グウィネビア様、平民格差を実感する
お茶会は食堂の個室ではなく、医務室の隣の部屋を借りた。
「私、3年なのにこの部屋のこと知りませんでした」
ノーラが部屋を見回し、唖然としている。
医務室の隣に、こんな美しい部屋があるとは、思わなかったのだろう。
「前任はあまり熱心な人ではなかったようね。この部屋を整理するのも時間がかかったの」
医務室のモルガン先生が言う。
今日のお茶会について話すと、是非参加したいということなので来てもらった。
「ノーラさんとグレタさんとは、去年1回会ったっきりだったわね。グウィネビアさんは、先日。ご活躍だったようね」
「特に、何をしたということもありませんわ。今日はそのことも含めて、ノーラさんとグレタさんにお話を聞ききたいことがありますの」
今日も給仕には下がってもらい、私がお茶の準備をする。案の定、ノーラとグレタは驚き慌てていたが、気にせずお茶をいれる。
「慣れていらっしゃるのね」
「はい。自分で準備すれば給仕や侍女を遠ざけることができるでしょう? 何もやましい話をするわけじゃありませんけど、いつも誰かが耳をそばだてているのは好きじゃありませんの」
「あら、用心深いこと。公爵家の令嬢ともなると色々と大変なのね」
「失礼ですが、先生のご出身は……」
学園では、教師、学生ともに身分を持ち込まない決まりである。学生が教師の社会的地位を気にするのは御法度だ。が、もちろん建前である。
「私はね、平民としてこの学園に入ったの。あの頃はまだ平民は少なくて大変だったけど、なんとか3年間学ぶことができたわ。そして学園で知り合った夫と結婚して男爵夫人になったの。数年前から医務室を見てほしいって話があってね。子どもも大きくなったし、仕事を受けることにしたの。学園はずいぶん変わったわね。貴族より平民が多いし、寮が出来てるし。でもあの食堂はひどすぎるわ……」
モルガン先生は平民出身の卒業生で、現在は男爵夫人なのか。なるほど、平民と貴族のバランスを考えるなら、悪くない人選だ。
「この前、食堂であったのは食堂の改善のためだったのですか?」
「ええ、そのことでノーラさんたちとも話たかったのよ」
「もしかして以前、理事会に拒絶された件ですか? まさか先生が動いて下さってたなんて……」
「ノーラさん、どういうことですか?」
「ああ、グウィネビアさんはご存知ないでしょうね。主に平民側が使う食堂なんですけど、年々ひどくなっていくんです。それで改善要求を理事会に申し出たのですけど、まったく相手にされませんでした。でも他の問題も山積みだから一旦、諦めることにしたんです」
「『予算がない』『問題ない』。平民が絡む問題はいつもこうなんですよ」
グレタが肩を竦める。
「でも平民の富裕層は黙っているんですか? 自分の娘や息子たちがまともな食事を取れないのですよ」
富裕層は多額の寄付を行っている者もいる。彼らにはそれなりの発言権があるはずだ。
「裕福な子や家が近い子はパンやハムを持ってきて食堂に預けたり、昼食時になると使用人が持ってきます。平民にとって重要なのは落第しないことですから、富裕層は個人授業を取ることにお金を使うんです」
「一番悲惨なのは寮の学生ですね。大抵、地方出身でコネもお金もない者が大半です。寮内で助け合って、なんとか乗り気っていくしかないんですけど……」
グレタが寮の話を始めたので、思わずドキッとする。
「あの……その寮で孤立したら、どうなるのですか?」
「まあ、先はないでしょう。冬休みの前に査定がありますから、そこで落ちるでしょうね」
ノーラの冷たく言い放つ。
まるで孤立したものが去っていくのは、当たり前と言わんばかりだ。
「モルガン先生、私の友人たちは寮生なのです。訳あって寮でも学園内でも孤立しています。彼女たちは寮でも学園でも満足に食べていないません、落第どころかこのままでは餓えてしまいます」
モルガン先生はこちらを見て静かに頷いた。
「医務室に来る子の大半がお腹を空かせているのよ。まずは食堂の改善が必要だと考えています。学生食堂の予算配分の改善と納入業者の再選定は非公式ですが理事会から承認されています」
先生は商人である実家の力を借りて、学園に納品されている食品の値段を調べた。
結果、今の業者から市場価格よりかなり高めに商品を購入していることが分かったらしい。
先生はただちに業者を新たに選定し、適正な価格で取引を成立させたということだ。
「寮も同じ業者だったから変えたわ。どちらも改善するはずよ。予算配分についても見直しが検討されているの。平民の学生が増えて、職員も増えてるのに、予算配分が以前と同じなのよね」
学生食堂、寮以外の職員や魔術棟の食堂も見直しているらしい。
「食堂だけでね、だいぶ時間がかかったのよ……。今、教本や学園の備品についても調べているところよ」
「もしかして食品も教本も適正価格より遥かに高い金額で購入していたということでしょうか? その場合、差額はどうなっているのでしょうか。もしや業者が……」
業者が自分の懐に入れてるんじゃないですか、と言いたいところだが令嬢はそんなことに疑問を持ってはいけないのだ。
「ええ、まあ、多分ね。調べれば色々出てくると思うわ。理事会に『予算がない』とは言わせないつもりよ」
「色々と動いていて下さっていたんですね、ありがとうございます」
グレタが感情のこもった声で礼を述べる。
「先生が来てくださって本当に助かりました。今年はグウィネビアさんに殿下までいらして、本当にありがたいです。でも急激な変化は反発を伴いますわ。どうかお気をつけください。グウィネビアさんも」
ノーラはいつものきびきびした調子でそう言った。多分、心から心配してくれているのだろう。
「とりあえず私の話はこれで終了よ。グウィネビアさん、よかったらあなたの話を私にも聞かせてもらえないかしら」
「はい、ぜひ聞いて頂きたいと思います」
私はリリアたちの現状について話をした。
孤立していること、寮内で不当な扱いを受けていること、実技で不利な状況にあること。
「練習用ドレスは確保したんですが、 この先、乗馬、剣術、礼儀作法、絵画、音楽と続きます。衣装が必要になりますし、授業自体がある程度経験のあることを前提にしたものだと平民の中にはついていけない者も少なくないでしょう。ノーラさんやグレタさんから平民の大変さは聞いていたのですけど、実際リリアたちの姿を目の当たりにして、あまりの酷さに驚きを隠せませんわ。2人だけではありません。他にも地方からきて、孤立している学生がいます。彼らには助けが必要です」
「正直、グウィネビアさんがここまで平民のために、動いてくださるなんて思っていませんでした。リリアという平民が、よほど気に入られたということでしょうか?」
貴族がお気に入りの平民を可愛がることがある。ノーラはそのことを言っているのだ。
この世界では、権力を持つものが特定の弱者を比護することや、コネや賄賂を用いることは当たり前のことと考えられている。
その反対に、リリアのように制度を正しく用いる者は「ズルい」と言われる。納得しているわけではないが、これが現状だ。
「そう思って頂いて結構です。彼女たちがこの1年を乗り切るためにこれから何がおこるか知っておきたいのです。そのためにノーラさん、グレタさんに協力をお願いしたいのです」
「正直申しますと、私もグレタさんも寮については詳しいことは分からないのです。あそこは地方の出で首都に縁故がなく、下宿を借りることも出来ない者が行くところですから」
あれだけ平民の環境の悪さに憤っていたノーラなのに、寮生にはひどく冷たい。
田舎から金もコネもなく学力一つでやってきた若者――。
彼らこそ、学園が大事に育てるべき人材だと思うのだが、こういう発想は、ここでは通用しないようだ。
とはいえ、平民として理不尽に苦しみ、私などより何十倍も平民学生の立場の向上を考えてきた2人だ。私が彼女らに何か言う権利はないだろう。
今は貴族令嬢がお気に入りを救済しようとしている、と考えて貰っておいたほうがいいのかもしれない。
ノーラやグレタも思うところはあるだろうが、そこら辺は飲み込んでくれたようだ。2人は、代わる代わる1年生の平民に、これからおこることを教えてくれる。
話を聞いていると、やはり実技が足を引っ張るようだ。
「まずは衣装ですね。ダンスは採点の対象になる場合があります。剣術と乗馬ですが、普段は着ないズボンとブーツが必要になりますけど採点の対象にはなりません。知り合いに学園に詳しいものがいれば、早い段階で作るなり買うなり準備することが出来るんですが、そういった知り合いがいない場合は、学園の掲示板を見て初めて知ることになりますね」
リリアたちは地方から来た、典型的な情報難民である。
「なぜ、もっと早く通達してもらえないのでしょう。学園が始まってからでは遅すぎるでしょう」
ノーラとグレタは顔を見合わせる。
「合格通知と一緒に制服の注文書と教本の購入や貸与の注文書は来るのですが、実技の服についてはありませんね。そういう物だと思って特に気にしたこともありませんでした」
グレタが言うと、ノーラも頷く。2人は知り合いから教えてもらえるので、特に困ってはいないらしい。
よく考えると、とりまとめ役に選ばれるぐらいなのだから、2人とも学園に来る平民の中では、相当な家柄だろう。
地方の学生に思いが及ばないのも無理のないことかもしれない。
ちなみに私は全て家の者に任せてあるので、それこそこんな悩みがあることさえ知らなかった。
「ダンスのための衣装などは貴族や平民の上流層なら持っていて当たり前、という考え方からでしょうね。確かに20年前ならごく当たり前の教養でしたわ。今は剣術、乗馬あたりは貴族の女性はほぼやってないでしょうね」
モルガン先生によると、かつては弓術と刺繍、裁縫の授業もあったらしい。これらを1年である程度『できる』状態にしなくてはいけないのだ。
「ダンスはともかく、剣術と乗馬は先生の教え方も丁寧なんです。モルガン先生がおっしゃる通り、貴族でも初めての方が多いからでしょうね」
逆に退屈で、あからさまにサボっている貴族もいるらしい。
「楽器は貸出が出来る、フルートとバイオリンを選択する平民が多いです。ただ先生に当たり外れが多くて……」
グレタが言いよどむ。
初めて楽器に触れることを前提とした授業をする先生と、ある程度できる生徒しかついていけない教え方の先生がいるらしい。
「絵画も先生によりますね。貴族ばかり面倒を見る先生も多いですからね」
ここまで話を聞いてきて、ある疑問が私の中にむくむくと沸き起こってきた。
「あの、実技の考査で気に入らない生徒を、意図的に落とすことは可能ですか?」
私の言葉に、3人がぎょっとした表情になる。
「座学、実技ともに合格基準があります。考査には複数の職員が関わって判定します。不合格者の多い授業を担当している先生は、最悪、解雇されることもあるのであからさまなことはないと思いますが……」
しかし、ノーラの表情は暗い。自分の言葉を信じてないのだ。
正直、入学試験あたりから、なんらかの調整はあるだろうと踏んでいる。そのあたりにこれまで別に興味がなかった。
貴族は全員考査に通るのだ。多少、成績を操作されたところで不利になりようがない。
今、私が真剣に悩んでいるのはリリアたちのためだ。
環境さえ整えれば本来優秀なリリアが考査で落ちることはない、と考えていた。
しかし、実技は基準を曖昧にすればいくらでも恣意的な操作が可能だ。そんな悪意を努力で跳ね返すことはできない。
「グウィネビアさん、今、学園は過渡期にあります。かつてないほど平民の数は増え、以前なら入学前に当たり前に持っていた基礎的な教養を身に付けていない学生が増えました。これは貴族にも言えることです。教師も混乱し、そのしわ寄せがいく先は、学生――特に平民学生になっています。学園側もこの状況がよいとは思っていません」
モルガン先生はそう言うが、私は懐疑的だ。
まず学園側とは誰を指すのか。学園長かあるいは国王陛下なのか。
理事の中に平民をよく思わない者がいるのだ。教師の中にもいるだろう。そんな教師に考査されるとしたら……。
「今、教師の入れ替えを行っているところです。それが私やロビン先生なのです」
「えっと……、ロビン先生?」
「今年の1年のダンスの先生よ。グウィネビアさんのクラスはまだだったかしら」




