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先生と私  作者: 小此木
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先生と私

「先生、わかんない」


 私は、元気よく手を挙げて質問した。


「どこがわかりませんか」


 数式をただ書き写しただけのノートをのぞき込んで、先生は笑いながら私の前の机の椅子を引き出して座る。


「どこがわからないかも、わからない……」


「あなた、数学、ほんとに勉強したんですか?」


「ひどい。しましたよ」


 先生は、ペンで紙に同じ問題を書き写して、私からしたら魔法の呪文みたいな数式をその下にいっぱい書いた。


「これが、この問題の解答です。わからないところはどこから?」


 私は自信をもって、一番上の行を指さす。





 先生の担当科目だから頑張ろうと思って、学年末テストのための勉強時間のほとんどを数学に費やした。


 それなのに赤点。うちの高校は30点以下が赤点とされているけど、私の学年末テストの数学の点数は2点だった。

 しかも、点数欄は、0(ゼロ)と書かれた上から横線が2本引かれて、名前欄に矢印が伸びていた。

 私の名前が書かれた名前欄に花丸がされて、《名前がよくかけているから2点あげます》と先生の字でコメントされていた。


 つまり、実質0点。


 先生が、《赤点のひとは放課後1週間の補習を受けたら、通知表の成績については考えましょう》と言ったので、おとなしくしたがって補習に来た。


 放課後、指定された教室にいたのは、先生と私だけだった。


「先生、ほかの生徒はいないんですか?」


と尋ねてみたら、先生は顔色一つ変えずに、頷いた。


「学年で、赤点を取ったのはあなただけでした」


「それって、先生、わざわざ私だけのために補習を?やっだ、先生、私のこと大好きじゃないですか」


 先生は、顔色一つ変えずに、頷いた。


「そうですね、生徒のことはみんな大好きですよ」


 先生のこういうところが私は大好きなのだ。





 先生が非常に丁寧に説明してくれたから、今は理解した。


「でも先生、これ、ひとりで解こうと思ったら絶対解き方忘れます。ていうか、おんなじ数字で問題出してもらえたらわかるけど、違う数字になったら絶対わかんない」


 唇を尖らせてみたら、先生は笑った。


「そのための問題集です。反復練習を死ぬほどしてください」


 私は机に突っ伏した。


「金曜日の放課後の補習で、期末試験と同じ問題でぷち試験をやりましょう。それで満点取れるように、1週間、試験の問題を解きまくってください」


「同じ問題、やりまくって意味があるんですか」


「あなた、自分で言ったでしょ。解き方忘れるって。繰り返せば忘れません」


「でも、試験問題、教科書見ても答え分かんない」


 顔を上げて先生に言うと、先生はにこっと笑った。


「あなた、私のこと好きなんでしょう。昼休みでも、授業終わりでも質問に来てください。いくらでも教えますよ」


 先生の、そういうことを自分で言っちゃうような、こういうところが私は大好きなのだ。





 入学してすぐ、数学の先生に私は恋をした。


 数学なんか実生活で使う機会がないのに、なんでこんな苦行をやらなきゃいけないんだとしか思っていなかった。

 先生の授業を受けるようになってもそれは変わらないけど、それでも中学の頃に比べれば、前向きに数学に取り組んでいる。


 数学なんていう意味の分からない魔法の呪文を唱える先生は、すごくミステリアスに見える。


 年齢すらわからない感じがして、ゴールデンウィーク明けくらいに私は先生に聞いてみた。


「先生、先生。先生は、何歳ですか」


 授業終わり、先生に駆け寄って聞いてみたら、《なんだ、授業の質問じゃないのか》と先生は眉を寄せた。けれども、ちょっと目をつむって首を傾げて、


「そうですね、300を超えたときに数えるのはやめました。1000弱くらいじゃないかな」


と答えた。


 意味がわからなかった。


「はい? え、貯金の話じゃないんですけど」


「貯金が1000弱のわけないでしょう。わかっていますよ、年齢でしょ?」


 年齢だって1000弱のわけないのに、何言っているんだ。


「ああ、そうか、新入生だから知らないのか。あとで先輩とかに聞いてみてください」


と先生は言い残して、職員室に向かっていった。


 どういう類の冗談だったんだろう。数学ジョークかなにかかな。


 そう思いながら、隣の席のともだちに《って先生が言っていたんだけど、どういう意味なんだろうね》と笑い話として伝えてみた。


「ああ、あの先生、不老不死らしいよ」


と、3年に姉がいるというともだちは答えてくれた。


5月の私は、《あ、この学校、もしかして、ちょっとおかしい?》と気づいたのだった。





 実際、この学校はおかしかった。


 先生はほんとに不老不死だったし、ほかの先生も生徒もそれを受け入れていた。


 かくいう私も3日で受け入れた。なんか、そういうものなんだなと。


翌日の授業終わり、


「先生、不老不死ってききました。ほんとですか?」


と聞いたら、先生は顔色一つ変えずに頷いた。


「はい。ほんとです」


「へー。1000弱っていうと、生まれはいつ頃なんですか」


「平安です。幼いころは蹴鞠をして遊びました」


 冗談を言っている風もなく、淡々と先生は話してくれた。いかに平安貴族の体臭がひどいものかを。




 ミステリアスな先生は、聞けば大抵のことは答えてくれた。


「先生、先生。先生は、どうして不老不死になったんですか?」


 夏休み前、聞いてみたら、先生はうーんと首を傾げながらも答えてくれる。


「気づいたらなってました。この外見年齢になるまでは、少なくとも不老じゃなかったみたいですけど」


 そんなことある!?と私はめちゃめちゃ笑った。


 平安貴族として生きていた先生が、いかにして不老不死であることに気づいたのか、という話を淡々としてくれる。


「不老不死に気づいてどう思いました?」


と聞いたら、


「困ったなぁ、と」


と先生は答えてくれた。


 先生の、こういうところが私は大好き。




「先生、先生。戸籍はあるんですか?」


 私立といえど、学校の教師をやっているのだから、公的な身分が必要だろうに、先生が生まれた時代にはまだ戸籍とか、そういうのはなかっただろう。


 夏休み明け、気になった私が聞いてみると、先生はまたしてもうーんと首を傾げた。


「気づいたらできてました。戸籍作りたいんですけどって役所に行ったら、《ありますよ?》って言われたんですよね」


 そんなことある!?と私はまたしてもめちゃめちゃ笑った。


 戸籍作りに行こうと思った動機とか、戸籍作るための手続きがいかに面倒かを調べて、やりたくないのを押し殺していったから肩透かしをくらったとか、そういう話を先生はまたしても淡々としてくれる。


「先生、戸籍だと何歳なんですか?」


と聞いたら、先生は、


「今年、47歳です」


と答えた。


「戸籍上だと、あなたと31歳しか変わりません」


 31年なんて、私が生きてきた時間の倍近いのに、1000弱歳の先生にとっては、《しか》なんだな、と思った。


 ひえっ、こわっ、年月。





「先生、先生。先生は、歴史の先生になろうと思わないんですか?」


 1000弱歳なら、歴史の生き証人だろう。実体験を踏まえたライブ感のある授業をしてくれそう。

 秋の文化祭の準備中、聞いてみたら、先生は肩をすくめた。


「学習指導要領と違うことを言ってしまうのでだめです。歴史の先生にはなれません」


「それはつまり、教科書にあることと実際の歴史が違うってことですか」


 私の質問に先生は珍しく答えてくれなかった。にっと、口角を上げただけだった。


「それじゃあ、古典は?平安貴族だったなら、先生、古典、わかるでしょう?」


 またしても先生は肩をすくめる。


「あなた、日本語を外国の方にわかりやすく教えられます?」


「というと?」


「私にとって、古典は母国語なので、なんとなくわかるだけです。大学入試に向けた勉強なんてさっぱりわからない」


「こてんは、ぼこくご…」


 じわじわきて、私はまたしてもめちゃめちゃ笑った。


 先生の、こういうところ、私は大好き。





「先生、先生。先生は奥さんいますか?」


 1000弱年間、ひとりで過ごしてきたとは思えないけれど、今の先生に所帯じみた感じはない。


 冬休み前、聞いてみたら、先生は首を横に振った。


「いません。今は」


 ちょっとだけうれしくなったけど、やっぱり《今は》とついて、なんとなく悲しい。


「先生、それじゃ、いたことはあるんですか?」


 1000弱年も生きているなら、奥さんが2,3人くらい、いたことがあっても驚かない。

 覚悟を決めて聞いてみたら、先生は頷いた。


「ありますよ。に、さん…」


 やっぱり。


「に、さん、じゅうにんくらい?」


「2,30人…?多くないですか?ハーレムじゃん」


 うちのクラスは、25人。女子高だからみんな女子だけど、二、三十人も奥さんがいたことあるなら、一クラス分くらいの女性と結婚してきたのか!


「ハーレムじゃないですね、残念ながら。時代がみんな違う。今数えながら思い返したら、24人です」


 1000ワル24ニアイコール、41.7


 そう思うと、確かに多いということもないのか。


 1000年も生きると、24人も奥さんが持てることを学びました。





「猫は好きですか」


 補習終わり、先生は急にそう聞いてきた。


「へ? 猫? うーん、好きでも嫌いでも。でもどちらかといえば好きです。なんか親近感がわきます」


 そうですか、と先生は頷いて、私の机になにかを置いた。


「あげます」


 見ると、かの有名なパウチの液状猫用おやつ。


「……なぜ?」


「なんでも。おいしいから、食べてみてください」


 そう言い残して先生は、先に教室を出て行った。


 これは、もしや、


「私に対する、アプローチ!?」


 ひとり、教室で叫んでみた。


 やったね。先生、きっと私に気がある!


 学校帰り、おなかがすいたので、液状猫用おやつを食べてみた。


 すれ違う人々は私をやばいやつを見る目で見ていたけど、恋が叶うかもしれない乙女には、なんのダメージでもない。


「おいしい 」


 猫用おやつ、人間が食べてみてもおいしかった。

 もう2,3本いける。


 ふと、気が付く。

 《おいしいから》って言っていたけど、先生ももしかして食べてみたのかな。


 明日聞いてみよ。

 明日の放課後も、先生と私の2人きりの補習。楽しみだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 「どこがわからないかも、わからない……」 この気持ち 痛い程わかります。 これは 教える方も 教わる方も大変なんですよね。 学生時代を思い出して 笑ってしまいました。 [一言] 小此木先生…
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