03.夜会後① レイル
俺の婚約者は、最強に可愛い。
体調がすぐれない様子だったステラリアを送ってから、レイルは侯爵邸へと辿り着く。両親も既に夜会から戻っているようだった。
自室に入り、窮屈だったタイを外しその辺りに放る。幼い頃からの従者であるマクベスがどうにかするだろう。ステラリアが羽織っていたジャケットは、丁寧にソファの背もたれにかけた。
「これはこのままで。触れるな」
「かしこまりました」
背後からは、扉を閉じ、行き場をなくして無造作に床に落ちたタイを拾いながら、マクベスが苦笑している気配が感じられた。
口元を引き結びながら、ずんずんとベッドまで歩き、そのまま倒れるようにレイルはダイブする。柔らかなスプリングが、疲労まみれの全身を受け止めてくれる。
夜会など、面倒なことこの上ない。表情に乏しいレイルにとって、正直なところ社交は苦手で、できれば参加したくないのが本音だ。侯爵家の長男としてそうも言っていられないが、猫撫で声ですり寄ってくる女も厄介だし、自分を見定めてくる権力者共の視線もうっとうしいし、王太子クリストファーの揶揄いをあしらうのも疲れる。
それでも、そんな面倒さを全てチャラにしてくれる存在が傍にいるから、レイルは貴族社会で頑張れるのだ。
詰めていた息を思い切り吐き出しながら、レイルは仰向けに身を捩った。
「はあああああああああ……可愛い!! 最強に可愛い!!!! ステラと一緒の夜会、最高に楽しかったし目の保養だった!! ああ、ステラ、俺の光、俺の太陽、俺の活力!! 今日もめちゃくちゃ可愛かった!! ステラは地上に舞い降りた天使か何かかな!? マクベス、見たか!? 俺の贈ったドレスとアクセサリーを着用したステラの愛らしさ! お揃いだぞ、お揃い! 念願のお揃いコーデだ! やったーやっぱり俺の目に狂いはなかった、絶対にあの布地とアクセサリはステラに似合うと思ったんだ。世界で一番可愛かったぞ、さすがステラ、一生推せる! 緊張でちょっとこわばった顔も、その後俺に向けてへにゃりと安心して笑ってくれる顔も、美味しいもの食べて幸せそうにしている顔も、友達と挨拶して気がぬけている顔も、ダンスのステップに失敗してわたわた慌てている顔も~~~~、か、可愛い!!! 腰の細さもさることながら、すっと伸びた背筋は美しいし、俺の腕の中にすっぽりとおさまった肢体、柔らかくてマジたまらん。ッスー……あと、ステラ、すっごいいい匂いした……! すっごいいい匂いした!! なんなの、あれ絶対に俺が先日の誕生日に送った香水のはずだけど、ステラの肌と合わさるともう凶悪すぎてヤバ……ヤバい!! 理性が壊れそう! 危なかった!! 俺頑張った、えらい!! もう毎回会うたびに可愛いを更新するから、本気で困る。他の男にあんな可愛いステラを見せたくない、でも自慢したい、見せびらかしたい。俺の婚約者は最高だってな!! はぁ……ステラ……」
「うるせぇ……」
レイルはゴロゴロ転がってベッドの端から端を何度も往復しながら、一息でステラリアへの愛を存分に叫んだ。それはもう、ウッキウキの声音で。
言葉も、髪型も、服装も乱れたそこに、氷の貴公子と呼ばれる男の姿は、微塵もなかった。幸せそうに、柔らかなシーツの上で悶えている。
――唇が微かに緩んでいる程度の、ほぼ真顔のままで。
言動と表情の乖離があまりに著しい。レイルとしても、この内心の浮かれ具合が少しくらい表に出てくれればいいのにと思うのだが、頑固な表情筋はピクリともしない。筋金入りである。
突如奇行に走ったレイルの姿に動揺もせず、むしろ手慣れた様子でタイを手で伸ばしながら、マクベスは呆れ気味にレイルを見た。
「……毎度言いますが、真顔でベッドローリングするレイル様、真面目に面白恐いです」
「うるさい。黙れ。俺のステラに対するパッションの発露なんだよ、これは……」
「あのねえ、そういうことは、きちんと本人に伝えてあげてくださいよ。今日だって格好つけてるくせに、ドレス似合っているとか綺麗だとか可愛いとか愛しているとか、ステラリア様に一言も言えなかったくせに。この見栄っ張りヘタれが」
「ぐぐっ…………………」
乳兄弟でもあるマクベスは、主であるレイルにも情け容赦がない。ぐさぐさと痛いところを的確に突いてくる。一言も言い返せずに、レイルはベッドに撃沈した。
が、こんなみっともなく情けない姿、ステラリアには絶対に見せられない。彼女の前では、格好良く完璧な自分でありたいのだ。それこそ、いつぞやステラリアが素敵だと頬を染めていた、物語の主人公たるクールで強い騎士のように。そう考え、ずっと自己研鑽に励んできた。
なのに、事実マクベスの言う通り、彼女の前に立つと緊張からか、どうにも上手く立ちまわれない。こんなにもステラリアのことを愛しているにもかかわらず、硬くなってしまいがちなレイルは、傍から見るとどうにもそっけない態度になってしまう。
表情の一つにでも想いが現れればまた違ったのだろうが、筋金入りの鉄仮面である。
宰相とのやり取りもそつなくこなせるレイルが、実は婚約者への対応に四苦八苦しているだなんて、誰が思うだろうか。
本当は、もっと優しくスマートに、恋人のように甘くふるまいたかった。存分にイチャイチャしたかった。ステラリアと別れて自宅に帰るたび、自己嫌悪に陥ってしまう。
でも、そんな可愛げのないレイルを見捨てることなく、婚約者として笑顔をふりまき優しく接してくれるステラリアのことを、レイルは本気で天使だと思っている。
「しかし、あの華奢さ、きちんと食べているのか心配になるな……。顔色もさほど良くなかったし……。はっ、明日、国中の医師と薬師を派遣したほうがいいのでは!?」
「さすがに迷惑だからやめておきましょうね。愚考するに、慣れない夜会で、疲れが出ただけだと思われますよ」
「そ、そうか? まあ、家に到着した頃には、だいぶ頬に赤みがさしていた気もするが……」
「一晩寝てゆっくり休めば、ステラリア様もきっと元気になりますよ」
はっとなって慌てて身を起こしたレイルを、マクベスは落ち着けとばかりにどうどうと窘める。
「気になるようでしたら、朝一で果物をお見舞いにお贈りしてはいかがですか。今時期ですと、オレンジがさっぱりしていていいかもしれません」
「ああ、その方がいいな。あと、ステラは苺が好きだから一緒に頼む」
「かしこまりました。手配しておきますね」
熱はなさそうだったものの、テラスにいたステラリアの青白い顔を思い出すと、胸が痛む。何より大事なのは身体や心なのに、彼女はレイルに心配をかけないためにか、馬車で気丈に振舞っていた。
レイルは、悩ましげに吐息を漏らした。
「それなのに、ちゃんと婚約10年記念を覚えてくれていて、わざわざ俺のために刺繍したハンカチをくれるだなんて、俺のために! 何てけなげな!!! やはりステラは天使か、天使だった!」
「そういえば、レイル様は宝石をあしらったブレスレットを差しあげたんでしたっけ。あの宝石、軽く見せながら、べらぼうにお高い品でしたよね。しかも、防御の魔法陣が組み込まれている上に、密かに逆探知が可能なヤツ……。主おっも、おっも!」
「ふん、何とでも言うがいい。ステラの身を守るためだ。あのブレスレットをはめたときに、目を丸くして嬉しそうに笑ってくれたステラ、めちゃくちゃ可愛かったんだぞ。俺のジャケット羽織ったまま、ちょっと恥ずかし気に頬を染めてるから色っぽくて艶やかで昇天するかと思った……や、ヤバい、彼ジャケ……最高だった……また着せたい……俺の脳内ステラ絵画集に、また伝説の一枚が刻まれてしまったな……」
「主ぃ……頼みますから、ジャケットくんかくんかしないでくださいね……?」
「ばっ……ばばばかか、そんな破廉恥なことするわけないだろう!? あれは保存魔法をかけて家宝にするんだ!」
(ちょっとしたかったんだな……)
ぽーっと頬を染めて、ジャケット姿のステラリアを反芻するレイルは、再びごろごろごろと高速でベッドの上を転がりまわった。意外にも彼はむっつりなのである。
普段仕事をしないと評判の表情筋も、ステラリアのこととなると、かたくなさを放棄するのだから困ったものだ。
レイルの頬は、幸せそうに小さく緩んだ。
だいぶ残念な拗らせヒーローです…