強敵
かつて胸に七つの傷を持つ男は強敵のことを『強敵』と呼んだ。私はそう呼ばれる資格があるだろうか? 目の前に立つ、あの男に?
男との距離はほんの2メートルほどなのに、やたらと遠くに見えてしまう。男の身体は私の3倍はあるように錯覚してしまうほどに巨大なのに、遠くから見下ろされているようだ。
「ハルカよ」
男が私の名を呼んだ。
「お前と闘うことが出来て、嬉しいぞ」
風が私の髪をなびかせ、目に入って来ようとする。前髪は上げてあるが、こればかりはどうしようもない。戦士でありながら、私は女であることも捨てきれずにいるのだ。
こんな中途半端な自分で、この男に勝てるのか?
男は何もかも捨て、女性にウケる容姿もかなぐり捨てて、己の拳にすべてを賭けているように見える。
私は強さも、美も、幸せも、欲しい。
迷うな!
私は両手を鶴の羽根のようにゆっくりと掲げた。
目の前の男を屠ることのみ考えるのだ!
私の才は彼を凌ぐ!
私は才能のみで勝ち続けて来た、無敗の天才女拳士なのだ!
「行くぞ、クマさん!」
指を嘴のように尖らせ、高く跳躍すると、男の頭上から闘気の赤い雨を浴びせる。
「フン!」
男が軽々と、片手でそれを払いのける。計算通りだ。こんなもので倒せるとは思っていない。私の狙いは、その挙げた片腕の、腋の下だ。
「ハチョーッ!」
私は恥も外聞もなく奇声を上げ、急降下しながら男の腋の下に突進する。あそこだ。あそこにヤツの急所がある。あそこに私の必殺の『キュウソネコカミ』で噛みついてやるのだ。
しかし男は流石だった。
私の意図などお見通しだった。挙げていた片腕をゆっくり下ろしたかと思うと、私の首を極めにきた。挟まれる! 彼の逞しい胸筋と、岩のような腕の間に!
挟まれちゃおっかな……。
挟まれたいと欲してしまった自分の愚かさに気づき、すぐに我に返って助かった。私は空中で身を翻すと、両足先をクマさんの顔面へ向けた。
「秘技! 彼氏を足蹴にする女!」
ドカドカという効果音が百も響く。鉄芯入り安全靴の爪先で蹴られるのはさぞかし痛かろう。容赦はしない! 容赦して勝てる相手ではない!
クマさんに百烈脚を喰らわせ終わると、私は白鷺のように優雅に、ちょっとだけ臆病に、回転しながら着地した。クマさんを見る。効いていない。しかし彼は少し頬を赤らめているように見えた。
クマさんがなんだか震えながら、言った。
「彼氏……だと? 彼氏を足蹴にする女……、と言ったのか?」
「技名だ。気にするな」
「この俺のことを彼氏と言ったのかぁぁぁ〜〜!?」
「そこ、気にしないで〜〜〜!」
クマさんが襲ってきた。物凄い闘気、というよりはなんか違う。なんだ、これ。ピンク色してる。なんて呼んだらいいんだ、このオーラ。
「ハルカぁぁぁあー!」
大地を揺るがす声でクマさんが吠えた。
「闘いに色恋を持ち込むなぁぁぁあー!!」
それはもしかしてお前のほうじゃないのか。
「今! 貴様を超えるっ!」
私は襲いかかるクマさんに、カウンターの奥義『十八連ホラー』を準備していた。怖がらせてやる。怖い話を十八連続で次々と叩き込むこの技で、その何物をも恐れなさそうな身体に恐怖を植えつけてやる。今、色恋に狂ったヤツにはその隙がある!
しかし、私に届く直前、彼の顔に正気が戻った。
しまった! 誘われた! 誘惑されたのはこちらのほうだった!
気づいた時には既に遅し。私の技は空を切り、前に出た私の顔面を、ヤツの掌打が捕らえていた。
「必殺! クマクマ突っ張り!」
ダダダダダ! と止まない豪雨のごとき掌打の嵐が、私の顔を痛めつける。
私はヤツの攻撃に吸いつけられるように、それを喰らい続けた。
顔が……、顔が……、メチャクチャにされている。
ああ……。私、もう、女として生きて行けない。
倒される瞬間に、そんなことを思ってしまった私は、やはり拳士としての覚悟が足りなすぎたのだ。
地面に惨めに倒れ伏した私は、自分の顔がどうなってしまったのか、そればかりを気にしていた。生まれて初めて負けたことも悔しくはあったが、それどころではなかった。
鏡など落ちているはずもないのに、地を這いずり回りながら、手探りで手鏡を探し続ける私を、抱き上げる腕があった。
見ると、クマさんが私をお姫様抱っこしていた。剥げた頭を太陽に輝かせ、優しげに笑っていた。
「ハルカよ。責任は取る」
頼もしい声で、言った。
「我と結婚しろ!」
優しい目をして私を見る。
その目に、私の顔が映っている。
綺麗なままだった。
コイツ──
手加減しやがったな!?
「おぼぅっ……!?」
私の十八連ホラーがクマさんの顔面に叩き込まれる。
クマさんは私を抱っこしたまま倒れると、少しだけ怯えたような顔をしかけたが、豪快に笑った。
「わはは! 平気だぞ! 貴様のホラーなど怖くもなんともないわ!」
私は彼の腕から逃げ出すと、怖い顔をしてみせ、指を突きつけた。
「私はおまえのお嫁さんに……なりたいっ!」
ほんとうだ。憧れだもん。
「しかしっ……! その前に、おまえを超える! 超えてみせる!」
「おう。また闘り合おうぞ」
クマさんが起き上がり、握手を求めてきた。
「今日のところは我の勝ちだが……、貴様は間違いなく、我の強敵だ」
じ〜〜〜ん……と、目頭が熱くなった。
今すぐにでも彼の胸の中に飛び込みたかった。
『大好き!』って、言いながら。
でも、今は言わないっ!
「いつか……おまえを超えられる時が来たなら……」
私は言ってやった。
「その時は、喜んでおまえと結婚してやってもいい!」
「約束だぞ?」
「ああ!」
私達は手を握り合うと、固くその手を握り合い、まっすぐ互いの目を見つめ合った。
今は、私達は、強敵同士。それでいい。
おまえを超えるため、私はもっと、どこまでも、強くなってみせる。
今日の初めての敗北を胸に噛みしめて。
そして、いつかおまえを超えられたなら──
幸せな家庭を築いて、一生共に生きて行きたいの♡