忙しいんだけど」
うららは至からは見えないように顔だけを呉羽に向けてキッと力いっぱい睨み付ける。
「うらら、次の授業で提出する宿題やったのかなと思って。まだなら俺の写していいよ」
「はぁ!? そんなの後ででいいじゃんっ!!」
呉羽に対し、つっけんどんな態度を取るうららだったが、当然のように宿題はやっていない。勿論、後で写すつもりだった。
「⋯⋯常春さん、君なら分かっていると思いますが人の宿題を写すのは何の勉強にもならないので駄目ですよ。宿題は自分の為にやるものです。秋月くんも、教えるならまだしも写す事を勧めないでくださいね」
そこまで言って、至は思い出したように腕時計へと目を落とす。
「⋯⋯ああ、もう直ぐ授業が始まる時間ですので、僕はこれで失礼しますね。それではまた、授業で」
「えっ、ちょっと⋯⋯センセー————!!」
ぺこりと軽く一礼して、再び歩き出す至の背中に必死に手を伸ばす。しかし、うららの声は授業の始まりを告げるチャイムにかき消されてしまった。
「そっ、そんなぁ⋯⋯⋯⋯」
(せっかく久しぶりに話せるチャンスだったのに、こんなのってないよ⋯⋯)
陽葵と相見えたあの日と同じように、徐々に遠くなる至の背中。
うららはあまりの絶望感から、その場に力無くへたり込んだ。
✳︎✳︎✳︎
授業が終わって先生が教室を後にするなり、うららは呉羽の席を目指して全速力で走った。そして、彼の机にバンッと手をついて睨みを利かせる。
「ちょっと、呉羽っ! さっきのはどういうつもり!? あたしの邪魔しないでよっ!!」
「さっき⋯⋯?」
「とぼけないでよっ! 邪魔したのもそうだけど、呉羽のせいであたしが宿題を写す不真面目な奴って思われちゃったじゃんっ!!」
「うららがいつも宿題を写してるのは本当の事だろ? ⋯⋯それに、まさに今、俺の恋路を邪魔してるうららがそれを言うのか?」
「ゔっ⋯⋯! そっ、それは————」
ジッと焔のように揺らめく赤い瞳で見つめられたうららはたじろぐ。
しかし、今後の為にもここで引き下がるわけにはいかなかった。うららはギュッと拳を強く握り締め、反論する。
「でっでも、それとこれとは関係ないし⋯⋯なにもあたしの邪魔することないでしょ!?」
「う~ん、それは⋯⋯うららの恋愛が上手くいったら困るから⋯⋯?」
ふむと顎に手を当てて考え込むようすを見せた呉羽は、満面の笑みで言ってのけた。
「~~~~っ!! な、なんか⋯⋯呉羽、キャラ変わってない!?」
「変わってないよ。これまでが遠慮してただけで。それに⋯⋯俺が積極的にならなかったら、うららは気付かなかっただろ?」
「ゔっ⋯⋯! そ、そんな事は————」
「『無い』とは言い切れないよな?」
そう断言され、うららは言葉に詰まった。呉羽は終始笑顔のはずなのに、何故だか背中に冷たい感覚が走る。
末恐ろしいとはこのことか、とうららは思った。
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