09.勉強会① レイル
俺の婚約者が、益々魅力的になって、困る。
授業が終わったの教室。机を寄せ合って、レイルとステラリアは参考書に向き合っていた。
学園の期末試験時期がそろそろ迫っている。生徒たちは、試験範囲のおさらいに余念がない。
かくいうレイルとステラリアも、少しだけ馬車の迎えを遅らせて、数日前から自主的に居残り勉強を始めた。といっても、レイルに今更復習の必要はないのだが、ステラリアの苦手とする教科を教えるべく手を貸している。
ステラリアから、勉強を教えて欲しいと頼まれた時には、天にも昇る心地だった。今までそんなお願いをされたことがなかったのもあって、レイルのテンションはうなぎ上り、密かに張り切りすぎて、マクベスから落ち着けと窘められたほどだった。
図書室だと声を出せず不便もあったので、こうして教室に残り机を隣合わせている。他にも、ちらほらと自習を行っている生徒が見受けられた。完全に二人きりといかないのは残念ではあるが、肩が触れそうなほどに近くステラリアを感じられて、レイルは眼鏡のブリッジを何度も上げながらそわそわ浮き足立っていた。
ひそめた声で行うやり取りが、まるで内緒話をしているみたいで。二人きりの秘密を分け合っているような錯覚をする。まあ、やっているのは堅苦しいお勉強なのだけれども。
窓から差し込む柔らかな陽を受けながら、ペンの柄を口元に当ててむむむと悩むステラリアは、まるで後光が差しているかのように眩く愛らしい。
(麗しい……絵画に残したい……。まあ、俺の脳内ステラリア美術館には、ばっちり収めたがな)
躓いているようだったので、横からさりげなくヒントを出してあげると、ぱっと表情を輝かせたステラリアは、すらすらと数式を当てはめて問題を解いてしまった。
数字を扱う学科がどうにも苦手なのだと唇を尖らせるが、元々真面目に授業に取り組んでいるステラリアは、軽く筋道を示してあげれば、自ずと答えを導き出せる。学年順位で両手には入れないものの、語学は非常に堪能で、成績上位者に名を連ねる程度に地頭は悪くないのだから、あとは応用次第だ。
婚約者ということで、どうしてもレイルが比較対象になってしまい、本人は卑下をしがちだが、普通に鑑みてもステラリアは優秀なのである。
一緒に試験範囲をおさらいしつつ、こまめに上がる質問に対し、レイルはよどみなく適切に応えていく。ステラリアが凄いと尊敬のまなざしで見つめてくるのが、酷くくすぐったい。レイルは、内心歓喜に打ち震えた。
(ああ、生きててよかった……! こんなこともあろうかと、ひたすら勉強に励んだかいがあった。ステラに何を聞かれようと、全科目完璧に受け答えできる。俺に死角はない)
元々頭の出来が飛びぬけて良くはあるものの、主席を維持しひたすらに知識を溜め込むレイルの動機が、ステラリアに聞かれたときに懇切丁寧に教えるためだとは誰も思うまい。この秀才、地味に頑張っているのだ。
一つ一つ不明な部分を洗い紐解いてあげれば、心得たとばかりにステラリアは軽快にペンを走らせる。理解が深まれば、学びは楽しいものだ。
彼女との応酬は気持ち良く、とんとん拍子に復習は進んでいく。
「ふぅ……ありがとうございます、レイル様。レイル様の教え方がわかりやすいから、とっても自習がはかどります。不明な点もレイル様が順を追って解説してくれるから、頼もしくて」
「いいや、ステラリア嬢の覚えがいいからだよ。私が教えているのはほんの一端に過ぎないが、君の役に立てているなら何よりだ。遠慮せずに聞いてくれ」
「ふふ、お言葉に甘えちゃいますね」
ノートにペンを走らせた手を止め、一段落つき肩の力を抜いたステラリアが和やかに微笑む。愛らしさが天元突破している。
レイルは内心でうっと呻いて、心臓に手を当てた。
ここ最近の彼女は、どこか一皮剥けたように一本芯が通った感じがする。強いて言うなら、自信か。顔をあげて前を見据えるようになった。
それとともに、レイルに対する甘やかさが更に増した気がして、ドギマギさせられることが多い。
温和な人柄でふんわりした笑顔が可愛いと密かに学内でも人気があったが、いっそう魅惑的になって、男子の心を捉えている。
婚約者のレイルがいるにもかかわらず、ちらちらとステラリアを気にする不埒な男が増えたこと増えたこと。そういう輩には、レイルの険しい視線で牽制をかけているので、安易に近づこうとは思わないだろうが。
「あ、あのっ」
と、その時だった。
二人のすぐ傍に、クラスメイトの少女が申し訳なさそうに寄ってきて、声をかけたのは。
見覚えのあるその顔は、ステラリアと仲良さげによく話をしている子爵令嬢の一人だった。もちろん、レイルはステラリアの交友関係も全て把握済みである。
彼女は、ノートと筆記具を抱えて、おずおずと窺ってきた。
「レイル様、ステラリア様。お勉強中に申し訳ありません。もしよろしければ、私も一緒に勉強を教えていただけませんか? ちょっとわからない箇所があって……」
「あら、ジーナ様もですか? 一人だと苦手なところはなかなか進みませんよね。レイル様、ご一緒してもよろしいですか?」
「構わないよ」
「ありがとうございます! さあ、ジーナ様、向かいへどうぞ」
「お二方ともありがとうございます。お邪魔いたします」
ステラリアからのお願いを無下にする余地は、レイルにない。
相向かいに机を寄せて早速、ジーナは参考書を開いた。どうやらこちらは基礎魔法学Ⅱで引っかかっていたらしく、ステラリアと二人がかりであれこれと解説をしてあげる。
二人きりの勉強会でなくなったのが非常に惜しかったけれども、ステラリアが和気藹藹としているのでまあいいだろう。子兎がきゃっきゃと戯れているようで、目の保養だし。ステラリアの優しさに触れ、やっぱり天使だなとレイルは認識を新たにした。
「わぁ、こんなにすらすら解けるようになるなんて……!」
「ふふ、ここが構築のコツなんです。一度理解が深まると応用がききますし、わかりやすいでしょう」
「躓いていたのが嘘みたい……!」
「ジーナ嬢は水魔法を得意としていたと思うが、精緻な編み上げが必要になる治癒系の水魔法にこの術式を組み込むと、構築速度が雲泥の差になる」
「なるほど、確かに! レイル様は、私の適性までご存じで!? 今度実地で試してみますわ」
「試験が終わったら、一緒に練習しましょう、ジーナ様」
「はい、是非! 楽しみです、ステラリア様」
成果がはっきりと掴めたジーナは興奮に頬を赤らめ、むんっと両手を握りしめる。そんな彼女をステラリアが優しく見守る姿は、まるで教導の女神の宗教画のようだとレイルは脳裏に焼き付けていた。
「あのっ……! お三方、私もご一緒させていただけませんか?」
「僕も、混ぜていただけませんか!? どうしても共通言語でわからないところがあって」
「私も歴史学が……!」
すると、三人が楽し気に勉学をはかどらせているのを見たからだろうか。今度は残っていたクラスメイトたちが、こぞって我も我もと詰め寄ってきた。
囲まれたレイルとステラリアは、思わず顔を見合わせる。何というか、とんでもないことになってきた。ステラリアが小さく噴き出して、こくりと頷いてくれたので、レイルはやれやれと肩を竦めた。だが、悪い雰囲気ではない。
「なら、みんなで得意な科目を苦手な者に教えるようにしよう。私一人では、さすがに手が足りないからな」
きらーんとレイルの眼鏡が輝く。
残っていたのは、真面目だが比較的身分の低い者たちが多く、そこそこ人数がいる。高位貴族でも身分に分け隔てのない者が集まっているからか、クラス全体としてのまとまりはよかった。
レイルはさくさくと采配をふるい、ざっくりクラスメイト達を班に分けた。ばらばらに勉強しているよりも、それぞれの得意不得意を把握して、相互に協力するほうが効率も良い。
全体監修は、何でもござれのレイルだ。目を配り、困っている彼らに適宜手を差し伸べた。
当然だが、ステラリアの不明点を教える役割は、レイルが譲らなかった。その辺、お邪魔をしているクラスメイトたちも、空気を読んだ。
「レイル様、近寄りがたい雰囲気だったのに、こんなに面倒見がいいなんて知らなかったな」
「きっとステラリア様のおかげでしょうね」
「お二人、お似合いよね。本人たちは、あまり気づいていらっしゃらないようだけど……」
そんな風に、こそこそとクラスメイトが話しているのも気づかず、レイルとステラリアはクラス自習に取り組んだ。
放課後にも関わらず、わいわいと賑やかなクラスメイトたちと思わぬ交流を図りつつ、あっという間に時間は過ぎていくのだった。