中途
久々に描きました。
道を、歩いていた。
いつからなのか分からない。気づけば、道を歩いていた。
一本の白い道が前にも後ろにものびていて、先が見えない。地平の彼方まで、その道はずっとのびている。辺りは真っ暗……いや、呑み込まれそうな“くろ”だった。ただ、この道からズレてしまってはならないのだと、それだけが自分の中にあった。
ひとまず、前に進むことにした。
◇◇◇
ひたすらに歩いていると、道の脇に少年を見つけた。少年は“くろ”と道との狭間でしゃがみこんで、何かを考えているようだった。顔は伏せられているため、彼の顔立ちは分からなかったが、おそらく十七、八ほどだろう。おおよそ、少年と言って差し支えないはずだ。
しばらくの間彼を眺めていたが、一向に顔を伏せたままの彼に、自分は心配になった。なので、少しだけ彼の方へ寄り、声をかけることにした。
「キミは、どうしてそんなところで、しゃがみこんでいるんだ?」
彼は私の言葉に反応したようで、やけに重たそうに伏せていた頭を上げた。
……顔は、見えなかった。
動揺する自分を分かっているのか、いないのか。彼はゆっくりと此方の方を向いた。
彼の首から上は、空間ごと黒塗りされてしまったかのように“くろ”かった。そして、呑み込まれそうな異質な感覚がした。
これを見てはいけないと、本能的に理解した。
そっと視線を上体へと下げるのと同時に、彼は黒塗りから問いかけた。
「あなたは、自分が女だったらって思いますか?」
「…………」
自分はその質問の意図が分からず、ただ黙っていた。
それを見るかのような素振りをすると、彼はボソリと言葉を続ける。
「俺は、あります。女だったらって思ったこと。もし、俺が女だったら、綺麗でオシャレな服をいっぱい着て、歌えなかった高音の歌を沢山歌って、なんなら玉の輿なんて狙ってみたりして…」
何か言わなくてはいけない。そう思った自分は何とか言葉を絞り出して、彼に問うた。
「…キミは、女になりたかったのか?」
「いいえ、いいえ。違うんです。でも…」
言葉が途切れた。
見えないはずの、見ていないはずの彼の瞳が、確かに濁った。
「もし、俺が女だったら…あの子から嫌悪されることも無くって、あの子から拒絶されることも無くって。みんなとの距離も、もっともっと近づいてて……」
彼はのそりと立ち上がると、“くろ”の方へと向いて、手を虚空へと突き出した。そして何かを掴む様な仕草をするが、その手は何も掴むことなく、宙をさまようだけに終わる。
「もし、俺が女だったら……。それか俺が、何にすらも気づけないくらいに鈍感だったら……」
一間、呼吸が止まる。
「……俺はまだ、楽しいって思えたんだろうな……」
何を、やら、誰を、やら。それらを聞こうとは、思えなかった。自分は彼にかけるべき言葉を、持ち合わせてはいなかった。
自分は彼に向けていた身体を、そっと道へと向き直した。そして、再び歩き出した。彼はしばらくの間、“くろ”を見つめ続けていたが、ふっと我に返ったかのように、しゃがみこんでしまった。
◇◇◇
しばらく歩き続けていると、またもや道の脇に人影が見えた。そしてそれは、あちらも同じようだったらしく、その人影はこちらへと駆け寄ってきた。
「こんにちゃ〜!」
とても幼い男児が快活に自分に挨拶をする。
だが、“くろ”い。男児もまた、黒塗りの顔だった。
気味が悪く、自分もそれを返すべきなのかと思案した。そんな自分が何か言うよりも早く、その男児は疑問を呈した。
「ね〜。おじちゃんは、なんでここにいるの〜?」
「お、おじちゃん……」
おじちゃん……いやいや、まだ自分は若いはず。まだおじちゃんでは…………。
そういえば、自分はどれくらいの年齢だっただろうか?そう考え始めると、視界が僅かに歪み始めた気がした。
「ね〜ぇ〜?なんでここにいるの?なんでなんで?!」
男児はこちらの袖をぎゅっと掴むと、そのままぶんぶんと全身を跳ねさせながら腕を振った。
……仕方ない。先にこの子の相手をする必要がありそうだ。
「えっとだな、それは自分でも分からないんだ。だから、ここから出るためにも、こうやってここに歩いてきたんだ」
「どゆこと〜?」
「あー、ボクにはちょっと難しかったか。もうちょい簡単に言うとだな……」
「こっからバイバイ?」
「ん?あぁ、そうだ。ここからバイバイするために、ここに来たんだ」
そう言うと、男児は袖を離さないままに、ぐるぐるとこちらの周囲を回った。そして不意に掴んでいた袖を離すと、にへらと破顔して――したような気がして――口元の辺りを両手で押さえた。
「えぇ〜?おっかしぃの!おっかしおっかしおっかしぃ〜!!」
「はっ?ど、どういうこと?」
「え〜、だっておじちゃんって、こっからでたいんでしょ〜?」
「そうだけど…?」
「じゃ〜、やっぱりおかし〜!!」
笑い続ける男児に、なんとか話してくれる様に言い聞かせると、「ふふん」と言わんばかりの自慢げな雰囲気になり、胸を張った。
「おじちゃんにおしえたげる〜!い〜い?おじちゃんがあるいてきたのがおしまいのほうなんだよ〜。こっちはね〜、はじまるほうなの〜!」
「始まる……?そこには何があるんだ?」
「ん〜、しらない。でもママが、ないないになるからいっちゃダメって」
「ないない、になる…??」
「うん。おじちゃん、かえりたい?」
正直に言えば、この先にあるという“始まる方”とやらに行ってみたい気もしていたが、それと同時に、今ここで、「帰りたい」と言わなくてはいけない気もしていた。
僅かな間、ふたつの選択肢に迷っていたが、自分は、自分の直感を信じることにした。
「帰りたい…かな」
「そか〜。じゃあ、おにぃちゃんのとこにつれてったげる!」
「お兄ちゃんって誰だ?そもそも、着いてきてくれるのか?」
「え〜、むり〜!ぼく、ここからバイバイできないんだ〜」
「……それはいったい――」
「じゃあ、いないないして〜」
そう言って強引にしゃがませて、目を手で覆おうとする男児。仕方がないので大人しくしゃがんで、顔に手が届くような高さまで下げた。
「ありがと〜。おじちゃんじゃ〜ね〜。また来たらめっ、だよ?」
目を覆われた途端、強烈な眠気に襲われ、そのまま意識は、酷く曖昧になっていった。
◇ ◇ ◇
「良かった…無事に戻ってこれたんですね」
「君は……」
「結構焦ったんですよ。でも俺が気づいた時には、もう声が届かないくらいに遠くに行ってしまっていたし……」
目覚めると、先程道の脇でしゃがみこんでいた少年が、こちらをじっと覗き込んでいた。変わらず、顔は黒塗りのままだ。
視界がまだ霞む中で上体を起こし、なんとか辺りを見渡すと、あの男児がいないことに気づいた。
「彼は?!あの幼い男の子を見なかったか?!」
少年は、詰め寄る自分に困惑するように手を身体の前で振ると、ゆっくりと考え込むような仕草をした後、パチンと指を鳴らした。
「そっか!アイツが連れてきてくれたんですね。良かった…」
「アイツって、あの子のことか?君はあの子を知っているのか?!」
「知っている……まぁ、そうですかね。彼のことは俺もよく知っています」
「本当か!あの子は一体なんなんだ!ここは一体どこで、君たちは何でここにいるんだ!?」
「…………」
「答えてくれ!頼む!」
少年は首を横に振ると、始めに見た時にしゃがみこんでいた場所にどさりと座って胡座をかいた。
「質問には答えられません」
「……なんでなんだ」
「…だって、貴方が全部知ってますから」
「何を言っているんだ?第一、自分は――」
「記憶を失っていても、この道を歩くうちに鮮明になっていきますよ。全部」
立ち上がった少年は、最初に自分が進んだ方向と反対の向きを見つめると、バッと振り返って「そろそろ、時間です」と告げた。
「今度は、間違えないで下さい。探すのって結構大変なんですから」
「待ってくれ!自分はまだ、何も教えて貰っちゃいない!」
「でも、時間ですから」
「一体何の時間だって言うんだ!」
「制限ですよ。長居し続けたら良くないですから」
少年に言外に、早く進めと言われている気がする。
何故か自分は、少年の言う通り、早く進まなければいけないという意識に駆られた。
「なら……最後に一つだけ、一つだけでいいから教えてくれないか」
「……まぁ、それくらいなら」
「この道……終わりに着けば、全てが分かるんだな?」
少年はその言葉を聞くと、後ろに身体を向け、うなじに手を回すと、カリカリとうなじを搔いた。
「いえ、もう少し…早いかもしれないです」
「…そうか」
「それでは今度こそ、さよならです」
◇ ◇ ◇
少年の見送りを受けた後、自分はもう一度歩き出した。そして今までの間、歩き続けている。道は視界の限りにまで広がっていて、終わる気がしない。辺りには道以外全てを“くろ”が占めている。この道しかない。進むほか無い。
道が、続く。歩く。歩き続ける。
――そういえば、あの時自分は、あの少年に記憶が無いことは言っていただろうか。
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