隠レン坊サツジン
「まただよ、また!市内であったらしいぞ、あの事件が」
「えっ、またなのか?移動殺人」
食堂の隣の席で、違うクラスと思わしき男子たちの話し声が聞こえる。
「移動殺人って、お前ネーミングセンスないな!今度は中学生。この前が小学生だったから、歳を追うようにして殺害されていってるんだって」
「ほっとけ。えっと、赤ん坊から高校生までだっけ。俺ら、ギリギリ入るじゃん」
随分、物騒な話をしているようだ。おおかた、最近起こっているという連続殺人事件についてだろう。現在の時点では、赤ん坊から高校生までを無差別に殺害しているという。しかも、その遺体はバラバラにされているというらしい。
夏なこともあり、余計な気の高ぶりもあるのだろう。お互いが「次はお前なんじゃね?」と言い合い、冷やかし合っている。
「やめといた方がいいよ。言霊って、本当にあるから」
そう言おうかと思ったが、やめた。初めて会う人にそんなことを言われるだけ、相手も迷惑だろう。
他クラスの男子たちは、食べ終わったのか賑やかに去っていく。
その様子を、自分は遠くのことのように眺めることしかできなかった。
○○○
「ほーなーみ!ほなみってば、聞いてるの?」
その声に、ミステリ小説を読んでいた穂波は振り返った。
「どうかしましたか、部長」
穂波の視線の先には、ミステリ部の部長、三笠 春菜が拗ねたような表情をして立っていた。
「こういう時、身長の高い穂波はいいよね。私の身長じゃ背伸びしなきゃいけないのに、穂波は余裕だし」
「はぁ、ありがとうございます」
可愛くない後輩だな、と春菜は笑っている。
「話はそれだけですか」
小説に目を戻しながら穂波が言うと、春菜が慌てて言葉を発した。
「違うよ!新入部員の話だって、さっき言ったよね。まさか、あれも全部聞いてなかったの?」
穂波は無言で目を逸らす。春菜の無言の圧が痛い。
「……すみません」
「よろしい!」
ケラケラと春菜は笑っている。穂波は素直に本から目を離した。
「まさか、万年人員不足で有名な『ミステリ部』に新入部員が来るんですか?気の迷い、じゃないでしょうね」
「違うよー。ほら、ここにちゃんと入部届もあります!」
得意げに胸を張りながら、春菜は一枚の紙を穂波に渡す。受け取った穂波はざっと目を通した。
「真咲 浩介くんですか。言霊に興味があると」
「そうそう。今時、言霊のことを信じてる人も少なくなってきてるよね、嘆かわしい……」
やれやれと首を振る春菜を横目に、穂波は紙を丁寧に机へ置いた。
「体験が今日、と書いてありますけど、それについては?」
春菜はわかりやすく肩を揺らす。今度は、穂波がじっくり春菜を見つめた。
「……ごめんなさい、忘れてました」
「部長の素直に謝れるところ、嫌いじゃありませんよ」
顔を輝かす春菜を放置し、穂波は机の上を整えた。
「ほら、部長も机の上ぐらい片付けてください。初めが肝心ですよ」
「わかってるってば。絶対、ミステリ部に入ってもらうんだから!」
「入部届、もう手に入れてるじゃないですか」
あ。と拳を突き上げながら言う春菜を見て、穂波は小さな笑い声を上げた。
コンコン。
「あの、失礼します」
「どうぞ!」
春菜と穂波以外が利用することは滅多にない扉が、ゆっくりと開かれる。
顔を覗かせたのは、気弱そうな少年だった。
「えっと、ミステリ部、で間違いありませんか?」
「はい、そうですよ。立っているのも何ですし、どうぞこちらへ」
穂波が椅子を引くと、少年はおずおすと椅子に腰掛ける。そのまま穂波は移動して、春菜の座る椅子の後ろへ立った。
立ったままの穂波をちらちら見ながら、少年は頭を下げる。
「入部届を出させてもらった、真咲 浩介です。よろしくお願いします」
春菜は変わらぬ笑顔で挨拶を返した。
「私はミステリ部、部長の三笠 春菜。こっちは副部長の穂波だよ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
フレンドリーな春菜の様子に緊張が解けてきたのか、浩介の表情が柔らかくなる。
「入部届にも書いたと思いますが、僕、言霊を信じているんです。そんな中で、最近、連続殺人事件の次の被害者になるのでは、と言っていた方が近くにいまして、居ても立っても居られなくなってしまい……」
「不安に思った浩介さんは、ミステリ部の入部を希望されたと」
「はい、その通りです」
ふむ、と穂波はひとつ頷く。春菜は首を傾けた。
「でも、それだったら疑問が残るよね。なんで、ミステリ部に入ろうと思ったのか。
確かに、ここはちょっと変わってるよ。探偵みたいなこともしてる。だけど、わざわざ入らなくってもよかったんじゃない?依頼すれば」
笑顔で、春菜はずけずけとものを言う。浩介が言いにくそうに顔を伏せた。
沈黙が辺りを支配する。
「すみません、浩介さん。部長はこんな性格の人でして。可能でしたら、このミステリ部に入った、本当の理由を教えていただけますか?」
やってられなくなって、穂波が口を挟んだ。春菜が焦って頷いている。
小さな声で、浩介が何かを呟いた。春菜が聞き返す。
浩介が、決心したように面をあげる。
「僕の妹が、その殺人事件で殺されたんです。だから、犯人を解明できてない警察を待つんじゃなくって、僕の手で犯人を捕まえてやりたいんです!」
なるほど、ね。春菜は小さく頷いて、笑顔を浮かべた。
「わかった!浩介くん、ミステリ部は君を歓迎するよ!」
救いの手が差し伸ばされたかのように、浩介は笑顔を浮かべた。
○○○
「新情報ー!」
そんな明るい声と共に、春菜が部室のドアを勢いよく開いた。
「こんにちは、部長。一体、どんな情報を手に入れたんですか?」
「あっ、こんにちは!今日もお元気ですね」
春菜に対して、穂波と浩介が各々の挨拶をする。春菜は、得意げに胸を張った。
「聞いて驚きなさい!あの連続殺人事件、警察の間では『隠れん坊事件』と呼ばれてるらしいよ!」
「それで?」
「あの……それが、どうかしましたか?」
想像と違う返答が返ってきたからか、春菜は首を傾げている。頭痛を感じた穂波は、恐る恐る尋ねた。
「まさか、それだけ……というわけでは、ありませんよね?」
きょとんとした春菜は、慌てて首を横に振った。
「ち、違うよ!ただのバラバラ殺人って言われるんじゃなくって、『隠れん坊事件』って呼ばれるのには、ちゃんと由来があるんだってば」
曰く、まるで『かくれんぼ』をしたかのように、被害者の血痕が移動しているらしい。
「あと、バラバラにされた体の一部は隠されてて、発見はおびただしい量の血痕によるものが多いそうだよ」
知れば知るほど、恐ろしい事件だ。穂波は左手首を緩く握る。
青い顔をした浩介が、春菜にぼそりと問いかけた。
「部長さんは、どうやってその情報を知ったんですか?」
自慢げに笑顔を浮かべた春菜に代わり、穂波が知らないであろう浩介に説明をする。
「部長、あれでも一応、警察官の高い地位に着いている方のご息女なんですよ。大方、父君の弱みでも握って脅したのではないでしょうか」
「失敬な!脅しじゃなくって交渉だよ」
ますます顔を青褪めさせる浩介を見て、穂波はもう少しオブラートに包んだ言い方をすべきだったと反省した。
「ま、まあ、そんなわけでね。次は高校生っていう話もあるじゃない。だから、私たちで殺人鬼を探しに行こうと思って!」
春菜から発せられた衝撃の言葉に、その場の空気が一瞬で凍る。
「すみません、部長。今、何と言いましたか?」
「僕もどうやら、聞き間違えてしまったみたいで。もう一度、言ってもらえますか?」
拗ねたように頬を膨らませて、春菜はしぶしぶもう一度言った。表情がコロコロ変わって面白いな、と場違いなことを穂波は考えてしまう。
「だから、今日の二十三時、有ヶ丘公園に集合!殺人鬼を探すよ!」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。ため息をついた穂波は、大きく被りを降った。
「部長、普通に考えて無理ですよ。市内で起こっている事件とはいえ、この市は決して狭いわけじゃない。公園へ行っても、見つかるわけがないじゃないですか」
「大丈夫!私の勘が、次の事件はここだって言ってるよ!」
自信満々に、春菜は言い放つ。無理です、と穂波はもう一度言った。
穂波の言葉に勇気づけられたのか、申し訳なさそうに浩介も続く。
「高校生の僕たちが行っても、危ないだけだと思いますし、やめませんか?」
正論だと穂波は思う。しかし、正論に従うほど春菜がまともではないことも、重々理解していた。
「ご両親に連絡は取ったし、許可されてるから大丈夫だよ!」
笑顔で春菜はそう言い放つ。これには浩介も唖然としたようだ。
「もう、手遅れでしたか……。それなら、仕方がありません」
諦めた穂波がそう言うと、救いを求める浩介の視線が絶望に染まったことがわかった。穂波は、ゆっくりと首を横に振る。
浩介はがっくりと項垂れた。
○○○
「おや。早いですね、浩介さん」
薄手のシャツに身を包んだ穂波は、意外なものを見たように目を見開いた。
今まで春菜と二人で活動を行なっていた穂波は、一番に集合地に着くことが多かったからだ。
「いえ、僕も先程来たばかりですよ。それに、部の中で僕が一番年下じゃないですか。早く来て当然です!」
そういうものなのか、と穂波は納得した。
ミステリ部では、春菜、穂波、浩介の順番で学年が下がっている。一学年で一人ずつしか部員がいない、ある意味希少な部活であるのだ。
「部長によると、今日は山道を登るらしいですね。大丈夫ですか?」
「はい、想定済みです!お守りも持ってきましたよ!」
浩介が、軽く肩からかけた鞄を叩いて見せる。穂波は小さく頷いた。
「それなら、少し安心できますね」
話題がなくなり、穂波が何とは無しに月を見上げていると、浩介がおずおずと口を開いた。
「あの……。穂波さんって、好きな人、いますか?」
浩介も、この手の話をするのか。少し意外に思っていると、浩介は慌てて両手を振った。
「あ、いえ、あまり他意はありませんから!その、純粋な興味です!」
あまりに慌てるものだから、穂波はおかしくなって小さく笑ってしまう。浩介は斜め下を向いた。
「いや、いいんですよ。大丈夫です。自分は、そうですね。今はまだ、好きな人はいないかと」
自分でもよくわからないな、と穂波は付け足す。安心したように、浩介は笑っていた。
遠くから駆けるような足音が聞こえて、穂波は浩介から視線を外した。
「ごめん!また遅れちゃった!」
息を切らした春菜が、公園の柵に寄りかかる。耐久性の弱い柵を押さえながら、穂波は呆れた笑いをこぼした。
「本当に、またですね。浩介さんを長く待たせてしまいましたよ?ね、浩介さん」
急に話を振られた浩介は、慌てて首を横に振った。
「い、いいえ!穂波さんとお話をさせてもらっていたので!大丈夫です!」
申し訳なさそうに眉を下げる春菜を宥めながら、浩介は穂波にちらりと視線を送る。
穂波は何もせず、頑張って、と言っておいた。
◉◉◉
山道にあるお手洗いで用を足した浩介は、鏡の中の自分と向き合っていた。
今回も、大丈夫だ。ターゲットの年は自分と一つ離れているが、大した問題ではない。
それよりも、自分の中で荒れ狂う怪物を収める方が大変だ。
鞄に入れた『お守り』を確かめながら、浩介は穂波に[伝えたいことがあります。できれば、僕と一人で話す時間をください]とメッセージを打った。
「浩介さん。どうか、しましたか?」
山の中腹にある展望台で、浩介は穂波と向き合っていた。
「穂波さん、本当に一人で来てくれたんですか」
少し意外に思いながら、浩介は鞄に手を当てる。
胸の奥で燻っている『何か』を感じる。怪物が、獲物を求めている。
浩介の思いを知らずに、穂波は軽く笑みを浮かべた。
「部長は、少し調べたいことがあるらしくて。ふざけて『後は若いお二人でごゆっくり!』って言ってましたよ」
大きく跳ねる心臓の音を無視しながら、浩介はそうですか、と頷いた。
「穂波さん。僕ずっと、穂波さんに、言いたいことがあったんです」
言いたくて、言いたくて、仕方がなかった。
口の端に笑みを浮かべながら、浩介は鞄の中に手を伸ばす。
「僕、実は――」
「浩介さん。あなたは『快楽殺人鬼』でしょう?」
左腕に、焼けるような痛みが広がった。視界が、白く滲んでゆくのを浩介は感じる。
どうして、なぜだ。この痛みは、なんだ。
浩介は、驚愕を感じて穂波を見つめた。
「な、ぜ……。あなたが?」
大振りのナイフを持った浩介が、目を見開いて後退りする。
ナイフを持たない右手からは、止まることなく血が流れていた。
恐怖に顔を引き攣らせる浩介を一瞥し、穂波は目を細めて笑う。
「なぜ、と問われましても。趣味ですよ」
まるで磁石のように、穂波が一歩近づけば浩介が一歩下がる。
悲しそうな顔で、穂波は首を傾けた。
「どうして逃げるんです、浩介さん。共に事件を追った仲でしょう?」
そんなこと、知るもんか。浩介は喉まで出かかった言葉を無理に飲み込むと、目を逸らさずに数歩下がった。
「『隠れん坊事件』の犯人であるあなたは、次のターゲットを決めるために自分たちに近づいた。おそらくですが、あなたの妹さんを殺したのもあなたでしょう?」
疑問符を使ってはいるが、穂波はもうその話に確信を持っているようである。
何も返せず、浩介はじりじりと後ろに下がった。
目を離すと、食われる。そんな予感が、浩介に後ろを向いて全力で走らせない。
「ああ、知ってますよ。浩介さんは、好きな人がいる、と答えた人は殺さないんでしょう?だから、春菜さんはターゲットから外された。いない、と答えた自分を、ターゲットに定めたんですよね」
全てを、見透かされている。浩介は背筋が凍るのを感じた。
それは、捕食者であった自分が、被食者に転落した瞬間であった。
「ほーなみ!と、浩介くん。なに、やってるの?」
唐突に、辺りに能天気な声が響く。浩介は救いを感じ、声の元を見上げた。
そこには、春菜が普段と変わらない笑顔でそこにいる。自らを救い出す手を見つけた浩介は、口元に笑顔を浮かべた。
春菜を人質にして、穂波から逃げ延びる。それだけが、浩介に残された道であった。
生を羨む亡者のように、浩介は春菜へと手を伸ばす。
「やめて」
浩介は、右足に鋭い痛みを感じた。
「え……」
笑顔ばかりを浮かべていた、明るい春菜が蔑むような眼差しを自分に向けている。
「穂波……穂波 雅鬼くん以外から、私は触られたくないの」
完全に動きを止めた浩介に向かって、春菜は笑顔を浮かべた。
「あれは、私の初恋だったよ」
真っ赤な色に染められて、どこまでも美しく嗤う怪物を、私は見つけたの。
夢を見ているかのように、幸せそうな表情で春菜は微笑む。
「狂ってる……」
思わず、浩介はそう呟いていた。背後から、おかしそうに嗤う声が響く。
「そんなの、あなたもじゃないですか」
月光に照らされて、顔に影が張り付く美しい男が、大きなナイフを振り上げていた。
◉◉◉
思えば、初めから全てがおかしかったのだ。
「もう、いいかい?」
山道を転げるように降りながら、浩介は振り返る。
失ったはずの両腕が、鈍い痛みを訴えた。
「っく!」
体力の限界を感じ、大きな木の影で身を潜める。
「もう、いいかい?」
そうしている間にも、声はどんどん近づいてきている。
「どんな化け物なんですか……」
小さな声で悪態をつくと、すぐ側の草が揺れるのを感じた。
息がつまる。
「あ、浩介さん。みーつけた!」
笑顔で、穂波 雅鬼がナイフを振るう。
左足が、自分の胴体から音を立てて外れた。
「うわぁぁぁあ!」
もう、動けない。目の前が暗くなるのを、浩介は感じた。
「もう、おしまいですか?どうやら、血を流しすぎてしまったようですね」
怪物が嗤っている。女の声も、聞こえた気がするが、もう何も感じない。
浩介の意識は、真っ暗な闇に呑み込まれて、消えた。
○○○
とある街には、ある言い伝えがある。
怖い怖い怪物が住んでいるから、公園から続く山には決して行ってはいけないよ、って。