11.勉強会後 ステラリア
とんでもない奥手を炸裂させローリングを繰り広げた馬車もあれば、片やとんでもない喧騒に満ち溢れる羽目になった馬車もあるもので。
「……ぴゃあぁあ!?」
微かに口角を上げ、まるで悪戯っ子のように微笑んだレイルの姿が、ドアの向こうに消えた。
馬車の扉が閉まる音と同時だったためか、ステラリアが反射的に漏らしてしまった蚊の鳴くような悲鳴は、レイルの耳に届かなかったらしい。命拾いした。
ジャスミンの機転で、馬車のドアカーテンがささっと閉められ、間抜けな顔をレイルに晒し続ける事態は回避できた、はずだ。夜で助かった。
ジャスミンにさくさくと誘導されるがまま、ステラリアはぼんやりと椅子に腰をかける。
一体何があった。これもまた夢だろうか、幻影だろうか。最近夢を見るのが多すぎやしないだろうか。
でも、掌に触れる頬の熱は、確かに己の体温の上昇を伝えてくる。
だって、キス、を。
レイルから、キスをもらってしまった。
しかも、妙に嬉しげな顔で。
でも、自分に都合のいい見間違いであることを、ステラリアは否定できない。
ステラリアがそんな風に放心しているうちに、ガルシア邸に向けて馬車は動き始めていた。すっかり学院の門扉は遠ざかっている。
「お嬢様、お嬢様? お気を確かに」
「ジャ、ジャスミン~!?!?」
目の前に何度も手をかざされ、そこでようやくステラリアは我に返った。
視界に映るのは、見慣れた茶髪茶目の愛らしい侍女の姿。
彼女はにんまりと目を細くして、めちゃめちゃいい笑顔でステラリアに笑いかけた。
「良かったですねえ、お嬢様。レイル様が口付けて下さって」
第三者の証言で、これが現実だとつまびらかにされてしまった。
自覚が芽生えれば、先ほどとは比べ物にならないくらい、全身に熱が駆け巡る。ステラリアの顔は、これ以上もなく赤に染まってしまった。変な汗をかいている気がして、両手で頬を覆う。
「あわわわわわわ……ちょ、待って……ドキドキしすぎて、死んじゃうぅ……」
「まあ、まあ、お嬢様ったら真っ赤! さあさ、落ち着いて呼吸しましょう、大丈夫」
ステラリアの隣に座り直したジャスミンが、ゆっくりと背中をさすってくれる。
しっかり者で、幼い頃からステラリアの傍にいて導いてくれる姉のような少女は、いつだって頼もしい。
その手のやさしさに、少しずつ平静を取り戻したステラリアは、深々と息を吐いた。
「は…………」
「は?」
「……は、初めて、なの。レイル様にキスされたの」
「えええええええ!?」
目をくわっと見開いたジャスミンの驚きも、もっともだろう。
そりゃあもちろん、婚約者として手の甲にキスを受けたことは何度もある。しかし、頬へは、ステラリア史上初めての出来事だった。
「さすがにそれは奥手が過ぎるのでは!? この間のベッドローリングもそうでしたけど、レイル様って実はそんなお方だったんですね!? 私、わけがわからなくなってきました」
「紳士と言って下さい! 大丈夫、私もレイル様がわからないわ! 奥が深すぎるのよ……」
「いやいや、いくら何でも紳士が過ぎますよ。……冷静沈着で恋愛下手だけど、決めるときは決めるキャラがどう転んだらああに……ううーん……?」
額を押さえたジャスミンが、小声でぶつぶつと何がしかを呟き始めたけれども、ステラリアも正直それどころではなかった。
果たして、一体何がレイルをキスに駆り立てたのか。最近、それなりに彼の感情の機微が読めるようになってきたかなーなんて調子に乗っていたのに、さっぱりわからないにまで一気に逆戻りした。
「それはともかくとして、お嬢様の憂慮、ここのところ随分と吹き飛ばしてくださいますね、レイル様は。ほら、私の言った通りじゃないですか、お嬢様に魅力がないなんてことはないから、そのうち理性が崩れますよって」
「うううう、ジャスミン、虐めないでよ~!?」
「だって、女の私から見ても、お嬢様可愛いんですもの。レイル様、我慢強いにもほどがあるのでは……」
気心の知れた彼女には、レイルがなかなか触れてくれなくて、寂しいのだと時折不安を吐露していた。さすがに先ほどのキスが、初めてのそれだとは、露とも思わなかったみたいだが。
頬に触れるだけの、児戯のようなキス。
それでも、ステラリアにとっては、躍進の一歩だったのだ。
何せ、服装を変えても、アクセサリを変えても、髪型を変えても、香水を変えても駄目。手を変え品を変え、あれこれレイルが手を出したくなるように誘導しても、彼の理性は一切崩れず鉄壁を保っていた。正直、ステラリアが凹むレベルで、華麗にスルーされていたのだ。泣ける。
まあ、蓋を開けてみれば、そんなささやかなステラリアの誘惑をレイルが必死に堪えていたのは、後々マクベス越しにわかったのだけれども。
だから、ささやかとはいえ、レイルがステラリアを求めてくれて、恥ずかしさも大きかったが、それ以上に嬉しかったのだ。胸がきゅんとしてしまったのだ。
「ううう、レイル様、好き……」
「あ、甘酸っぱすぎです、お嬢様……!」
「ど、ドキドキが凄いのだけど……もっと触れて欲しかったなんて思うのは、はしたないかしら……」
「そんなことないですよ。好きな殿方との触れ合いは、胸いっぱいで幸せな気持ちになるものですから」
「そ、そうよね……?」
きゃあきゃあと恋の話に浮かれる少女たちの声は、いつでもどこでもかしましく愛らしい。
何だかとっても気持ちが昂ってしまった。果たして今夜はちゃんと眠れるだろうか。
今日は、レイルの優しいところも、素敵なところも、かっこいいところも、たくさん目の当たりにできた。
ふふっと小さくステラリアの喉が鳴る。大切な宝が、いっぱい増えてしまった。
ジャスミンが、ひそかに「貴方の主、紳士すぎるのどうにかしなさいよ!」とマクベスをせっつこうと決意を新たにしている傍らで、ステラリアは夢見心地なまま幸せに包まれた。
そうして、ほんの少しの寝不足になりながら、爽やかな朝の空気の中登校した学園で。
表情筋は動かず、見る人が見れば普段と特段変わらぬむっつり唇を引き結んだ仏頂面のレイルが、安堵と共にどことなく気もそぞろになっている様が垣間見えて。
どれだけ完璧だ、冷静だ、優秀だと言われるレイルとて、自分と同じただ一人の人であるのだと。それが途方もなく可愛くて、愛しくて、尊いもののように感じられて。
ふと、昨日のレイルの唇の感触を思い出してしまい、恥ずかしさもあったけれども、ステラリアは曇りのない満面の笑みをたたえ、レイルに挨拶を告げるのだった。




