5.音海雫の一大事。
「え? 何それ? ちょっと理解に苦しむわ」
帰り道、理科室逃亡の出来事を軽く話した時のゆりの一言。
「そうかな? 私はそんな違和感なかったけど」
好きな子の声しか知らなくったって、別にいいじゃない。
「うーん……。健康な16歳男子高校生が目の前の女子より、声しかわからない謎の女に恋? 違和感しかなくない?」
納得いかないゆりは、電車の中で腕組しながら難しい顔をしていた。
「だってさ、おばさんとかだったらどうするワケ? すっごい不潔な子とか、意地悪な子とかさ。私だったらやっぱり見た事ない人に恋なんて考えられないなぁ」
確かになぁ……
「でも私は『助さん』の事、そんなマイナスイメージ持って歌を聴いたこと一度もないよ? なんて言うか、歌詞に対しての抑揚の付け方に人柄が出るって言うか……あったかい人だなとか、優しい人だなとか……」
上手く言えないなぁ。
助さんの歌を聴いた時の感動を言葉に代えて考えた事なかったし。
「私は雫みたいに歌上手くないし、専門的な事は全く分かんないけど……」
さっぱり理解不能!って全顔に大きく書き出しながらゆりは言う。
「でも来栖君はその子の声が好きだって言ってたから、歌が好きとかそいうんじゃないんだろうし……私の感覚とは少し違うのかも知れないけど。声って耳をすませば相手の心に直接触れられるような感覚が私にはあるんだよね。だから見た目より信頼できるっていうか……。見た目ってその人の人柄を知るには余計な情報じゃない? いい顔して近寄ってきても中身は最低だったり、私は人の笑顔とかにはもう簡単に騙されないし、信じてないし」
「まぁ、分からなくもないよ? ……雫はお父さんの事でも色々あったもんね」
ゆりがそっと私の手を握る。
どんな時でもゆりは唯一私の味方でいてくれた。
「こんな私のそばにずっと一緒にいてくれたゆりには本当に感謝してる。私はゆり以外誰も信じようと思わなかったし、関わりたいとも思わなかったけど、『助さん』や来栖君はちょっと違うんだ。それが好きって感情なのかはいまだによく分からないんだけど、少なくとも嫌いじゃない」
実は恋愛の好きなんて、ハードル高すぎてやっぱり私にはまだよくわからないのかも。
でも、人に好意を持つ事って、こんなあったかい気持ちになれるんだなってのはよく分かった。
「やっぱりさ、コメント欄今日は開いてみなよ。『転校生とのリアルな恋』は違う形になっちゃったけど、結果理解者が増えた訳だし……今の雫なら前に進めそうじゃない? いつも他の人には心閉ざしてまともに話そうともしなかったのに、今日の来栖君と楽しそうに会話した話……私ね、何か雫の中で変わってきたんじゃないかって思うよ」
ゆりの優しい目。
この眼差しに私はいつも救われてきた。
「……そうだね。勇気出して開いてみるか!」
「うんうん! なんか私まで楽しくなってきた!」
変わらなきゃ!
今日なら前に進める、絶対!!
………って思ったのに。
いざ開くとなると、指が拒絶反応を起こして言うこと聞いてくんない。
家に帰ってから何の歌を投稿するか散々迷って……
(コメントしたくなる曲……ってなんだろう!?)
得意な曲を片っ端から聴きまくって吟味に吟味を重ね……
ソロ曲を淡々と歌うよりもインパクトのあるもの……
結局男女二人のデュオ曲に辿り着いた。
一人二役やって声を重ねる、いわゆるセルフコラボ、通称セルコラをして投稿しようと結論に達し、帰ってから4時間位、それぞれのパートをひたすら練習した。
仕上がりを準備できたのは日付が変わる直前。
「やるだけの事はやった! 後悔なし!」
いざ投稿!って行きたいところなのに、コメント可か不可かの選択で固まる私。
歌ってる時より呼吸が荒くなってるのは気のせい??
(決めたんでしょ? 雫! 大丈夫! 助さん、きっとコメントしてくれる!)
息を止めた。
コメント可を選択して投稿ボタンをポチッ!!
「ぁあああ! 開いちゃった! どうしよ! 困った!」
急いで地下室から階段を駆け上がり自分の部屋に駆け込む。
スマホが手元にある事が怖くてベットの上に放り投げ現実逃避。
(今日は寝よう! もう明日までアプリ開くのやめる!)
布団に潜り込み、寝れないと思いきや今日の疲れが著しかったのか……
気が付いたら朝になっていた。
寝ぼけ眼をガシガシと擦りながら、おそるおそるスマホを手に取りアプリを開く。
『新着コメントが10件あります』
通知欄を見て目を疑った。
「じゅ、10件!? えぇ!?」
ゴクリと唾を飲んでおそるおそる開いてみた。
いつも『いいね』をくれる人のアイコンがずらっと並ぶ。
どれもこれも『かっこいい!』『感動しました』『いつも楽しみに聴かせてもらってます』そんな言葉がずらっと並んでいた。
「うわぁ……! 嬉しい……!」
一つ一つ大切に読みながら、『聞いてくださってありがとう』『これからも頑張ります』など、当たり障りのない返事を返していく。
そうして辿っていくと最新着のコメントのアイコンが……
「す、助さん!」
驚いて急いで目を通した。
『はじめまして。貴方の歌をいつも楽しみに聴かせてもらってます』
「うん……意外と普通のコメントだったな……」
普通なんだけど。
なんだろ、このニヤニヤは。
初めて彼から貰った言葉に、私の心は壊れそうになるくらいウキウキと弾んでいた。
(なんて返信しよう……!)
「………」
突然棒のように身体が動かなくなった。
どうしよう……他の人とおんなじような返信じゃないとおかしいよね?
でもせっかく絡めたのに、次に繋げる気の利いた言葉……!!
普段人と喋んなすぎて、全然思いつかんっ!!
「しずくー!! 遅刻するわよ!!!」
一階からお母さんの大声。
時計を見たらもう出る時間?!
「やだ! どうしよ!!」
ボサボサの頭をギュッと後ろで一つに縛って急いで顔を洗う。
「雫ご飯は??」
「もう食べる時間ない!!!」
『助さん』への返信はもちろん、今まで毎日彼の歌を聴いては欠かさず『いいね』してきたのに、昨日はそれすら忘れて寝てしまった事も、今この時、もうすでに、彼の心を惑わし悩ませる事になってるなんて、その時の私は知る由もなかったのだ。