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38.音海雫の混乱と来栖彗の覚悟。

 私たちは公園の中を通過して大通りに出た。

 正直、途中から記憶が飛んでる。


 門を出て小さな道を渡ると、正面に小さなカフェがあった。

 公演までまだ少し時間があるからと彗に誘われて中に入る。


「ちょっと、お手洗い行ってくる……」

「あぁ。窓側の席に居るから」


 私は小さく頷いて化粧室に入った。


(まだ震えてる……)

 自分の両手を強く擦り合わせ静まれと念じても、ひんやりと凍りついた様に指先が言うことを聞いてくれない。


(……そんな事ってある?)

 今までイヤホンを通して聴いていた深くて優しい声が、突然目の前で、生で、耳に飛び込んできたのだ。


 待って、やっぱりおかしい。

 助さんは九州に住んでるんだよ?

 どうしてこんな近くにいるのよ?

 一億人もの人が住んでる日本の中で、姿形も分からない人が、でも逢いたくて逢いたくて堪らなかった人が、同じ学校の隣の席の人だったなんて、そんな偶然あるわけない。


(何かの間違い……そうだ、そっくりさんだよ、きっと)


 神様がきっと陰キャな私のことを憐れんで、理想の男の子を引き寄せてくれたの?

 でも、そんな力があるなら本物の助さんに引き合わせて欲しかった!


 私は一体誰のことが好きなのよ?

 彗が私に優しくしてくれる度に嬉しかったり、あったかい気持ちになったり、別の女子と仲良く話しているところを見るとモヤモヤしたり。

 でも、頭の中にはいつも助さんがいて、彗の声を聞いては、何処か助さんと重ねてみてる。


 さっきだって、完全に助さんと重ねて見てた。

 彗の歌を聴いて、胸の奥がギュッと痛くなって、私の心の中は確実に助さんでいっぱいになってた。


 こんなんじゃダメだ。

 私、彗にどれだけ失礼な事をしているんだろう。


 ちゃんと伝えなきゃ。

 やっぱり付き合えないって。

 私には好きな人がいて、どうしても貴方を彼に重ねて見てしまうって。


 深呼吸して息を整えた。

 まだ震えは止まらないけど……

 こうして二人の間で都合よく揺れ動いている自分が本当に嫌だった。


 化粧室から出て、彗のところへ向かう。


「遅かったな」

 私を見る目は本当に優しい。

 自惚かもしれないけど、こんな私の事を大切に思ってくれるてのがヒシヒシと伝わってくる。


「……彗、話がある」

 もう倒れそうなくらい今日は必要以上に呼吸した。

 それでもこの乱れた気持ちが整うことはない。


「何?」

 ねぇ、彗の包み込んでくれる様な笑顔を見ていると、中々言葉が出てこないよ。


「……私ね、やっぱり……」

「付き合えない?」


 彗の口から出た言葉に凍りついた。

 自分が言おうとしていたワードが先に彼の口から出て……予想以上に心が痛んだ。


「……どうして?」

「顔に書いてあるよ」


 急に曇った彼の表情にどうしたらいいのか分からなくなって視界が歪む。

 立っていられずその場に蹲ってしまった。


「おい、大丈夫か?」

「うん、ごめん、ちょっと気分が……」


 そこからの記憶がない。

 ただ、目を開いて飛び込んできたのは、まだ見ぬ姿を何度も想像していたあの助さんのアイコンに映るメガネと同じものだった……


 ◆◇


 目の前で蹲った雫はもう自分の力では身体を支えきれない様だった。

 微かに『ごめん、貧血……』そんな言葉を絞り出して完全に床に倒れ意識を失った。


 お店の人が心配して駆けつけてくれたが、前に雫が貧血気味だって話をチラッとしていたのを思い出し、大事には至らないと判断して、とりあえず外にあったベンチで外の空気を吸わせようと彼女を背負って店を出た時だった。


「あれ、来栖様と音海様では? どうなさったのですか?」

「あなたは確か……」


 カラオケでチラッと見かけた秋森の運転手か?



「連れが貧血で倒れてしまって……」

「それは大変だ。ちょっと用事があってここに来たんですが、近くに車を停めているのでよかったらお送りしましょうか??

「いいんですか?」


 秋森の付き人なんて怪しいっちゃ怪しいが、背に腹は変えられない。

 カフェに入るまで雫の顔色がみるみる悪くなっていくのを心配はしていたんだ。

 俺の歌を聴いてから明らかに何か悪い感情が駆け巡っている表情だった。


 過去に歌を歌って悪いリアクションをされた事は一度もなかったんだが……

 何かしらの気に触れたんだろうか?


 あの震えは助さんとここねさんがリアルで出逢った喜びの反応かと淡い期待も抱いたが、やっぱり大違いだった様だ。


 良からぬ事を告げられてしまう……

 雫がトイレから戻ってきた時そんな予感がして。

 顔面蒼白な彼女を見ていたら、これ以上言わせたらいけない、苦しめたらいけない、そんな気持ちになってしまった。


 もちろんこんな所で終わりになんてしたくないに決まってる。

 これからたくさん同じ時間を過ごして、ゆっくり一から距離を縮めていこうと思っていたんだ。


 それなのに……


 色々気持ちを整理したいところだが、今はそれどころじゃないのは一目瞭然だ。




「もちろんでございます。お嬢様がいつもお世話になっていますから」

「……助かります」


 なにかの罠じゃないだろうな?

 秋森の顔を思い浮かべて一瞬嫌な予感がも頭をよぎったが、どうもこの運転手からそんな悪の雰囲気は出ていない気がする。


「どこに参りますか?」

 雫の家に送り届けようか……そう思った。

 でも、もしこれで彼女の意識が朦朧としたまま別れて……果たして次はあるんだろうか?


 まだ何も始まっていないのに別れを切り出されて……

 俺はまだその決断に何の努力もさせてもらえていない。


 何が気にいらなかったのか、どうして俺ではダメなのか……


 ちゃんと話がしたい。

 全部、心の中を話して、納得して決めたいんだ。



「すみません。俺の家までお願いしたいんですが」

「は、はい。来栖様のご自宅ですね」


 秋森の運転手は驚いた様子だったが、語尾が何処か明るく感じたのは気のせいだろうか?


「私はお二人を心から応援してますよ」

 降りる間際に力強い口調で俺に放たれた言葉は、不思議と萎み消えそうだった心に生気を与えてくれる。

 何を応援されているのかはよく分からなかったが……


「ありがとうございました」

 それでも少しばかりの希望をもらった俺は、秋森の運転手に頭を深く下げて雫をまた背中に乗せた。


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