~卑劣! 春はのんびり可哀想な話~
春も半ばに差し掛かり、今日もぽかぽかとした丁度よい気温。
日課とも言える訓練と修行を終えて、昼食を済ませた後はのんびりと部屋で過ごしていた。
「師匠さん師匠さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
さて、午後は何をしようか。
と、思っていたところ扉の向こうからルビーが呼びかけてくる。
「どうした?」
呼びかけてくるということは、俺に出てきて欲しい、ということだろう。
何かしら用事があると思い、俺は扉を開ける。
「ちょっとお出かけしていいかしら?」
扉の先にはいつもどおりな様子のルビー。冒険者の休日スタイルで、特に特別な用事があるようには見えなかった。
「別にかまわんが……珍しいな、こんな良い天気の日はイヤだろうに」
マグ『常闇のヴェール』が無ければ一瞬で燃えてしまう吸血鬼。俺は視線を腕輪に向けながら言った。
「こんな最悪な天気の日ですが、本屋さんって昼間にしか開いてないんですのよ。ひどい話です。もっと吸血鬼に優しい時間に営業するべきかと思いますわ」
ルビーにしてみれば真昼間の営業は大雨か大嵐みたいなものなんだろう。
気持ちは分からんでもないが、吸血鬼に合わせると世の中が成り立たなくなってしまう。不便ながらも仕方がない。
と、肩をすくめるがルビーは否定した。
「冒険者御用達と言える酒場は夜から始まりますわよ」
「需要を考えろよ、支配者さま」
「世の中ケチですわ」
今度こそ、俺は肩をすくめた。
「それで何か用事か?」
「デートに行きましょう。今なら邪魔な小娘が爆乳娘と遊んでいて気づきませんわ」
パルは昼食のあと、黄金の鐘亭に行っている。どちらかというとリンリー嬢がパルと会いたがっている感じなのだが、パルもパルで喜んでいるのでオッケーか。
友達付き合いというものは、案外大事だったりする。
俺も、勇者がいなかったら今ごろはひねくれた悪党になっていた可能性が高い。盗賊ギルドのお世話になっていればいいが……下手をすれば殺されてる可能性もあるだろうな。
なんにせよ、勇者のおかげで今があるので、あいつには感謝しかない。
そんな俺と同じように、パルにも健全なる友人が必要なわけで。リンリー嬢との付き合いは大切だ。
最近はちょっと宿のお手伝いもしているそうなので、正式にパルを雇いたいと目論んでいるのかもしれない。
無論、断固拒否するが。
「奥様の目を盗んでお出かけしましょう、師匠さん。これぞ盗賊らしい行動ですわ」
盗賊らしい、というより、浮気男らしい振る舞いと言えなくもない。
「こっそり出掛けてるのがバレたら、パルが泣かないか?」
「泣きますわね」
「それはイヤだな~」
ズルいズルい、とパルが泣きわくところが容易に想像できる。しかも本気で泣いているのではなく、割りと打算的に言ってくるので、始末が悪い。
その嘘泣きが透けて見えるのは、わざとだったりする。
見破ると、余計に不貞腐れるので『お願い』を聞くしかないのだ。
「まさに涙は女の武器ってやつか」
「教えたのは師匠さんですわよ」
「自然と覚えるんじゃないのかねぇ……」
くすくすと女の子歴の長い美少女が笑った。
もっとも――
この年長者殿は、女の武器を使わないのが強みのような気もしないでもないが。
「すまんが、デートはお断りだ」
一時の快楽より、恒久なる平和を選ぼう。
「むぅ~。仕方ありません。では、代わりにいってきますのチューをくださいな」
「そっちが本命か」
不都合な選択肢の応用編。
相手が了承しない物を提示するときは、よりイヤな物を提示することによって、了解を引き出すというもの。
今回はデートという物を先に提示しておいて、本命はキスだった。
という話。
「見抜けなかった師匠さんには罰を受けてもらいます」
「はいはい」
「ふふ。はい、どうぞ」
俺からやるのか……
目を閉じてこちらを向くルビー。
たぶん無視しても、この状態のまま永遠に付きまとってくるバケモノに変貌するので、素直にキスすることにした。
ちょっぴり角度が足りないのも、分かってるんだろうなぁ。
ルビーの顎に手を添えて、ちょっぴり角度を上げてやる。嬉しそうなルビーの表情を少しだけ楽しんでからキスをした。
「うふ。ちょっぴり物足りませんが、良しとしましょう」
「昼間から舌を入れる趣味はない」
「わたしにとっては真夜中なんですもの」
「難儀な生き物だな、吸血鬼とは」
くすくすと笑いながらルビーは、そうですわね、と答えた。
「それではいってきます。あ、夕飯までには帰りますわね。帰らなかったら浮気していると思って全力で探しに来てください」
「分かった。命がけで探しに行く」
「まぁ、うれしい。それでは行って参ります」
ルビーを見送ると、はぁ~、と息を吐いて自分のくちびるを触る。
「いってきます、の一言で済むのに、この面倒さ」
……まぁ。
嫌いではないし、悪くもないが。
問題なのは、思いっ切り浮気をしている気分なので、パルに見られたらイヤだなぁ、という後ろめたさだろうか。
「う~ん」
なんかこう、本人たちは割り切っているというか受け入れているところがあるので問題ないと言えば問題ないんだろうけど。
果たしてそれは本当に良いのだろうか。と、思わなくもない。
「マジで浮気男になってるんだよな、俺……」
今さらながら考えても遅いところではあるし、なんならルビーにお断りを入れるとマジで落ち込まれそうだし、更にはパルにも怒られる気がするので、アレだし。下手をすれば王族である末っ子姫まで怒ってきそうな気がして仕方がない。
全員でしあわせになるしかないのだろうか。
いや、それで全員がしあわせを感じているのならば何も問題はないんだけど。
う~む。
というか、俺自身もルビーが嫌いなわけではないし、いっしょにいて面白いし、楽しいし、好きと言えば好きだし。
「ぐぅ……」
ダメ人間。
俺はダメ人間だ……!
いや、ロリコンなのでそれはもう浮気云々という手前のダメさがあってこそなんだけど、こんな状況になるとは思ってなかったし、まだ見たり触れたりくちづけたりしている程度で、最後の最後のラインは破っていないのが最後の砦。
その最後の砦を守るのが俺の仕事なのではないだろうか。
うん。
そう思おう。
うん。
「……よし」
というのを自室のベッドの上で頭を抱えて転げまわって出した結論だ。
おじさんが出す『現状維持』である。
まったくもって情けない。
「なんだろう……とても勇者に会いたくなった」
あいつはもっと真面目なことに悩んでいるのに俺ときたら。
こういう場合は勇者より戦士に会うべきだろうか。
どんな王国を作るのか、あいつの馬鹿話を聞いていると自分の馬鹿さ加減が霧散してとても良い。
「女の子は全員美人法、というのはどうだろうか。オレの作る王国にブスはいない。女はすべて美人として扱う。素晴らしき平和な法律だ」
大真面目な顔でアホなことを言い出す戦士を思い出した。
「お婆ちゃんもか?」
「当たり前だろ、エリス」
「当たり前じゃないか、エリス」
俺の質問に、戦士と勇者が真顔で答えてきたのが恐ろしかった。
そんな思い出にすがっているのも心の疲弊の原因か、と思ったのでため息を盛大に漏らしながら黄金の鐘亭に行く。
パルの純粋さに浄化されたくなった。
「いらっしゃいませ、お客様。お泊りでしょうか?」
カウンターになぜかパルがいて、受付の仕事をしていた。
「なんでパルが受付で働いてるんだ?」
「おやつ食べさせてもらえるから。お泊りですか? 二階の特別ルームがおすすめです」
そんな部屋なんてあったっけ?
「特別ルームは何があるんだ?」
「なんと、あたしがメイドさんになってお世話します。あたしと『ご主人様とメイドごっこ』ができます」
「却下だ」
「えぇ!? 泊まってくださいよぉ、師匠~」
「あ、違うちがう。『ご主人様とメイドごっこ』という存在事態を抹消したい。おまえ、他の客に言ってないだろうな」
「師匠専用です」
「許す」
「えへへ~」
……なにが浄化だ。
この弟子も煩悩まみれじゃないか。
そりゃ俺の弟子だもんなぁ! 仕方ないよなぁ!
「で、どうしたんですか師匠。お仕事?」
「いや、パルの様子を見に来ただけだ。迷惑をかけてないかと思ってなぁ」
嘘にはほんの少しの真実を混ぜればいい。
様子を見に来たのは本当のことなので。
「ちゃんと仕事してますよ。あたしの仕事着も用意してくれたし」
宿屋の制服を着せてもらっているパル。
かわいい。
しかし――
「それもそれでどうなんだ……あと、少し大きいんじゃないのか、それ」
「リンリーさんの着てたヤツみたいです。それが残ってたので、着せてもらいました」
「あぁ、それで……」
肩幅とか合ってるけど、一部分だけ余ってる。
そうか、リンリー嬢はこの頃から胸が……
「かわいそうに、リンリー嬢……」
「誰がかわいそうですか、エラントさん。あと、嬢って言わないでください」
後ろから迫っていたのは知っていたので特に驚きはしない。
「パルちゃん、この失礼なおじさん叩いていい?」
「いいよ」
弟子が俺を裏切った。
悲しい。
「えいっ!」
というわけでレッスンを開始する。
振り下ろされたホウキの柄を人差し指と親指の間に結んだ魔力糸で受け止める。手を引きながら勢いを殺しつつ受け止め、柄を握るとリンリー嬢の手をトンと叩いた。
「あれ」
驚いたリンリー嬢が思わず手を離すと、ホウキを奪うことに成功。
「このようにして、素人からは武器を奪うように。今は軽く叩いたが、本番は強く叩かないと失敗することがあるから気をつけろ」
「はい、師匠」
「私でレッスンしないでください!」
腕を振り下ろしながら怒るリンリー嬢。ばるんばるんと一部分が揺れている。気持ち悪い。
ちょっとした騒ぎではなく、ちょっとした動きで周囲の客たちの注目度があがってしまう。
これ以上ここにいると危険なので、退散しよう。
「食堂でお茶でも飲んでくる。パルはどうする?」
俺は弟子に聞いてみたのだが、そんな弟子はおっぱいに埋もれるようにリンリー嬢に抱きしめられていた。かわいそうに……
「残念でした! 今はパルちゃんの独占権を私が持ってます。エラントさんでもどうすることもできません」
「マジか」
「師匠ごめんね。あたし、おやつに負けちゃった」
「マジか~」
俺の価値はおやつより下だったようだ。
ま、仕方がない。
「じゃぁ、しっかり働くんだぞパル」
「はーい。あ、師匠。泊まっていってください。一番高い部屋。あたしのおやつのグレードが上がります」
「サービスは何がついてくるんだ?」
「お肉」
「このあたりに安宿はないか?」
「あっちにあるよ」
「ありがとう。可愛らしい店員さんだ」
「えへへ~」
「ダメな店員と客だ」
リンリー嬢に呆れられたところで、食堂へ移動する。
食堂で働くおばちゃんにお茶をいれてもらい、のんびりと香りと味を楽しんだ。
しばらくするとおやつのクッキーをもらったパルがやってくる。
紅茶の茶葉入りクッキーらしい。
「ひとつもらっていいか?」
「いいよ。はい、師匠」
ありがとう、とクッキーをもらってかじる。紅茶の香りが広がり、かなり美味しいのではないだろうか。
「かなり高そうな味がするな、これ」
「働いた甲斐がありました」
「お客さんは取れたのか?」
「リンリーさんじゃなくってガッカリされて、ゼロ人です。いま、受付の列ができてるよ」
ひどい話だ。
「パルの魅力が分からないとは、商人のくせに見る目がないヤツが多いな」
「師匠なら、あたしにいくら払います?」
「人生……いや、子どもの分も含めて人生4人分くらいか。とりあえず40ペクニアを払おう」
金貨40枚。
「女の子をお金で買おうなんて、師匠は酷い人だぁ」
うひひ、とパルは意地悪そうに笑う。
「なにせ、俺は盗賊だからな。悪いことはなんだってやってきたぞ」
「師匠がやった一番悪いことってなぁに?」
「そうだな……ちょっとした村のピンチを救ったときに、村の若い娘たちがあいつに夢中になってしまった時があってな。どうぞ好きな娘を選んでくだされ、と村長が言ったんだが、その気になったあいつを縛り付けて引きずって逃げた」
「あははは! 師匠には誰も来てくれなかったの?」
「みーんな、あいつにばっかり夢中で。俺だって一応は頑張ったのにひどくない?」
「ひどいひどい」
きゃはははは、とパルは笑ってくれる。
その笑顔を見るだけで、充分にあの時の俺がうかばれる気がする。
十数年前の俺よ!
今の俺はハッピーだぜ!
と、言ってやりたい気がした午後のひと時だった。




