12.懐古① レイル
その日、僕は運命に出会った。
あれは、まだレイルが6つの頃。
レイルは分厚い本を両手に抱え、ふうふうと息を荒げながら、ちょこちょこと中庭を歩いていた。
肩まで伸びた淡い金髪に大きな青い瞳は愛らしいものの、表情は精彩に欠けている。低い身長にひょろりと薄い肢体は、一見女の子を思わせるほど華奢だ。
誕生日に与えられた1つ年上の従者マクベスは、おろおろと後ろを心配そうについてくる。マクベスと比べても、レイルの姿は随分といとけない。
幼い頃のレイルは、未熟なまま生まれたからか成長が遅く、身体も弱く、食も細く、ちっぽけだった。風邪を引きやすくて、よく熱を出しては寝込んで、ベッドとお薬はすっかり良きお友達だ。
本来であれば、既に行われているはずの後継者教育は、虚弱さを理由に少々遅れ気味で、中でも武芸全般は体力が続かず、すぐにへばってしまう始末。
今でも微動だにしないと評判の表情筋も、肌の柔らかな幼児の割に全く動かず、幼児特有の愛想もない。そのせいか、性格も内向的で、人見知りが激しかった。
今の『氷の貴公子』などという二つ名を持つ完璧なレイル・イングラムだけを知る者からすれば、そんな馬鹿なと一笑に付されるだろう。
けれども、まごうことなく幼少のレイルは、将来を不安視されるお荷物でしかなかった。
よくレイルが伏せるせいで過保護になってしまった両親は、「ゆっくり頑張っていけばいい」と、気にせず愛情を注いでくれる。
しかし、侯爵家の後継者として大丈夫なのかと、社交界では密やかに囁かれていた。
このままで良いとは、微塵とも思っていない。だが、彼自身もどうしたらいいのかわからなかった。悪循環に陥ってしまったレイルは、ままならない歯がゆさに日々唇を噛み締めていた。
薔薇のアーチを抜けると、ほんのりと芳しい花と緑の混ざった匂いが鼻をついて、レイルはほっと胸を撫でおろした。
今日は、母親の友達であるガルシア伯爵夫人が邸宅に遊びに来ている。ガルシア伯爵夫人とは、既に何度もお会いしているので、どうにかこうにか慣れた。
だが、初めて連れてきたご令嬢に対して、人見知りを存分に発揮したレイルは、挨拶もそこそこに、マクベスを伴って中庭へと逃げ出したのだ。
人と話すのは苦手だし、少し恐い。
特に、同年代くらいの子供だとダメだ。口下手だから何をしゃべったらいいのかわからないし、令息たちと一緒に外で遊びたくても、元気の有り余る彼らに、体力不足のレイルでは付いていくのが難しい。
先日の誕生日のパーティだって、親しくもない令息・令嬢たちから、密かに「女みたい」「根暗だ」「一緒にいてもつまらない」「対象外」なんて陰で笑われ、遠巻きにされていたのを知っている。表向きにこやかな対応を受けたから、幼いレイルにはショックもひとしおだった。
以来、レイルは、ますます委縮してしまった。
この調子では、友達などできようはずもない。傍についているマクベスは根気よくレイルに付き合ってくれるものの、彼にとってはきっと仕事の範疇。果たして従者を友達と気安く呼んでいいのかは、レイルに判断できなかった。
外に出られないレイルにとって、中庭は狭くも唯一の外の世界だ。
庭師の芸術的な手腕によって美しく整えられた緑や花は、レイルの好奇心を刺激する。
家庭教師の先生による講義も好きだが、寝込みがちなこともあって、なかなかはかどりづらい。
だからこそ、ベッドの中でも読める本から得た知識は、レイルの世界に想像の翼を与えてくれる大切なものだった。
お気に入りの花や薬草が植えられている温室までやってきて、その場にしゃがみこんだレイルは、買ってもらったばかりの図鑑を開いた。
母が花好きなのもあって、庭師は季節に応じた花を植え手入れしている。今回もそのうちの一つで、初めて見る品種の花だった。
「わあ、かわいいお花ね!」
背後から、突如愛らしい声が響いて、レイルはびくんと肩を跳ねさせた。
恐る恐る後ろを振り向けば、先ほどちらりと面通しした令嬢が、満面の笑顔を浮かべて立っているではないか。
見れば、マクベスが力なく項垂れている。どうやら、制止する間もなく無邪気に侵入されたのだろう。
てっきり母親同士の茶会に参加しているとばかり思いきや、意外な人物の登場にレイルの心臓は大きく高鳴った。
「ガ、ガルシア、伯爵令嬢……」
「ステラっていうの。レイくんってよんでもいーい?」
「う、うん……」
「ありがとう!」
ステラリアは勢いのまま、レイルの隣にしゃがみこんだ。地面にスカートの裾が擦れて土がついてしまっているが、全く頓着していない。むしろ、少し離れたところに立って控えているマクベスの方が、あわあわと落ち着かなさげだ。
ステラリアの銀色の髪は、温室に降り注ぐ柔らかな光を受けてとても綺麗だった。にっこりと唇を三日月にした無垢な笑顔は、はちきれんばかりに眩くて、レイルは思わず見とれた。まるで、そこに鮮やかな大輪の花が咲き誇ったかのようだった。
めかし込んできたのだろう。薄桃色のふわふわしたワンピースは、可憐な彼女にとても似合っている。
なのに、スカートよりも、ステラリアは目の前の花が気になるのか、瞳をキラキラと輝かせている。母親が身に着ける黄緑色した宝石のようだと、レイルは思った。
「ねえねえ、これはなんていうお花なの? 水色でちっちゃくてかわいいね!」
「……これは、オキシペタラム。母上が隣国から取り寄せたんだ。ほら、この本にのっている」
「ほんとだー! お星さまみたいだね。じゃあ、こっちは?」
「これは……」
あれもこれもと指名される草花の名前を教え、簡単に解説していく。ステラリアに手を取られるがまま、温室だけでは飽き足らず中庭にも飛び出して、立て板に水のごとく、次々と応酬を繰り返す。
やがて、ステラリアは、「すごーい! レイくん、すごいよ!」と興奮混じりにはしゃいで、尊敬の目でレイルを見てきた。
こんな風に同年代の子供と接したことがなくて、妙にくすぐったい。鼓動がドキドキとうるさい。表情に感情がのらないので、傍からするとぼんやりしているように見えるだろうが、レイルの胸はじわじわと熱くなった。
「えっと、ステラ、お花……好きなの?」
「うん、だいすき! レイくんも、レイくんのお母様も、お花はおすき?」
「ああ」
「ふふー、わたしといっしょだね! おうちの庭にはこんなにいっぱいお花さいていないし、知らないお花ばっかりだったから、すっごくたのしい!」
「楽、しい……? 僕といて、ステラは楽しいの?」
「うん、たのしいよ? どうして?」
「……本当に? だって、みんな、僕と一緒だとつまらないとか、根暗だとか言うから……。僕、みんなみたいに何にもできないし……」
「そうなの? そうかなあ?」
訝しむ声に、ステラがきょとんと小首を傾げた。
レイルははっとなって、胸に抱えた本を握りしめた。初対面の相手に、思わずこんな情けない愚痴を吐き出してしまうなんて、侯爵家の嫡男なのに恥ずかしい。
酷くみじめな気持ちに苛まれ、涙が込み上げそうになるのを必死で堪える。
情けない顔を見られたくなくてそっと俯いたものの、ぎゅっとステラが本ごと手を握ってくる。伝わる体温が温かくも優しい。
そろそろと面を上げると、ステラは気にした風もないく微笑んでいる。
「その子たちとは仲良しなの?」
「いや……」
「そっか! あのね、レイくん、お花の名前をたくさんおぼえていて、ていねいに教えてくれて、すごいなあって思ったし、わたしが転ばないようにしてくれてやさしいし、いじわるしないし、何にもできないことなんてないよ。すてきなところがたーっくさんあるのに、知ろうとしなくてもったいないね」
「そんなこと、初めて言われた……。で、でも……ぼく、無表情で恐いって……」
「そう? お母様とかジャスミンのおこった顔のほうが、ずっとこわいよー!」
ステラリアは内緒だよと呟いて、きゃらきゃらと声を上げる。
その姿には、悪意を持ってレイルを揶揄した令息たちのような、嘘偽りなど一切感じられなかった。
でも、レイルの口ぶりから、ステラリアも幼いながらに何がしかを感じ取ったのだろう。
「えっとね、お父様が言っていたんだけど、わたしたちはまだ小さいんだから、しっぱいしながら、色んなことにいっぱいちょうせんして、大切なものや好きなものをたくさん見つけなさいって。未来は、広がっているんだからって!」
真っ青な空を背景に、楽しげな様子で両手を頭上に大きく広げたステラリアは、何よりも生命力に満ち溢れて綺麗だった。




