グウィネビア様、パワハラ上司化して部下を泣かせる
私はいつものようにトリスタンと居間で過ごしていた。
「ねえ、あの絵ってどこの風景?」
トリスタンが暖炉の上の額縁を見ながら言う。今日、話した私が描いた絵だ。
「領地よ、エバンスの」
「へえ、こんな感じなんだ。綺麗だね」
「ううん、こんな感じじゃない。もっと暗い所よ」
私が描いたのは、生い茂る木々に囲まれた湖の絵だ。陽の光を受けて水面は美しく輝き、木々の緑は明るく鮮やかだ。
「実際はね、人の手がほとんど入ってない森でね。昼でも暗いのよ。湖じゃなくて、緑っぽい沼があるだけよ」
昼でも光のささない暗い森。木々の合間からわずかに注ぐ光は、沼地を緑を不気味に際立たせていた。
「でね、木の枝が沼の真ん中辺りにあったのよ。半分沈んだ感じで、枝の細い所が、人間の手みたいになっててね。そこに上手い具合に光が当たってるの。沈みかけた人間の断末魔を天が照らしてるような光景だったわ」
「……それが、なんでコレ?」
「先生に直されたのよ」
当時の私には、自分の見た風景をカンバスに描き出す技術はなかった。
娘が緑と黒の訳の分からない物を描いているのをみた両親は不安がって、チェスター先生を呼んだのだ。
先生は、私に色使い、構図、見栄え等、上手く見える技を教えてくれた。
こうして私は、壁にかけるのに最適な普通に上手い絵を描く貴族令嬢になったのだ。
もしも私が、画力と情熱をもってあの絵を完成させていたら、それはそれで令嬢としては惨事である。
そこまで風景画に思い入れもないので、これでいいのだ。
「うーん、まあ、君が納得してるならね……」
そこまで言ってトリスタンは、何かを思い出したように、後ろに控えている私の侍女ソフィアを見る。
「ねえ、サイモンを呼んできてよ」
「え……、サイモン、ですか」
ソフィアが私の方を見る。
トリスタンと過ごす時、給仕は大抵ソフィア1人だ。彼女は給仕役だが、監視役でもある。未婚の若い男女が過ちを犯さないための。
「お願い、そんなに時間がかかるものじゃないから」
私が頼むと、ソフィアは不承不承といった様子で部屋から出ていく。ソフィアがあそこまで不満を態度で表すのは珍しい。
しばらくするとソフィアとサイモンがやってきた。サイモンの手には木箱がある。木箱はサイモンからトリスタン、そして私の手に渡る。
「ソフィア、座って」
私は自分の隣にソフィアを座らせて、テーブルの上でソフィアに見えるように木箱を開ける。
中には数点の封筒が入っている。
私は一番上にある、あて先にソフィアの名が入っている手紙を手に取る。
「あなた宛の手紙よ。ただの手紙でおおげさなことをしちゃって、ごめんなさいね」
サイモンが手紙をとり、ナイフを入れ開封して、ソフィアに渡す。ソフィアは中から紙を1枚とカードを取り出す。
「そんな……私にこんな、大層なものを……。でも、いつ準備されていたのですか? 私、ちっとも知りませんでした」
「ほんとに気がつかなかった? なら成功だわ」
私のやることは全てソフィア通して実行される。
サプライズを狙ったわけではないのだが、ソフィアに贈るものをソフィアに選んでもらうわけにはいかない。
そこでトリスタンに頼んでサイモンを貸してもらったのだ。
「この封筒は……、確か学園の生徒の方も使ってらした物ですね」
「そうよ、モリーに頼んで封筒と紙とカードをね、何種類か見せてもらったのよ。それをサイモンに買ってきてもらって、学園で書いてたの」
「まあ、そんな……。そこまでしてもらうなんて……」
「寄付をしてもらった人に御礼状を書くようにしたんだけど、最初にリリアたちの衣装を頼んだ時の御礼状は、まだでしょ? あの時は、私の一存で頼んだものだから、学園から出すわけにもいかないしね」
ほんとは臨時の売店で買いたかったのだが、自分時間がなかったのだ。
「待ってください。私は衣装を出していませんよ」
「あなたが声をかけてくれたから、集まったのよ。時間がなかったのに無理を言って悪かったわね」
私は木箱の中から、もう1枚の封筒を手にとった。あて先はアニタ。
「あなたとアニタにはあて先を書いておいたわ。あとは、あなたたちが声をかけた人に渡しておいてね」
リリアたちの時に衣装を出してくれた人のことはソフィアは知っているが、私は人数以外は把握していない。
とりあえず、人数分の封筒の中に、お礼を書いたカードと何も書いてないカードを入れておいた。ささやかなプレゼントである。
「まあ、こんな高価なものを……、最初の方の衣装は……皆さん、平民なんですよ。そんな御礼状なんて……。それに……」
紙は未だ高価な物だ。ましてイラストのついたカードなどは贅沢品の部類に入る。
ソフィアは自分の手の中にある、手紙とカードを見つめている。言葉を出そうとしているが、出せないようだ。泣いているのだろうか。
「……ありがとう……ございます」
ソフィアがつっかえながら礼を言う。いくらなんでも少しおおげさだ。
「ねえ、今日はサイモンにいてもらうからさ、ソフィアは下がってもいいんじゃない?」
私はトリスタンの提案にのることにした。
「ソフィア、次に呼ぶまで休んでいて」
しかしソフィアは動かない。動けない、と言ったほうがいいのかもしれない。サイモンが促し、やっと部屋からでていった。
「ねえ……ソフィアの様子、おかしくない?」
ソフィアが退出して、しばらくたってから、私はトリスタンに尋ねた。
「うーん、君に仕えるってことはさ、それだけ大変なことなんだよ」
「やっぱり、やっぱりそう思う!?」
トリスタンがうんうんとうなずく。その態度はいささか腹立たしいものの、私に仕えるのは他の令嬢に比べて精神的にも体力的にも負担が大きいだろうとは、自分自身、考えていたのだ。
最近はアニタにも動いてもらってるから、仕事が増えているわけではない、と思っていたが、甘かったかもしれない。
「もっと気を付けるべきだったわ。よく働いてくれるから、ついつい甘えてしまったのよね」
「その必要はありません」
そう言ったのはサイモンだった。
サイモンは、主人たちの会話に口を挟んだことを詫びたあと、話しを続けた。
「使用人が主人に気を遣わせるなど、あってはならないことです。先ほどのソフィアの態度を許してはなりません」
後で厳しく言っておく、侍女頭にも報告を上げるなどとサイモンが言うので、私とトリスタンはあまり厳しいことはしないで欲しいと、とりなすしかなかった。
すると今度は、使用人を甘やかしてはならない、若い貴族のそういう態度が使用人を付け上がらせる、とこっちが指導を受ける羽目になってしまった。
「使用人のことは君らにまかせるとしよう。グウィネビア、僕らは友人のことでも考えようじゃないか」
トリスタンが不自然な軌道修正を図った。
「なあに? ジョフリーにいじめられてる件なら、受け付けないわよ」
イケメンのび太の泣き言に付き合うのはうんざりだ。
泣くのは1日1人で、勘弁してほしい。
「いやいや、そっちじゃなくてさ。リリアが少し気になるんだ。ビビアンもかな」
「そういえば、最近話してないわね。何? 実技で困ってるの?」
「まあ大変みたいだけどね、そっちじゃなくて座学なんだけど」
「あの2人が苦戦してるの?」
「いや、そうじゃなくてね。えーっと、ほんとは口止めされてるんだよね」
「言って。トリスタンに言って私に届かないなんてあるわけないでしょ」
自分たちだけで悩むなと言っておいたはずなのに、どうしたことだろう。
トリスタンの話は、実技衣装にかまけて、とりあえず脇に置いていた座学に関する頭の痛い問題だった。




