グウィネビア様、貴族の教養について自説を述べる
主人公がひたすら解説する回です。
それからの日々は淡々と過ぎた――わけではなくて、1年生らしく怒涛の日々が続いた。激流に飲まれるかのごとく過ぎていった、と言うべきか。
音楽の授業が始まり、それぞれ選んだ楽器で複数のクラスに分けられた。私はピアノを選んだ。ピアノを選んだのはモリーの他、平民の富裕層が多かった。なんでも富裕層の間では、家にピアノを置く家庭が増えているらしい。ピアノは上流の証になっているようだ。
ピアノクラスはレベルに差こそあれ、まったく弾けない、という者はいない。貴族と富裕層が多く、経験者ばかりなのだろう。授業の進行もスムーズだ。
悲惨なのは、フルート、バイオリンのクラスである。楽器の貸与があるため、ピアノより選ばがちなのだが、フルートは音が出ず、バイオリンは金切り声をあげているらしい。
時々、庭で練習している学生を見かけるが中々壮絶な光景となっている。
乗馬、剣術は前評判のとおり、初心者向けの懇切丁寧なものだ。特に剣術は、ひたすら型を教わるだけで、私が朝、自主的にやっているトレーニングにも及ばない。正直、準備運動にすらならない時間だ。
気になっていた服装だが、確認した限りスカートで授業を受けていた学生はいないようだ。すくなくとも衣装は間に合ったようである。
ダンスと同じか、それ以上に衣装にお金のかかる作法の時間だが、座学の時間が大半を締め、実際にドレスを着るのは数回という内容となっている。
そして、授業を担当するパトリス先生が衣装に多少の問題があっても、指摘はするが査定の対象にはならない、と明言してくれたのだ。
私は知らなかったのだが、先生は売店開催中、衣装の部屋に何度も足を運んでいたらしい。
実技衣装で苦労している学生の姿を目の当たりにした先生は、寄付物品集めの担当を引き受けてくれることになった。
絵画の授業は油絵から始まったのだが、私だけ別メニューで人物画……というか男性の動きをひたすらデッサンする、という内容になっている。
なぜこんなことになったのかと言うと、ダンス教師陣と絵画教師のチェスター先生が、卑劣にも結託したためだ。
舞踏譜とともにイラストをつける際、先生たちは、私の描く女性と男性のイラストの出来の違いに気がついてしまったのだ。もともと自分が覚えるために始めたらデッサンだ。女性と男性では熱のいれようが違う。
「君の手、僕を描く時だけケガしてるのかな? それとも僕はこんな感じで踊ってるの?」
ヘロヘロの線画と化した自分の姿を見ながら、ケイ先生が言うので、
「すいません、先生のダンスは見事なのですが、私の技術の問題があるのです」
と、フォローしたのが裏目に出た。
ならば技術の向上を、ということで私だけ人体デッサンをやっているのだ。
「じゃ、あなたの絵の勉強はどうなるのよ?」
食堂でセシルが不満気に言う。
ダンスの授業の一件から、闘争本能に目覚めてしまったセシルは、私のためなら教師に食ってかかる気満々である。
「大丈夫、先生には個人的に見てもらってるし、『君の絵はもう、どうしようもない』って言われてるから」
「いやいや『どうしようもない』は、大丈夫じゃないよね」
トリスタンもたまらず声をあげる。
絵画のチェスター先生について説明するのは、いろいろ骨が折れる。
私と先生の関係、先生の性格と教師としての才能、学園の方針、すべてに関わってくるものだからだ。
「チェスター先生はね、13歳まで絵を見てもらってたの。しばらく独学だったんだけど、入学前に、もう1回、指導してもらった時に、『もう、これ以上はどうしようもない』ってね」
「それは……誉めているようには聞こえないのだが……」
ランスロットも戸惑い気味だ。
「ええ、誉めてるわけじゃないわ、ただの事実。私が絵で名を上げようって人間なら、絶望するセリフだけどね、貴族だからいいのよ」
チェスター先生の画家としての腕前は分からない。
しかし貴族にそれなりの絵を描けるよう指導するには、最適な人物だろう。
「チェスター先生はね、貴族が描くならこの程度で十分っていうところまで教えてくれるのよ。あの先生に教えて貰えるなんて幸運だわ」
「あまり、熱心な教師ではないのか……」
ランスロットは納得し難いようだ。
絵画技術を教える技に優れているが、情熱はない。それがチェスター先生なのだ。
「熱心である必要はないのよ。大事なのは学生にそこそこの絵を描かせることなのよ。トリスタン、居間の暖炉の上の風景画、私が描いたの。知ってた?」
「え、あれ。君の絵? え、上手じゃない。すごいよね」
「上手よ、すごいでしょ」
「うん……、えーっと、……上手だよ」
「ね、他の感想は特にないでしょ。デッサンもさほど狂ってないし、色使いも悪くないし、すっきりしてる、上手な絵。『貴族の絵』としては及第点よ」
先生は、『うまく見える』テクニックを徹底的に教えてくれる。言うとおりに描いていけば、それなりの絵になるのだ。
「私ね、実技の授業を何回か受けてみてね、学園、というか貴族社会が私たちに何を求めてるか分かったような気がするの」
ロビン先生が言うとおり、宮廷ダンスは王の前、外国の賓客の前で披露されるものだ。
求められるのは上手いダンスではない。貴族は踊り子ではないのだ。
宮廷舞踏会は国としての威容を示す場でもある。品格を失わず、しかし楽しい時間でなければならない。
作法の授業が厳しいのも同じ理由である。無作法は個人の恥ではなく、上流階級の格を下げる行為だ。
乗馬は、かつては馬術と呼ばれ、かなり難しい動きを要求されていたらしいが、今はそれらのことは騎士コースで覚えることになっている。
かつての貴族は馬に乗り、弓を持ち、森に入り、得物を狩り、薬草や木の実を採取した。これらは、生活のための必須技術だったが、今は違う。
今の乗馬の授業では、社交の場で遠乗りが出来るレベルになることが目標となる。
剣術も本格的に学びたいなら騎士コースに行くしかない。
騎士ではない貴族男性にとって剣術は一種のスポーツのような感じで、屋敷の練習場や庭などで模擬戦を楽しむ。これも社交の一種だ。強さは求められていないが、嗜みとしてある程度の技量が必要だ。
女性も模擬戦をすることがあるが、もっぱら護身術として教えられている。が、正直護身術としては、役に立たないと私は感じている。
そして、音楽。
上流階級の集まりでは小さな演奏会がしょっちゅう行われる。行った先でいきなり何か演奏しましょう、と言われたときに即座に対応する必要がある。
この場合、多少拙くても問題ない。音楽の素養があることを示すことが出来ればいいのだ。
学園でもこの辺りを意識して指導が行われるはずだ。
絵についても音楽と似たようレベルの出来でよい。上手いが、絵師の手によるものではないな、と分かる程度でいいのだ。
貴族の屋敷の大広間や玄関、廊下など大勢の目に触れるところには、画家に描かせた肖像画や風景画、彫刻が飾られる。
そして居間、食堂、お茶室等、図書室など、より親しい人間が入る部屋に飾られるのが、家の住人が描いた絵だ。
飾ってみすぼらしくない程度の画力があればそれでよい。むしろ素朴さ、素人くささがある方が貴族の趣味として価値があるともいえる。
その他に家に飾るものとしては、男性なら木彫りの彫刻、女性なら刺繍がある。
「とにかく乗馬と剣術は基本の動きが出来れば問題ないと思うの。絵画、音楽もそこそこの出来。問題はダンスと作法ね。宮廷に呼ばれること、外国の賓客をもてなすことを常に意識しないといけないわ」
私の話を皆、神妙に聞いていた。
「ねえ、グウィネビア。私もあなたの絵を見たことあるけど、とても私には描けないと思うわ……」
セシルは不安げに訴えた。
「チェスター先生の言うとおりに描いたの。先生ならね、上手く見えるテクニックを徹底的に教えてくれるわ」
「グウィネビア、やはり私には、よい教師には思えぬ。上手く見える技術だけでは、皆、同じような絵になってしまうではないか」
ランスロットはあくまで生真面目だ。
多分、一夜漬けとかしないタイプだ。
「そうね、皆、同じような絵になるわ。でもそれでいいのよ。貴族社会が求めているのは、個性や情熱じゃなくて、壁に飾れる品のよい風景画や静止画よ。あと、先生ならやる気のある生徒にはそれに見合った指導をしてくれるわ」
「……」
多分、ランスロットにとって教師とは、師匠と呼べるような、自分を導いてくれる人間のことなんだろう。
チェスター先生は、塾講師みたいな感じだ。短時間で必要な点をとれるようにいろんな技を教えてくれる。
「ねえ、ランスロット。私やあなたみたいに、よい教師に時間をかけて見て貰ってる学生はほとんどいないわ。みんな1年で、貴族として相応しいレベルの実技と座学を叩き込まなきゃいけないの。時間がないわ。技術で解決するならそれでいいじゃない」
「……そうだな。私のように恵まれた環境にある者ばかりではないからな」
噛みしめるように言うランスロット。
多分、納得していないのだろう。
「じゃあさ、君は納得してるんだね。先生たちに便利に使われているわけじゃないんだね」
トリスタンが念を押すように言う。
「私、静止画や風景画って苦手だから、別メニューがあるのはうれしいくらいよ」
私は答えた。
なんだかトリスタンの言葉に違和感を覚える。
彼が本当に懸念しているのは何に対してだろう?




