32.ヤス、お嬢様にしてあげられる事。
「ヤス、ほら、あそこでアイス食べましょうよ」
昔から変わらない緑の風景の中に小さなレストランがある。
当時もここで一緒にアイスを食べた記憶が蘇ってきた。
「お食事は大丈夫ですか?」
「えぇ、お腹は空いていないわ。ヤスは? 急いで迎えに来たのだろうから朝食まだなんじゃなの?」
こうしてふと僕のことも気にかけてくれているのは、なんの計算もない純粋な気持ちであるのは分かっている。
ここ最近、特に当たりが強かったからかお嬢様の良いところも見失いそうになっていたきらいがあったが、本来は優しい部分もちゃんとあるお方なのだ。
学校から連絡があってからはかなりバタバタしていたのでまだ何も食べてはいないが、ここはお嬢様に合わせようと同じアイスを2個注文した。
「メニューに美味しそうなお肉やワインもありました。今度味見しに一人で来てみますよ」
「ワイン? そう……私もいつかここでヤスとワインを飲める日が来るのかしら」
お嬢様の意外な言葉に動きが止まる。
「一緒に飲んでいただけるのですか?」
いつも悪垂れてばかりの子供っぽい彼女が、不思議といつもに増して美しい大人の女性に見えてしまった。
僕がどうかしているのか、彼女がどうかしているのか……
「もちろんよ。その頃にはもっといい女になってるわよ、私」
「今でも十分完璧な女性ですよ」
本当に完璧な筈なんだ。
きっと、何かを掛け違えてしまっているだけで。
弱々しく笑った後、言葉のない時間がしばらく続いた。
「……私ね、来栖君と音海さんが付き合うって聞いて……、結局私ってどれだけ努力しても好きな人には振り向いてもらえないってガックリしてたの」
突然彼女らしくない言葉で沈黙を破ったかと思えば、俯きアイスを食べる手が止まった。
「お嬢様……」
「ねぇ、ヤス。私また好きな人が嫌がること……しようとしてる」
衝撃的な言葉が並びすぎていて頭の整理がつけられない。
驚いた……好意を持っている人の前では特に捻くれてしまう事は自覚していたのか。
そして来栖様と音海様がお付き合い……?
正体はお互い明かしあったのだろうか……?
『嫌がる事』ってなんだ……?!
「ど、どういう事でしょう……? 理解が追いつかないのですが」
動揺を隠すのも簡単な事じゃない。
テーブルにぽたっと溶け垂れたアイスを急いで拭き取る。
「腹が立ったのよ。なんであの二人なのって。音海さんに負けた気がして、悔しくて……。どうしてたくさん努力をしている私より、何の取り柄も無さそうな彼女なの? 教えてよ、ヤス……」
大粒の涙が雪のように白い頬を辿り落ちて行く。
「お嬢様……、お嬢様は本当に来栖様の事を愛しておられるのですか?」
改めて聞いてみる。
貴女の『好き』は本当に人に恋する『好き』なのか。
「分からない……なんだか分からないの。でも、あの二人を見ていると音海さんには無性に腹が立って……それなのに彼女といる来栖君が素敵に見えてしまう」
止まらない涙を見ていると心が痛む。
ハンカチを差し出して落ち着くのを待った。
「お嬢様、今寂しいお気持ちはありますか?」
「寂しい……? それってどんな気持ちなの?」
聞き返されて逆に戸惑った。
寂しいってどういうものだ?
「心が満たされない……穴が空いたような感じでしょうか?」
「穴が空いた感じ……」
しばらく考えて、自分の気持ちを確認するようにコクリと頷いた。
「そうかもしれない……。どれだけ頑張っても誰も振り向いてくれない……満たされない……」
「……なるほど……」
どうして差し上げたらいいのだろう?
こんなに長い間お側にいたのに、少しも寂しさを埋めてあげられていなかった事実が僕の心をチクチクと突き刺した。
「また少し歩きましょうか」
完全に溶けてしまったアイスを置いて、僕たちはレストランをでた。
どこまでも続いている散歩道をゆっくりと歩いていると、冷たくなってきた風に枯れ葉が舞う。
「寒いですか?」
「えぇ、少し……」
なんの解決にもなってないが……
まだ十月の終わりといえど、だいぶ冷えてきた。
風邪をひかせてしまってはいけないと、帰る決断をしようとした時。
大きな北風がびゅうと僕らを吹き付けてきた。
「お嬢様、こちらへ」
咄嗟に薄手のコートではあるが自分の身体ごと彼女も一緒に包み込んだ。
小さく震える彼女の肩を抱きながら、風が止むのを待つ。
「さぁ、もう大丈夫ですよ。 急いで帰りましょう」
そう言って彼女を引き離そうとした時。
「まだこうしていて……安心するの」
吸い付くように離れなくなったお嬢様が僕の胸に顔を埋めている。
その言葉に、今自分の出来る事……
拒否するのは正解ではないと思った。
お嬢様を甘えさせてあげたい。
変な意味ではなくて、世話焼き係として切に思った。




