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05.お茶会後① ステラリア



「あら……? 扇を置いてきてしまったみたい」



 イングラム侯爵家から馬車が出発した直後、ステラリアはレイルの部屋に忘れ物をしたことに気が付いた。ふと覗いた鞄の中に、レイルから贈られた扇が見当たらなかったのだ。


「やだ、私ったらうっかりしていたわ」

「お嬢様、明日にでも私が取りに窺いますが……」

「ううん。レイル様のお顔ももう一度見られるし、戻ってもらってもいいかしら」

「かしこまりました」


 向かいに座る侍女のジャスミンがそう言ってくれたが、忘れ物を口実にまたレイルに会えると思うと、戻るのもやぶさかではない。出発直後にわかったから、イングラム侯爵家までは大した距離もない。

 それに、気に入っていた扇だったので、明日も学校で使いたかった。

 ジャスミンが、馭者に声をかける。馬車は、道幅に余裕のあるところでターンし、ぐるりと元来た道を引き返す。

 ややあって再びイングラム侯爵家に到着すると、入り口で枯れてしまった庭木の葉を整えていたらしき老執事がおやと軽く瞠目した。見送り後、彼はまだ屋敷に入っていなかったらしい。ちょうどよかった。呼び出しの手間が省けた。

 ジャスミンの手を借りて馬車から降りたステラリアに、執事ヨーゼフは柔和に目を細めた。

 レイルが生まれる以前から、イングラム侯爵家に仕えているヨーゼフは、ステラリアともすっかり顔なじみだ。ステラリアからするとお髭が格好いいダンディなお爺ちゃんだが、怒るとめちゃくちゃ恐いらしい。両親以外で、珍しくレイルの頭が上がらない存在だ。


「これはこれは、ステラリアお嬢様。どうかなさいましたか?」

「さっきぶり、ヨーゼフ。私ったら、扇を忘れてしまったみたいなの」

「では、メイドに確認しますので、少々お待ちいただけますか?」

「あっ、多分レイル様のところだから大丈夫よ。私が取りにいきます。メイドが見つけてくれていても、レイル様が預かっているでしょうし。せっかくだから、もう一度レイル様のお顔を見ていこうかなって……」

「ふふ、かしこまりました。坊ちゃまも喜ばれますよ」

「だから、案内もいらないわ。ジャスミンもいるしね。片づけで忙しいところ、悪いわね」

「とんでもない。お気遣い痛み入ります」


 にこにこと笑みを崩さない執事に促され、開かれた屋敷の扉をくぐる。

 ガルシア伯爵家とは流石に異なり、侯爵家はやはり大きく勢を凝らした作りになっている。入り口に飾られた大きな絵画やシャンデリアの素晴らしさもさることながら、中央の花瓶に活けられた瑞々しい花々は、女主人たるレイルの母の力作だ。

 レイルの部屋は、2階の一番奥にある。

 玄関ホールを抜け階段を上ると、大きな窓から覗くのは美しく整えられた庭園。各種色とりどりの薔薇を取り揃え、丁寧に剪定された緑、時折珍しい品種も顔を覗かせ、季節ごとに表情を変える様は、訪れた人を飽きさせない。奥にあるガラス張りの温室は、貴重な花や薬草を育てており、訪れる人の目をこれでもかと引く。やはり王宮の庭園に勝るとも劣らない。

 レイルの部屋に落ち着く前に、庭園で行ったお茶会を思い出し、ステラリアはついついうっとりしてしまった。

 新緑も美しく、気候の良い中催された、二人だけのお茶会。出されたケーキも焼き菓子も軽食も全て美味しくて、頬が落ちるかと思うほどだった。頻繁にお茶に呼ばれているけれども、侯爵家の料理長はいつだって申し分ない。見た目も鮮やかで美しく、美味しいものを作る魔法の手を持つ彼は、時折ステラリアにも手ほどきをしてくれる師匠でもあるのだ。

 また、レイルがわざわざ手ずから入れてくれた紅茶の美味しいこと。リシー地方で取れた旬の茶葉は、少し若さの残る芳醇な香りが鼻を抜ける。渋みも少なく、ティータイムにぴったりだった。

 何より、薔薇を背景に茶を優雅に飲むレイルは絵になって、とても素敵だった。目の保養。はあ、と頬に手を当てて、ステラリアは悩ましげなため息をついた。

 絨毯が引かれた廊下は、人気がない。お茶会が終わってから、そこそこの時間が経つ。今頃、メイドたちは台所で洗い物に奔走しているのだろう。


(あら……?)


 やがて、レイルの部屋の手前まで来ると、ぼそぼそとくぐもった話し声が廊下に微かに漏れていた。よくよく見れば、重厚なドアがわずかに開いている。几帳面なマクベスにしては、随分と珍しい失態だ。


「ステラ………いい……!! 今日の服装も……!!」

「はぁ、主は………りですね、本当……」

(私……?)


 細切れに届くレイル声に自分の名前が出てきて、ステラリアはどきりと肩を跳ねさせる。


「お嬢様……」

「お願い、ちょっとだけ、ね?」


 好奇心をくすぐられた。

 困ったように眉を下げたジャスミンにとがめられるが、レイルがマクベスと何を話しているのか、どうしても気になってしまう。誘惑に抗うことはできなかった。

 いけないと思いつつも、抜き足差し足でドアまで近づき、ステラリアは細い隙間からそっと室内を覗き込んだ。


(ええええええええええええ!?!?!?)


 ステラリアは、大きく目を丸くする。あまりの光景に、声を失う。多分、今自分は、以前どこかで話題になった、目を丸くした顔をした猫が、壮大な夜景を背景にびっくりしているシュールな絵画みたいなことになっている気がする。

 そこには、脳が理解を拒みそうなほどの衝撃の映像が広がっていた。


「……それに、ステラのネックレス、清楚な蒼が似合っていて、さりげなく俺の色を取り入れてくるから堪らなかったな。ああー! やっぱり可愛いよ、ステラ……! 庭の大輪の花たちにも負けない愛らしさ、彼女の前では薔薇すらも色褪せて見える。俺だけの蕾、俺だけの愛。扇を手に楚々とした姿は可憐だったし、料理長の菓子に目を輝かせて舌鼓を打った姿も可愛い。よし、料理長の給料を上げよう。俺の淹れた紅茶も美味しいと言って微笑んでくれて……今日も天使だった。死ぬほど練習したかいがあったなあ……報われた。本当、侍女長、厳しくて容赦なかったから……」

「私のお腹が、たぷたぷになったかいがあったというものです。この間のお見舞いも、気に入ってくださったようで良かったですね」

「ああ、苺美味しかったですって、はしゃぐステラの何と愛いことか。マクベスを犠牲に、ステラのためなら俺は何でもできる気がする……。はあ……可愛いの極み、好きだ、ステラ……可愛い、俺の愛しい女……。傍にいてくれるだけで尊いが過ぎる」

「どうしてそれを本人に言えないんですかね……。てか、私の犠牲は考慮してください」

「マクベスうるさい」


 枕を抱え、茶会の出来事を反芻しながら、ゴロゴロとベッドの上を縦横無尽に転がっているのは、レイルだろうか。本当に?目の錯覚ではなかろうか。心臓がバクバク高鳴っている。ステラリアは、動揺を抑えるのに必死だった。

 あの不愛想なレイルが、氷の貴公子とまで呼ばれたレイルが、冷静沈着で何事にも動じないと評判のレイルが、自分のことを『俺』と言い、言葉も服装も乱し、ステラリアのことを愛称で呼び、恥ずかしげもなく愛を叫びながらベッドローリングしている。

 ただし、真顔だったが。

 一体、何の冗談だろう。果たして、夢か幻か。ステラリアは、思わず目を擦って3度見してしまった。

 しかし、レイルは今なお元気にコロコロしている。これは、まごうことなき現実だった。

 マクベスも、レイルのご乱心に、動揺している気配もない。受け答えもしっかりしているし、むしろニヤニヤと現状を愉しんでいる様子が見受けられる。いくら従者でも、主人が突如おかしくなったら、それなりに慌てたりしないものだろうか。

 ……何だろう、もしかしなくても、これが通常運行なのか。これが!?


 すると、気配を感じたのか。ふっとマクベスが背後を振り返った。視線がかち合う。あ、と口を開け、さーっと顔を青ざめさせた彼の顔といったらなかった。

 ステラリアはその瞬間、口元に指を立てて、しーっと指示をした。ジェスチャーと目くばせをし、後でと合図を送る。ぎこちなく頷いたマクベスは、ベッドへ視線をゆっくり戻した。





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