グウィネビア様、出待ちにびびる
新しい年を迎える時には誰もが祝いに参加する権利を持つ。子どもも老人も病人も、新年早々馬鹿を晒した若者さえも。
トリスタンはお父様と共に訪問客の部屋を巡り、騒動のお詫びと釈明をした。酔いを覚ますためにバルコニーに出たものの前後不覚に陥り、あやうく落ちそうになったと説明しているようだ。壁を登ろうとしたことは意味不明すぎるので省略した。
なんだか晒し者になっているような状態だが、トリスタンの名誉のためでもある。
「このままじゃ、求婚に失敗して飛び降りようとしたことになっちゃうからね」
スコットの言である。
誰が誰に……などとは聞くまい。
よく考えたら、酔って壁をよじ登ろうとしたという話より、失恋に絶望してバルコニーから飛び降りた、の方がよほど真実味がある。あと、人が好みそうな話だ。
私たちはそれぞれの部屋でしばしの休みをとったのち、馬車に乗り込み宮殿に向かった。
私とトリスタンは同じ馬車に乗り込んだ。2人の間には何もありませんよ、というパフォーマンスでもある。
「信じられないよ、僕が壁登りに失敗するなんて」
「私もびっくりしたわ。あなた、空に向かって手を伸ばしてるんだから。月まで登る気だったの」
「ああ……不覚……、不覚だ」
幸か不幸か、トリスタンは自分のしたことをしっかり覚えていた。
「なんか、いい気分になっててさ。ギャラリーも沢山いるし、ちょっと登っちゃおうかなーって」
明後日の方向に話を進める私たちに耐えかねたのだろう。お母様の叱責が飛んできた。
「あなたたちね。そんな馬鹿げた話、誰が信じると思ってるんですか。あなたたちの評判は大いに傷ついたんですよ。巻き込まれたセイラやジェニファーのことも考えなさい」
「申し訳ありません……」
トリスタンが神妙な面もちで謝罪した。
お母様の話によると、手すりを乗り越え身を投げようとしたトリスタンに、私が悲鳴をあげながら必死に取りすがる様子を、多くの訪問客が見ていたという。
「間違いです。私は悲鳴をあげていませんし、取りすがっていません。胸ぐらを掴んで、上着を引っ張ったぐらいですよ」
「お黙りなさい。あなたは何も喋らないでちょうだい」
お母様はこめかみを押さえている。新年早々申し訳なく思うのだが、私のせいなのだろうか?
「おば様、グウィネビアは何も悪くありません。彼女が止めてくれなかったら、僕は訪問客の誰かの上に落ちていました」
「グウィネビアが止めに入る必要はありませんでしたよ。その場にスティーブンやスコットがいたんですよ」
「お母様、最初に気がついたのが私なんです。だから動いただけです」
あの時点では、トリスタンがバルコニーに出て、酔いを冷ましているだけにしか見えないだろう。危ないことに気がついたのは私だけだ。
状況判断としては間違っていないはずだ。
「だいたいサイモンとソフィアはどこに行ってたの。アニタだって」
「ああ、その件は私の失態だ。せめて2人は子どもたちに付けるべきだった」
ついにお父様まで反省会に参戦してきた。
しかしこれは致し方ないことなのだ。訪問客が想定外に増えすぎて、使用人の数が足らなくなったのだ。だから、子どもたちは全員、音楽室に押し込められることになった。
「サイモンたちは与えられた仕事をしていただけです。僕のせいで、本当に申し訳ありません……」
トリスタンは再び謝罪する。
そうこうしている内に、馬車は貴族街から王宮敷地内に入り、宮殿に到着した。後ろからついてきた馬車に乗っているクラークは子守りと手をつないでいる。普段は大人の集まりには参加しないのだが新年の祝いだけは特別なのだ。
先に到着していたロス男爵一家とセイラとスコットたちと合流しようとするが、挨拶のために押し寄せた貴族たちに囲まれ、お互いに近づくこともできない。仕方なく男爵一向は、国王陛下の挨拶を聞くために小窓に向かった。
本当はセイラとスコットは、エルザのように広場に行くことを希望していたのだが、昨日の騒ぎで神経質になっているお母様が断固として許さなかったのだ。
私とトリスタンの周りはソフィアとサイモンがぴったりと付いている。更にお父様とお母様にがっちりガードされた私たちは誰とも話すことができず、ときどき会う学友に軽く会釈するのみである。学園長やセシルたちもどこかにいるはずだが、会うことができなかった。
去年より遥かに視線を感じるのは、例の絵の影響だろうか、それとも昨日の事件がもう伝わっているのか。……いや、考えすぎだ。
宮殿の案内係に従い、私たちはバルコニーに向かう。ガラスの扉が解放されると室内に入ってきた冷気が頬を撫でる。からりと乾いた外の空気が心地よい。
宮殿内の視線から逃げるようにバルコニーに出た私は、予期せぬ歓声を浴びた。
見ている。
明らかにこちらを見ている。
広場を埋め尽くした人々の視線は王宮ではなく、貴族が滞在する宮殿、それも私たちのいるバルコニーに向けられている。
「トリスタン、グウィネビア、顔をあげなさい。下を見てはいけないよ。クラーク、お母様から離れないように」
お父様の言うとおり、私たちは広場の人々に目をくれず、まっすぐランスロットたちが出てくる予定の王宮バルコニーを見つめる。
「ねえ、僕、久しぶりなんだけどこんなかんじだったかな」
ここ数年、領地で過ごしているトリスタンはこの熱気に衝撃を受けている。
「年々人が増えてるらしいわ。でも去年より歓声がすごいわ」
「ねえ、これ、こっち見てない? 王宮じゃなくてさ」
「国王陛下がお出ましになるまでは、私たち貴族をみんなが見てるのよ」
あやうく王家の人々が出てくるまでの見世物が私たちよ、と言いそうになった。
「へえ、あれ、なんか聞こえない?」
広場に集まった人々は好き勝手に喋っているのだが、確かに何か聞こえる。
「グウィネビアさまーっ」
聞こえる……。
学園の生徒だろうか? 友だち?
一旦意識し始めると、どんどん聞こえてくる……。
「グウィネビアさまー」
「グウィネビアさまー」
学園の生徒ではない。
明らかに見知らぬ平民の声だ。
私の知らない人たちが私の名を呼んでいるのだ。
お父様と、お母様は去年までとあきらかに違う人々の反応にとまどっている。
「あなた、グウィネビアを下がらせた方が……」
「うむ、いや、待ちなさい」
その時、別の方向から更なる歓声が鳴り響いた。
トランペットの楽曲で王の登場を告げられると、人々の関心は一斉に王宮バルコニーに向かった。
そこには国王夫妻、ランスロット王子、そしてまだ幼い第2王子。
怒号に近い歓声が、トランペットの音をかき消し、国王一家を包み込む。
一家は穏やかな表情で広場の人々を見回す。幼い第2王子さえも、愛らしい笑顔と好奇心に満ちた目で広場に集まった人々を見つめている。
常に人々の視線を受けることに慣れきった王家の人たちは、やはり一貴族でしかない私とは違うのだ。
私はランスロットを見た。父親譲りの穏やかな微笑みを浮かべながら、広場、そしてバルコニー、小窓にひしめく貴族をゆっくりみつめる。
後ろから、小さな悲鳴とばたばたと世話しない足音が聞こえる。
「何かしら」
「どこかの令嬢が気を失ったのさ。ランスロットにみつめられて」
トリスタンが肩をすくめる。
広場から、新たな歓声……ではなく悲鳴が聞こえる。ランスロットに見つめられた(?)、広場の女性たちがばたばたと倒れ始めたのだ。
「毎年、こんなこと?」
トリスタンは戸惑い気味に私に尋ねる。
「まさか、去年はこんなことおこらなかったわ」
私たちは、下を見てはいけない、というお父様の忠告を忘れて、広場の人々の混乱を眺めていた。
国王陛下の新年の挨拶が始まると、その言葉を聞き逃すまいという人々の意思により、広場の喧騒は若干だがおさまった。
多くの人は顔をあげ、その意識を王宮バルコニーに向けているが、私は倒れた人たちが気になって仕方がなかった。
無事に目覚めただろうか、この場から離れ落ち着いた場所にいけただろうか。
エルザは大丈夫だろうか。リリアたちもこの喧騒の中にいるのだろうか。
まさか人死にが出る事態になったら……。
再び大きな歓声、トランペットの音。
やがて王家の人々がバルコニーから姿を消すが、国王陛下、ランスロット王子を讃える声は止むことがない。
これが、民衆のパワーというものか。私は呆けたような心持ちで、広場を眺めていた。
しばらくすると王家に集中していた人々の熱気はてんでばらばらに動き出した。ある者は博覧館に、ある者は市街に、そして――。
「入るぞ」
お父様の声と共に私たち一家は宮殿内に入る。視界の端に、こちらを指さし笑っている男の姿をとらえた。けして悪意や敵意があるわけではないが、無礼で不躾な態度。あたかも珍しい生き物を発見したかのようなその反応。
「首都の人って怖いね」
どちらかと言うと注目されることを好むトリスタンでさえ怯えている。
宮殿内には小さな混乱がおきていた。民衆が押し寄せ、馬車を出すことが困難だと言うのだ。どうやら博覧館と間違えているらしい。
今日からしばらくの間、博覧館は無料で公開されるのだが、博覧館ではない、こちらの宮殿にも人が押し寄せてきているのだ。
「向こうには絵のグウィネビア、こっちは本物のグウィネビア。間違えたふりしてこっちに押し寄せてるんじゃないかな?」
トリスタンはいつもの調子を取り戻しつつある。
私たちは、案内係に先導され裏口からなんとか馬車に乗り込む。
馬車は貴族街の門に向かってゆっくり動き出した。
私は安心から油断していた。好奇心に負けて窓から外の景色を覗いたのだ。
目ざとい者が私の姿を見つけると、何か叫ぶ。そうすると、わらわらと平民たちが集まり馬車に近付いて来たのだ。
「隠れなさいっ」
叱責に近い口調でお父様が叫ぶ。私は身を固くして馬車の中で小さくなる。
集まった人々は無礼ではあるが暴漢というわけでもないので、騒ぎに気がついた宮殿の使用人たちに簡単に追い払われた。
これはあれだ。
アイドルの出待ちと同じ状態だ。
私はいつの間にか、アイドルのような扱いになっているのだ。
例の絵のせいだろうか?
しかし、あの絵が広く民衆の目に触れるのは、これからのはずなのだが。
などと、つらつら考えているうちに、馬車はなんとか貴族街に入り、無事、エバンズ邸に帰ることができたのだ。




