46.音海雫と来栖彗のファーストキス。
「あの二人……」
色とりどりに装飾された廊下が霞んでしまうくらいの視線の数。
私と彗はただ肩を並べて歩いているだけなのに。
あれから機材を取りに行って戻ってきたクラスメイトは、私が彗に抱かれて泣きじゃくる姿を見て、これは只事ではないと思ったのか、直ぐに仕事を代わってくれた。
解放された私たちは文化祭の出し物を周りながら少し話そうかと今に至る。
「噂ってほんと広まるの早いよな」
彗があははと笑いながらそっと私の手を握ってくれる。
私はそんな彗の言葉を聞きながらも、まだ人の視線と言うものに恐怖を拭いきれないでいた。
どうやら私たちの歌声は、教室の中だけにとどまらず、空いた窓や廊下を突き抜け、実は想像以上の学生の耳に届いていたらしい。
「まだ怖いか?」
彗の優しすぎる声は私を心を守ってくれるかのように柔なベールで包んでくれる。
「うん……少し」
そんな私の答えを聞きながら、手をしっかりと握り返してくれた。
「でもいつもと違うだろ? よく見たらみんな俺たちのこと批判する目では誰一人みてないよ」
確かに彗の言う通りかもしれない。
今までは突き刺さる様な批判に満ちた視線たちから自分の心を守るのに必死だったけど、恐る恐る顔を上げて周りを見てみれば、あの教室で彗と一緒に歌った時間を過ごしただけで180度周りの雰囲気が変わった気がした。
「確かに、みんな笑ってるし……」
「笑ってるって言うか、羨んでんだよ、俺たちのこと」
誇らしそうに言う彗の言葉が私の中ではどこか新鮮で、今まで『私の歌を聴いた人は批判しかしないんだ』なんて、ひたすら卑屈になっていた自分の中に『羨まれる』なんて感覚どこにも見つけられないでいた。
「周りの目なんてさ、いいじゃん、別に。俺は今、初めてここねさんと声を重ねて……一緒に歌えた感動と、ずっとそれを生で誰かに聴いてもらいたいって思っていた夢が一気に叶って大満足なんだよ。雫はそうじゃないのか?」
彗と助さんが徐々に私の中で一体化していく。
アプリの中の助さんの最後のコメントが彗の声となって蘇ってきた。
私だってどれだけあなたに逢える日を……
一緒に歌える日を夢見ていた事か……
「彗」
今伝えたい気持ちが身体の内側から溢れ出す。
「ん? どした?」
目の前にいるのは、本当に助さんなんだ。
「彗、大好き」
目を丸くして私を見ている。
あぁ、私はこの人が本当に好き。
声も姿も、ずっとずっと見守ってくれていた心も何もかも……
「なんだよ、改めて照れるじゃん」
そんな言葉を言っていた気がする。
私は衝動的に彗の唇に自分の唇を押し当てていた。
◆◇
なんだ??
何が起こってる???
突然近づいてきた雫の顔に驚いたまま目を閉じることも出来ずにいた。
雫の唇が間違いなく俺の口を塞いでいる。
周りから『きゃあ』なんて声が聞こえて、これが急に現実なんだと認識したら身体中から熱いものが湧き上がってきた。
あれだけ人の目線を気にしていた雫が、これだけの人前で俺にキス?
非現実的すぎるが、紛れもなくこれは今起こっている事実だ。
おいおい、歌うことより俺はこっちの方が遥かに緊張するぞ!
目ってどのタイミングで瞑ればいいんだよ?!
鼓動が異常な動きで跳ね上がる。
このまま死んでしまうかもしれない。
視界に入る雫の長いまつ毛に見惚れながらもゆっくりと目を閉じる。
重なった唇に全ての感覚が集まった。
なんて温かくて柔らかいんだろう……
あぁ、ここにいるのは紛れもなくあんなに憧れてたここねさんなんだ。
こんなふうに生身の温かさを感じたいと何度夢見たことだろう?
彼女の温度を改めて感じると、もう何も考えられなくなった。
「彗、ありがとう」
離れていく彼女を惜しみながら雫の声が聞こえてハッとする。
「ど、どうしたんだよ、急に」
堂々たる彼女の笑顔に完全に押された俺は、恥ずかしくて顔すらまともに見ることができない。
「ごめんね、急に……なんか抑えられなくて」
うつむき恥じらう彼女をもう一度抱きしめたい衝動に駆られたが、さすがの俺も周りの注目に堪えられず拳を握って我慢した。
「いや、謝んなよ……すごい嬉しかったし」
俺今どんな顔してる??
恥ずかしすぎるって!!
「あぁ、そうだ! そろそろ相星のステージ始まるんじゃね? 行こうぜ!」
耐えられん……!!
雫が可愛すぎてまともに直視できない。
とにかく熱い視線が注がれるこの場を去りたくて俺は急いで雫の手を引いた。




