⒋来栖彗の日常とコメント欄。
今日の俺は本当にどうかしていた。
転校初日にあんなに一人の女の子に興味を持つなんて……
自分がよく分からなくなった。
あの子もきっと変に思ったかも知れないな。
今日の出来事を掻き消すようにランニングマシーンの上でひたすら走る。
学校帰りに先日見つけて申し込んでいたジムに寄って筋トレ中。
部活とかはやらない。
またいつ引っ越しになるか分からないし、終わりが見えてしまう人間関係とか面倒なことは出来るだけ避けたいのだ。
かといって体動かさないと腹も減らないので、どこに住んでいてもジムには通っている。
父親は自動車メーカーのどうもお偉いさんらしい。
あまり話もしないしよく知らない。
別に仲が悪いわけじゃないが、父親は月一回か二回顔合わせればいいところだろうってくらい、家に帰ってこないのだ。
普段は週数回、午前中に家政婦さんが来て、俺の食事の面倒や家事をやってくれているから、特段困ることはない。
母親は3歳の頃病気で死別したので、あまり記憶もない。
そんな寂しそうにみえる生活もいい加減慣れた。
小学校の頃は流石にメンタルやられた時期もあったけど。
普段は塾だの習い事だのジムだのでまぁまぁ時間は潰せてるし、中3の時に見つけたカラオケアプリ『はぴそん』のおかげで何気に心は満たされている。
年頃の男子がアイドルにハマるのとはちょっと違うのかも知れないけど、そのアプリに超押しの女の子ができた。
その子はニックネームを『ここね』と名乗っている。
情報はそれだけ。
コメント欄もいつも閉じてるし、謎が多い。
でも、めちゃくちゃ上手い!!
どんなジャンルの曲もかっこよく歌いこなして、何せ声がモロ好み!
深みのある低音に、キラキラ光が舞うような高音……かと思いきや儚く切なく涙が出そうになる声に変わったりもする。
年齢も分からないし、顔もわからない。
どこに住んでいるのかも、彼氏がいるのかも……
もしかしたら結婚しているのかも……しれない。
それでも、俺の心を救い、喜ばせてくれるこの声に、俺はこんな表現しかできないが、いわゆるゾッコンなのだ。
ありがたいことに毎日何かしら曲をアップしてくれているから、一日の終わりにそれを聴くことだけが俺の生きがいだ。
少しでも自分の存在も知って欲しくて、自分も毎日投稿し始めた。
いつでもコメントもらえるように、『ここね』さんのためだけにコメント欄も毎回開いている。
……まぁ、結局一度もコメントは頂けてないんだけど。
でも、ある日突然、俺の歌った曲に『いいね』をつけてくれたのだ。
飛び上がるほどに嬉しかった!
思わず『やったー!!』って叫んじまった!
そこから毎日毎日、『ここね』さんは俺の歌を聴きに来てくれている。
それが分かっただけでも大きな進展だった。
一日一回は、お互いの歌声を聴き合えている、その事実があるだけで、俺は幸せでいられるんだ。
そうこうしてもう一年以上。
お互いそのルーティンは変わらない日々を送っている。
リアルは何をしているのか、どんな生活をしているのか全くわからないが、歌という細い一本の糸がかろうじて俺たちを繋いでくれている。
俺の家はタワーマンションの35階だ。
大きなガラス窓から見える夜景は九州にいた頃とだいぶ変わった。
さすが東京、見ていて飽きない。
テーブルの上に用意されていた夕食は家政婦さんが午前中に用意してくれていたものだ。
こんな夜景を見ながら一緒に夕飯を食べてくれる誰かがいてくれたら……なんて思う気持ちもあったりなかったりするが、それを言い出したらキリがないからな。
シャワーはジムで浴びてきた。
いつものスエットに着替えてコンタクトを外した。
黒縁メガネをかけ、テーブルの上のラップを外す。
「せっかくのいい夜景だし、今日のBGMは彼女に決まりだな!」
スマホを取り出しアプリを開いた。
彼女のアイコンをタップし、自分のお気に入りの曲を再生する。
こんな贅沢はない。
俺は十分満足だ。
アップテンポの曲に切り替わる。
(この曲、高音が最高に素敵なんだよな)
気持ち悪いくらいにやけてる自分がいる。
サビに突入した瞬間。
今日初めて逢った、音海さんの叫び声とシンクロ??
(なんだ……この感じ……)
あまりにも声が似過ぎていて、彼女の顔が頭から離れない。
そんなわけない。
絶対分かっているのに。
「やべぇ、今日疲れてんな」
学校ペンケース落とした時は一瞬確かに似てるなって思ったんだ。
でも……似てるなんてレベルじゃない。
顔だって世の中には三人自分と似てる人がいるって言うし、きっと声もそうなのかも知れない。
混乱した。
でもまぁ……歌歌うキャラでもなさそうだし、絶対違うよな。
最後にはそう結論付けて、自分を納得させた。
「今日は全く味しなかったな」
考え事で頭がいっぱいになり、何を食べたのかも忘れてしまいそうだ。
自分の部屋に戻り寝る前に今日の投稿されている曲をチェックした。
「お、上がってる!」
しっかりとイヤホンをして聞いてみる。
「あぁ、これ二人で歌ってる曲だな。全部ソロで歌ってんのか……。しかし上手い、さすがだ」
感心しながら開いているはずのないコメント欄に目を遣る。
「………!?」
コメント欄、開いてる!!
ベットの上に寝転んでいた身体が無意識に起き上がった。
(コンタクト……とれんのか、もしかして……)
心拍数が急激に上がる。
待てよ、コメント書くとして、なんて送るんだ?
一年も経った今更……
でも、ここで送らないでいつ送る?
こんな日が来るのを実は待ってたくせに!!
小っ恥ずかしい押し問答が自分の中でしばらく続いた。
続いたが……
『はじめまして。貴方の歌をいつも楽しみに聴かせてもらってます』
それだけをポチッと送信した。
「あぁーー!!」
倒れ込んで悶え苦しむ。
こんな言葉しか送れないチキンな自分!
一年も毎日聴いてストーカーみたいとか、気持ち悪いとか思われてたらどうしようなんて考え出したら、普通の挨拶しか思いつかなかった。
(こんなんじゃ、『ありがとうございます』位しか返ってこないよな)
こうして眠れない夜を過ごしたのは……言うまでもない。