グウィネビア様、ダンスの話は大好きだが今はそれどころじゃない、と内心思う
「グウィネビア、よかった。探してたんだ」
庭に出ると、トリスタンがやってきた。
「やあ、ちょっと前までここにゴドウィン伯爵がいたんだよ。それがさ、側近が5人。多すぎない? オスカーさんとランスロットが挨拶してさ、あとルイスさん、父上なんだってね。そっくりだったよー。それから先生がきたんだよ、ロビン先生とか、あと知らない先生。すごい集団じゃない? さっきまでテントを覗いててさ、みんな逃げるし、お店の子は怖がっちゃうしさ、言っちゃ悪いんだけど、邪魔すぎだよね。それでね、そのゴドウィン伯爵がね――」
「お願い、要点だけ言って」
「食堂にみんな行ったよ。で、君を連れてこいってさ」
「……行きたくないわ」
ずっとトリスタンの脈絡のない話を聞いていた方がまだマシだ。
食堂に行くと個室に案内された。まだ入ったことのない部屋だ。おそらく個室の中でもっとも広いのではないだろうか。
楕円のテーブルの奥にいる、ルイスを歳をとらせて厳めしくしたような人物が、ゴドウィン伯爵だろう。後ろに側近が2人、控えている。ちなみに残りの3人は、個室の扉付近に控えていた。
両隣にはダンスの教師、ジリアン先生とケイ先生が座っている。その隣には、それぞれロビン先生とミナ先生。
そしてランスロット、オスカー、ルイス、というメンバーがすでに席についているのだが、とりまとめ役がこれだけ抜けるのはいくらなんでも、問題ではないだろうか。
「ゴドウィン伯爵、今回の計画の発案者のグウィネビアです。グウィネビア嬢、伯爵に挨拶をしなさい」
ロビン先生に促され、私はゴドウィン伯爵に挨拶をする。
「1年、とりまとめ役、グウィネビアです。この度は、売店の許可を頂きありがとうございます」
「うむ、盛況のようでなによりだ。君の発案は、成功したようだな」
その時、ジリアン先生が伯爵に何事か囁く。伯爵が軽く頷くと、ジリアン先生は今度はオスカーらに目配せする。そのタイミングで、オスカーだけでなく、ランスロット、ルイスらも立ち上がり、席を離れた。全員退出するようだ。
「売店はこっちで見ておくから、ここは君にまかせるよ」
去り際、妙に爽やかな笑顔をこちらに向けてオスカーが言った。
ランスロット、ルイスの表情が冴えないのは気のせいだろうか?
いや、ごっそり抜けなくてもいいんですよ?
1年生、1人残すとかなくない?
「グウィネビア嬢、座りなさい」
ロビン先生に促され、私は先程までオスカーのいた席に座る。すでに給仕によって新しい茶器の準備が出来ている。私は、給仕にお茶の種類を指定した。その一連の流れをじっと見ていた伯爵が、口を開いた。
「グウィネビア嬢、勘違いしないでくれたまえ。私は他の理事のように、君ら親子の悪魔のような恫喝に屈したわけではない。君たち、とりまとめ役の主張には一理あると感じたのだ」
「とりまとめ役の主張を、評価して頂きありがとうございます」
悪魔とまで言われてしまった。
実際、かなり効果があったのだろう。
とりあえず聞かなかったものとして、にこやかに感謝の言葉を述べておく。
「一理あるとは思った。しかし、それだけでは弱かった。決め手になったのはこちらの先生方だ。それと、君の舞踏譜。あれは、我々踊りを愛好する者には宝の山なのだよ。君はその価値を理解しているかな」
「舞踏譜の最初の物は当時の先生から見せてもらったものです。ですから、先生の親族がオリジナルを持っていらっしゃるのでは?」
「君の師匠……ピーター先生は変わり者だったのだ。私たちは、彼が舞踏譜を遺していることさえ知らなかった」
「まあ、そうでしたの……」
10歳の時のダンス教師、ピーター先生は、ずいぶん歳をとった先生だった。足は悪く、杖をつきながらの指導だった。
もう、踊れない……といいながらも、時折、杖を放し、ステップやターンを見せてくれることがあった。
それは、折れた翼を広げ、再び空に帰ろうとしているようで、不思議に心惹かれる風景だった。
指導は1年と少しくらいだった。
ある時、「もっと踊りを集めたくなった……」とだけ言って、先生は私の元から去っていったのだ。
亡くなったと聞いたのは、その3年後だったように思う。
「驚きましたわ……。先生はしょっちゅう書き物をしてらしたから、何か遺しておられると思ってました」
別れる時に、「新しい舞踏譜があったら見せてください」と言ったら、先生も「そうしよう」と言ってくれたのだ。てっきり、遺族や弟子の誰かが所有しているのだろうと考えていた。
「確かにピーター先生はよく書き物をされてましたね。でも誰かに見せたり、どこかに発表しようとはされませんでした。あの方は、自分が満足すればそれでよい、という方でしたから」
ほうっと、ジリアン先生はため息をつく。
先生たちの話を総合すると、ピーター先生が亡くなったのは、私と別れて数ヵ月ほどたった頃らしい。
らしい、というのは、教え子たちが消息にたどり着いた時には、ピーター先生が死亡してからすでに2年の歳月がたっていたからだ。
先生はランカシャの農家で世話になっている最中に、亡くなったのだと、ジリアン先生が説明してくれた。
「先生の素性を知らなかった農民どもは、先生を無名のまま墓地に葬ったのだ。連中の話を信じるなら、先生はわずかな銅貨以外、何も持っていなかったらしい」
ゴドウィン伯爵は当時のことを思い出したのか、不快そうに顔をゆがめる。
「なぜ、先生はそんなところに?」
「先生はね、ふらりと旅に出ては、踊りを記録していたの。その時も、きっとそんなかんじだったのでしょうね」
「でも突然、お亡くなりになったのなら、紙なり石板なりに書き付けた物がありはしないでしょうか?」
「ふん、農民ふぜいには価値は分からんだろうよ」
確かに、舞踏譜やら書き付けなどの意味は理解できないかもしれない。しかし、紙も石板も貴重なものだ。石板は消して使っているかもしれないが、紙は裏を利用することができるし、包みにもなる。残してあってもおかしくはない。
しかし、伯爵らが調べて何も出なかったのだ。私が考えを巡らせたところで、何かが出てくることはないだろう。
「じゃあ、何も残ってないのですね……。私が写した舞踏譜以外、何もないのですね……」
いつかまた、どんな形か分からないが、先生の舞踏譜に出会えるものだと思っていた。
先生の残したものは何もない、そう思うと強い寂寥感に襲われた。
「先生が残されたのは、その教えと技術。私たちはそれを伝えていくのが仕事だと思っていました。それがこんな形で、もう一度、先生の仕事に出会えたのです。これほど嬉しいことはありません。グウィネビアさん、あなたには感謝しています」
ジリアン先生の言葉から、強い熱のようなものを感じた。
「いえ、そんな大げさですわ、私はただ、先生の舞踏譜を写させて貰っただけですし……」
私はひたすら恐縮していた。
何か先生たちの間で、大事になっているような気がした。
そこに伯爵が、さらにとんでもないことを言う。
「君はピーター先生の最後の弟子として、その技術を後代に伝える義務がある。まずは私の夏の庭で失われたダンスを甦らせるのだ」
はいぃぃ?
「だめだと言ったでしょう伯爵。学生に夏の庭は早すぎます。ルイスさんもね」
ジリアン先生がかなり強い口調で伯爵を止める。この話し方から2人の関係の強弱が分かる。
「何も深夜までというわけではない。ダンスの心得のある者なら、ピーター先生の最後の弟子のダンスを見たいと思うはずだ」
「お忘れかもしれませんけどね、学生は忙しいのですよ。とくにグウィネビアさんは、とりまとめ役です。学園のことに忙しいのです」
「時間はとらせん。早い時間に出ればよい」
「準備というものがありますわ。2年の準備に影響が出たらどうするのです?」
「大げさな。グウィネビア嬢はすでに大学レベルの勉強をしていると、教師たちは言っている。私が知らないと思っているのか」
「じゃあ、トリスタン君を連れていったらどうです? 彼、グウィネビア嬢専用楽士らしいですよ」
ここで3年のダンス教師、ケイ先生が謎の提案をしてきた。
「グウィネビア嬢はピーター先生の舞踏譜を元に古いダンスを再現しているそうですよ。その時、トリスタン君がバイオリンを奏でるとか」
「リュートですわ、ケイ先生」
舞踏譜を作るとき、確かそんな話をしたような気がする。
真面目な話ではない。トリスタンのサボりぐせが出た時に、息抜きで舞踏譜の楽譜を元にトリスタンがリュートをつま弾き、私が踊るのだ。
音も踊りも割と好きなように弄っているから、先生たちが気に入るかどうか分からない。
なぜ、ここでトリスタンの名が出たのか分からないが、効果はあったようで、あれだけ強引だった伯爵が沈黙してしまったのだ。
「だめです。学生を巻き込んではいけません。さ、この話はここで終わり。グウィネビアさん、売店に戻りなさい」
「分かりました、ジリアン先生。ゴドウィン伯爵、改めてお礼を言わせてください。売店の許可を頂きありがとうございます。それと、興味深いお話も聞けて、うれしゅうございました」
「うむ。また会おう。グウィネビア嬢」
こうして何がなんだか分からないまま、私は個室を後にしたのだ。




