06.お茶会後② ステラリア
側近と婚約者による、密やかなやり取りに気づいた様子もなく、レイルは変わらずベッドの上でごろごろと身悶えながら、一心不乱にステラリアの可愛さを訴えている。
「この間あげたブレスレットも、毎日学園に着けてきてくれているし。いいな、俺のステラって感じがして」
「ええ、っとぉ!? そ、そうですねえ、とんでもないマーキングですもんね、アレ……」
「はぁ……やはり俺の見立てに間違いはなかった。宝石が、ステラの美麗さを更に引き立て輝かせていた。なあ、マクベスも気づいたか? 時折、手首にちらって視線をやって、小さく嬉しげに微笑むステラを。もう可愛すぎて、本気で俺を殺す気かと。はー……何度膝から崩れ落ちそうになったことか……あの細い手首に口付けたい……」
「真面目な話、主の死因、ステラリア様に悩殺されてっていうの本気でありそうですよね。でも、ま、ステラリア様にあんな幸せそうな顔されたら、贈り物冥利に尽きますね、レイル様」
「まあな。気に入ってもらえて、良かった……」
(えっ、えっ、び、美麗!? か、可愛い!? や、やだ、あんなところまで、きっちり見られているとかー!?!?)
普段のレイルから、一言も飛び出したことがない言葉だ。情報が、情報が多い。すべてを一気に受け止めきるには、あまりにも重い。
混乱著しく、ステラリアのキャパシティもだいぶオーバーしてきて、ショート間近の思考回路がぐるぐるし始める。
だんだんいたたまれなくなってきたところで、静かに肩を叩かれた。はっと振り返れば、背後にいたジャスミンが、立ち去ろうと促してきたのだ。
ああ、そうだ。ここで覗き見をレイルに気づかれてしまったら、絶対にマズいことになるのだけはわかった。
ステラリアとジャスミンは、足音を立てないようそろそろと慎重にその場を離れた。後は何かあってもマクベスがきっと誤魔化してくれる、はず。彼は有能な側近だ。
ちょうど人気がないのも幸いした。ステラリアもジャスミンも、さすがに挙動不審がすぎる。
妙な緊張感に支配されながらも、ゆっくりと階段を降り、やがて玄関フロアまでたどり着く。さすがにここまでくれば、声を交わしてもバレはすまい。
ようやく、二人は詰めていた息を深く深く吐き出した。過剰な情報供給で、頭がくらくらする。ジャスミンの顔色も、どことなく悪い。
「待って……待って……感情が追い付かない……」
「……な、何がどうしてああに!? レイル様ってあんなキャラでしたっけ!? クールさが完全崩壊しているんですけど!? 冷徹なイケメンのインテリ枠が、どうしてポンコツ残念になった!? え、これ……」
愕然と小声でぶつぶつ呟くジャスミンは、頭を抱えてああああと唸り始めた。いつも泰然としているジャスミンまでもが、珍しく慌てふためている。それほどまでに、レイルの変貌がショックを与えたのだろう。
「お、落ち着きましょう、ジャスミン。私は夢を見ていたのかしら……」
「はっ……。お嬢様こそ全然落ち着いていないです。現実ですよ、しっかりしてください」
お互いが妙な混乱具合を見せたせいか、徐々に頭も冷静になってきた。往々にして、自分以上に取り乱している人を見ると、冷や水を浴びせられたような心地になるものだ。
深呼吸を繰り返し、ステラリアは自分の目で見た光景をよくよく考える。
真面目で、品行方正で、王子のようなレイルが、ベッドローリング。ギャップが物凄い。何がどうしてこうなったのかと思わなくもない。
だが、あんな最中でも表情は動かず真顔だったので、「あ、レイル様だこれ」と素直に腑に落ちた。これで満面の笑みでも浮かべていようものなら、やはり乱心を疑い、高熱でもあるのかと泡を喰っただろう。
(いや、それはそれで破壊力が凄そうで、ちょっと見たかったかもしれないけれども……)
ゴロゴロしていたレイルの姿は、確かに普段の彼からは想像もつかないものだった。だが、驚きはしたものの、それで彼に幻滅するようなことは全くなかった。
むしろ、レイルの発していた言葉が、今頃実感としてじわじわとステラリアに沁み込んできて。
可憐、とか。可愛い、とか。美麗、とか。好き、とか。愛してる、とか。
およそレイルから聞いたこともないような単語が、ステラリアの脳裏に巡り巡る。
これが、明らかに現実で起こった事実であるなら。レイルが身悶えながら囁いていた数多の愛の言葉も、何一つとして間違いではないわけで。
――つまりは。
「~~~~~~~~っ!!」
それを自覚した途端、ステラリアの全身は火を噴いたように真っ赤に染まった。あまりの恥ずかしさに、どうしたらいいのかわからなくて、あわあわと両手を頬に当てる。どこもかしこも熱い。ふわふわと浮足立ってしまいそうな心地だ。一旦は落ち着きを見せた心臓が、再びどくどくと弾む。
隣で案じてくれていたジャスミンは、突然のステラリアの変貌にあらあらと目を見開く。そうして、先ほどのマクベスと似たような表情で、嬉しげに笑った。
「ふふふ……お嬢様、可愛いです。色々とツッコみたくはあるものの、レイル様、お嬢様が大大大好きだったみたいですね」
「も、もう、揶揄わないで! ジャスミンのばかぁ! ジャ、ジャスミン、これは私たちだけの秘密よ、絶対に」
「わかっております……ええ、わかっておりますとも。このジャスミン、レイル様の秘密は、きっちり墓場まで持っていきます。何はともあれ、マクベス様にはバレてしまいましたし、後できっちりお話を伺うのがよろしいかと」
一番状況を把握しているのは、第三者でもある側近のマクベスだろう。
果たして、いつからレイルはあんな状態なのか。婚約者だというのに、ステラリアはちっとも知らなかった。よしんば知っていたとしても、きっと今みたいに困惑しただろうが。
レイルが見せる別の顔を、マクベスはずっと知っていた。婚約者と側近、いいや友人とでは、きっと関係性の距離は異なる。特に婚約者として、レイルとステラリアは距離を測りあぐねていたところもあるから。男同士の間には、女が入れない領分がある。わかっていたが、ちょっとだけ悔しい。むくれたくもなったが、まずは話を聞くのが先だ。
「そうね。そのあたりの手配は、ジャスミンにお願いするわ」
「かしこまりました。では、お嬢様、あまり長居もできませんし、今日のところは帰りましょう」
「はっ、ヨーゼフも誤魔化しておかなくちゃね!」
深呼吸を何度か繰り返し、ステラリアはどうにかして平静を取り戻す。顔のほてりはいつまでも取れなかったが、外に出て風に当たればどうにかなるだろう。多分。
伯爵家の馬車の前で待機してくれていたヨーゼフに、レイルが取り込み中だった旨を伝え、気を遣われたくないからと訪問について内緒にして欲しいとお願いした。忘れ物については、明日あたりレイルが手渡してくれるだろう。
当然、ヨーゼフはかしこまりましたと胸に手を当て、何事もなかったかのようにステラリアたちを送り出してくれた。
「……衝撃的だったわ」
ほんの気まぐれからだった。たった数分の出来事で、今までの人生におけるレイルへの価値観が覆されてしまった。
大丈夫だろうか。
明日以降、学園でレイルと顔を合わせて、自分は果たして心穏やかにいられるのだろうか。
こつんと額を馬車の壁に当て、ステラリアはううううと内心で呻いた。