43.ヤスとお嬢様の距離。
暇なわけでは決してない。
朋花お嬢様の言いつけの一環で来栖様と音海様の様子を伺っていただけだ。
……なんてこっそり喫茶店を覗いてしまっていた自分に言い分けする。
最近はすっかりおとなしくなってしまった朋花お嬢様の口から、来栖様と音海様の名前が出る頻度も激減していた。
どうも勇様に再婚の話があり、荒れていた原因は自分だけに向けられていた愛情の目が他の女性に取られてしまうのではないかという、寂しさを感じていただけなのかもしれない。
特に先日その再婚相手を正式に紹介された食事会から、あんなに威勢が良かったお嬢様が必要最低限の言葉しか発しなくなってしまったくらいだ。
しかし、ここねさんと助さんがリアルでこんなにも仲が良くなっているとは、なんと喜ばしい事だろう。
なんとか想いを通わすお手伝いを……と思っていたが、どうやら余計なお世話だった様だ。
お嬢様もこんなに意気消沈していては、文化祭の計画なんて完全にやる必要も無さそうだし、このまま立ち消えしてしまいそうな雰囲気になっているが……
許される事なら僕は一度でいいからあのお二人の生歌を拝聴したいのだ。
どうにか実行させたいところなんだが……
お二人を来栖様のご自宅まで送り届けながらそんな事を考えていた。
今夜お嬢様がこの件についてどうお考えなのか少し話をしてみるか……と、今就寝前の朋花お嬢様のお部屋にいる次第だ。
「話ってどうしたの? 珍しい」
桃色のシルクのパジャマをお召しになってベットに座っている。
元気が無い方が可愛らしいなんていったら、顔を真っ赤にして怒るだろうな。
いや、今はそんな元気もなさそうか。
珍しいなんて言われても、まぁ仕方がない。
僕はいつもなら自分の仕事が終わったら、一目散に部屋に閉じこもるからだ。
ふらふら出歩いて、捕まったら余計な仕事を振られてしまう。
特に荒れてる時のお嬢様は意地悪なほどに、どうでもいい用事を押し付けてくるからたまったものではない。
「先日お話ししていた文化祭のお話ですが……」
「あぁ、それなら明日にでも相星くんに取り消しの連絡をしておくわ。もういいのよ……どうでもよくなったの」
よっぽど勇様の事が堪えているのだろう。
怒りにすら変えられなくなったお嬢様の寂しさは、きっと僕が想像するものより遥かに大きいものなのだ。
「もう、来栖様の事は……いいのですか?」
「えぇ……。もう疲れてしまった」
良く見ると顔色も良く無い。
こんな弱った朋花お嬢様を今まで見た事があっただろうか?
「相星様も、本番まであと数日なのに、突然また変更があったらお困りになるのでは?」
「そうかしら……。確かにプログラムなどももう完成してしまっているものね」
はぁ……と虚な目をしてため息をつく。
「そのプログラムにはお嬢様のお名前は入っているのですか?」
「いいえ、サプライズゲストだから入っていないわ」
(なるほど……)
誰が最後出演してもいい仕様になっているのなら、まだあのお二人の生歌を聴ける可能性はあるな。
「お嬢様、私がコーラス部の方などに連絡をして代役を立ててもらいますよ。きっと喜んで引き受けてくださると思います」
「……そうね、それが出来るんで有れば……、お願いするわ」
安心した表情で僕を見た。
少々心が痛んだが、そう言いながらもコーラス部にお願いするつもりは全くない。
あくまでも私の最終目標は来栖様と音海様に舞台に上がって歌っていただく事だ。
当日なんとか穴の空いた舞台にお二人を上げて生歌を聴く!
「かしこまりました。では、ゆっくりお休みください」
そう言い部屋を出ようとドアノブに手をかけた。
「ヤス! もう少しここにいて。私が眠れるまで……」
「お嬢様……?」
弱々しくベッドに入り目を閉じた。
僕は今日は仕方がないかと、その横に腰掛ける。
「ねぇ、ヤス。小さい頃は寂しくて眠れない時、よく私の隣で添い寝してくれたわよね」
目を閉じながら穏やかに話す。
「そうですね、懐かしい。今はこんなに立派に成長されて……」
「成長なんかしてないわ。私は結局何も変わっていない。何にも……」
バサッと顔に掛け布団をかけたと思いきや、お嬢様の鼻を啜る音が聞こえてくる。
「お嬢様……」
少しだけはみ出した頭を撫でた。
こうして良く寝かしつけたのを懐かしく思い出す。
「そんなにお寂しいのなら添い寝して差し上げましょうか?」
ふざけて言っただけだ。
やましい気持ちなど一ミリもそこにはない。
「……じゃ、朝まで添い寝してちょうだい」
すがる様な彼女の目に一瞬たじろいだ。
「それは出来ません! お年頃の女性と朝まで同じ布団で寝るなんて……!」
どんな爆弾発言だ?
当たり前だろう。
でもそんなに悲しい顔をされたら……どうしたらいいのだ。
「お嬢様、本気で仰ってるのですか?」
「本気よ……何もしないから、お願い」
何もしないからって……
「それは私のセリフですが」
「そうね。……ダメかしら」
ダメ……だよな、絶対。
でも……今にも壊れそうな彼女の心を支えられるのは……結局僕しか居ないのかもしれない。
「……じゃ、お嬢様がお眠りにになるまでですよ」
「えぇ、さっきみたいに頭を撫でて欲しい……」
どうしたのだろう。
何度瞬きしてもわがままで子供だったお嬢様が大人の女性に見えてしまう。
自分の頬を叩くイメージを消さない様に、彼女の寝顔を見守りながら柔らかな髪をなぞる様に頭を撫で続けた。




