~流麗! 谷底で眠り待つモノたち~
吸血鬼でも、高所から落ちて地面に叩きつけられれば――潰れます。
ぐしゃり、という不快な音が聞こえました。
その後は『無』が訪れたように思います。思います、というのもその間の意識がないので、深い眠りに落ちたかのようなものでしょうか。
このままであれば死に到達できるかと思いますが……残念ながら吸血鬼も生きとし生ける者。
本能がそうさせたのか、そもそも意識など失っていなかったのか。
無意識のうちに身体を元に戻しました。
ずずず、と周囲に広がったモノを中心に戻していくような作業。
視界が元に戻った頃には、首がお腹の下にありましたが――難なく元に戻せました。
なるほど。
頭から落ちたせいで、妙なところで身体が折れていたようです。
「師匠さんにもパルにも見せられない姿でしたわね」
拷問ごっこで指は切り落とせても、首が繋がったままでおへその位置にあるのは理解の範疇を越えてしまうはず。
バケモノ認定をされてしまうと、二度と普通に愛してもらえないかもしれないので。見られなくて良かった良かった。
「まぁ、魔王四天王の時点でバケモノ扱いはそうなんですけど」
冗談をつぶやき、地面に貼り付いていた体を起こす。パラパラと身体から砕けた破片が落ちていった。
硬い地面が少々へこんでしまって、跡が残っているのは……わたしが硬いってことですか、これ。
それはそれで、なんかこう乙女として納得できない気がしないでもない。
女の子はやわらかいのですから、地面さんは勝利して頂かないと困ります。むしろ、粉々になってへばりつくのはわたしの方だったはず。
「はぁ」
ま、吸血鬼なので仕方ありませんわね。
さて。
視力も戻ってきたようですし、声も戻りました。手足も無事に動かせますわね。
「よっ、と」
トンと跳ねるように起き上がり、身体の調子を確かめる。意識を失っていたのはどれくらいかは分かりませんが、そこまで時間は経過していないでしょう。
無を体験した時間は3秒くらいかしら。
「死は遠いですね」
げんなりとしますが、今は生きていることを喜びましょう。死んでしまったら、師匠さんやパルが探しに来るかもしれません。
こんな谷底は、人間種はおろか魔物種だって来るべきではありませんからね。モンスターだって発生していない可能性があります。
「ふむふむ」
とりあえず流星の結論ですが――
「分かりませんでしたね」
一点に集まる流星の先に何があるのか。何が待っているのか。
それを調べるつもりでしたが、結局のところ何も無かったというのが正解かもしれません。
誘惑をするだけの幻だったのでしょうか。
それとも、偶然にも綺麗に輝いて見えただけなのでしょうか。
「テンプテーションの可能性が高いですけど、不可解なのは外からは見えないことでしょうか」
魔法学院の結界の中からしか見えない吹雪。
同じく、結界の中からしか流星は見えないはず。
「魔法学院が魔眼持ちに仕掛けた罠……?」
そんな考えが頭をよぎりましたけど、まったくもってメリットがありません。なにより、魔眼持ちが嫌われているとか、禁忌とされているなんて話は聞いたことがありませんし。
「旧貴族文化とか?」
いえ、それも無いですわよねぇ。
なにより、魔眼なんてものはレア中のレアですので。そうホイホイと見つかるものではありません。
国に一人いれば良いほうですし、魔物種にだって早々といません。
四天王でも魔眼を持っているのはわたしだけなくらい。
「う~ん?」
いったい何なのでしょうね。
まだ判断を下すための材料がそろっていないかもしれません。
「谷底を調査してみましょうか」
空が見えないほどの深い深い谷底。
人間領と魔王領の境界にあるこの場所は、落ちれば二度と上がれない場所と言われております。
無論、例外はたくさんあるでしょうけど。
しかし、岸壁を伝って登るには不可能と思われる高さですし、飛び越えられるほど幅が狭くない。
また人間領と魔王領には高低差があって、人間領のほうがかなり高くなっています。
魔物種が人間領に移動できないのはこのためですが、同時に魔王領にやってきた勇者が二度と人間領に帰ることができないのも、このせいです。
そんな境界線と言える谷ですが……
「不都合な物を捨てる場所としては、最適な場所ですわね」
見渡すだけでチラホラと何かが散らばっているのが見える。
魔王領のアスオくんの領地から、わざわざこんな場所に捨てに来るとは思えませんので。
このあたりに散らばっている物はすべて、魔法学院が捨てた物、と考えて良いでしょう。
「何かヒントはあるかしら」
とりあえず、近くにあった物を拾い上げてみる。
「筆?」
棒のような物ですが、毛先というかインクを付ける先っぽが風化して持ち手だけが残っているようです。
なんでこんなところに落ちてるんでしょうか。
謎。
他にも細々とした物ばかり目に付きますので、適当にゴミ箱扱いされているのかもしれません。
ヒントにもならないのか、と思いきや一際大きな物が落ちているのを少し先に発見しました。
「布でしょうか」
これもまた随分と風化しておりますが……黒紺制服のようですわね。
「……」
ひしひしとイヤな予感がしてきましたが、確かめない訳にはいきません。
近づいて見てみると――やはり、骨がありました。
一ヶ所にまとまるように落ちているので、頭から落ちたようですね。細かい部分は散らばってしまったのは、分からないですけど。あと頭蓋骨が分かりません。ホントに砕け散ってしまったのでしょう。
ここ数年という感じではないのですが、すべてが砂や土に還るほどの年月でもない。
なんとも無残なまま、ずっとここにいることになったみたいです。
「事故であれば自業自得で良いのですが、誰かに突き落とされたのであれば、これほど酷い結果はありませんわね」
せめて埋めてあげましょう。
そう思い、遺品の近くに穴を開けようとしましたが……岩ですわね、これ。穴を開けられますけど、埋めてあげるのは無理そうです。
「仕方ありません。少し我慢してくださいな」
わたしの影の中に入ってもらうことにしました。
死して物あつかい、というのは不満かもしれませんけど。
すでに魂が神のもとへ行けている、と信じて運ばせてもらいますわよ。
「他にも落ちた方がいそうですわね」
骨は拾ってやる、なんて言葉がありますけど。
まさかわたしがそれを実行する日が来るとは思いませんでした。
とりあえず、谷底に影を広げていく。いちいち目視で探していてな日が暮れそうですので、手早く終わらせてしまいましょう。
「うわ、ホントに何人か落ちてますわね……」
反応があるのが悲しいです。
せめて魔物種側も何人か落ちてる~、なんてことがあれば釣り合いが取れそうなんですけど、すべて人間種というか、魔法学院の生徒だと思われるのが、なんとも言えない気分になりますわね。
「はぁ~あ~ぁ~ぁ~」
わたし人間種が大好きなんです。この愚かな部分も含めて好きなんですよ。好きなんですよ?
でも、それをちょっと嫌いにさせないで欲しい。
わがままなのは重々承知です。ですが、これくらいのわがままは言わせて欲しい。
その肉体に『知恵』を宿したのならば『道徳』ぐらい獲得しとけ。
と。
声を大にしてわがままを叫びたくなりました。
無論。
道徳も倫理も、わたしが大好きな師匠さんが持ち合わせていないので、マジのご都合主義的なわがままです。
見逃してくださいまし。
さて。
とりあえず、一番近くの骨を拾いに――
「……なにかいますわね」
影に反応したのではなく、視界に何かいるのが分かりました。
浮かんでいる、青白い物。
まるでガラスで出来たようなものが、空中に浮かんでこちらを〝視て〟いました。
「何者です?」
そう聞いてみたのは冗談でも冗句でもありません。
ガラスのようなそれは、人の形をしていました。顔があり、身体があり、手と足がある。大きさはわたしよりも大きいくらいです。
「作り物、のようですわね」
顔には目や鼻、口といった部位があるのですが彫像のようなイメージでしょうか。穴があいていたりするのではなく、あくまで象ってあるだけ。青白く向こう側が透けているので、中に何もないことが分かる。
のっぺりとした胴体は男とも女ともつかない曖昧な形。性器はなく、それこそどちらでもないように思えました。
一番の特徴は手や足でしょうか。
腕はあるのですが、先端に行くに従って細く曖昧になっていく。足も同じで、太ももはあるのですが、膝のような部位はなく、先端は丸みを帯びた細い形をしているだけ。
精巧な部分と、まるで子どもが作ったかのような曖昧で稚拙な部分が共存している。
そんな見たこともない物が。
静かに浮かんでいました。
「あなたは魔物種でしょうか、それともモンスターでしょうか? 自己紹介をお願いします」
魔物種にこんな種族はいなかったはず。
今まで隠れて住んでいた、なんてことは無いと思いますけど。
念のために聞いておいて損はないでしょう。
なにより、『神』の可能性だってあるのですから。
「ひどく人間種を模したような、それでいて細部は中途半端。まるで途中で飽きてしまったような姿をしておりますのね」
神が依り代を作るのに途中で飽きた、なんてパターンも考えられますが。
果たして?
「……」
しかし、答える素振りはありませんね。
というか、口も目もガラスに凹凸があるだけのようなものですし、本当に見えているかどうかも怪しいところです。なにより、身体が透けていて中に何も無いのが見えているくらいですので。
およそ『生物』とは思えない。
古代遺産のゴーレムに近い存在なのでしょうか。ロック・ゴーレムやらマッド・ゴーレム、ウォーター・ゴーレムとかは見たことがありますが、ガラス・ゴーレムなど初めてです。
「でも、ゴーレムとはやはり違う気がするのですよね」
浮いているからでしょうか。
そう考えれば、ゴースト種のようにも思えますが……
「とりあえず返事がない、ということで。あなたをモンスターと断定します。抗議がある場合、なんらかのアクションを二度実行してください。肯定の場合は一度でお願いします」
光るなり、音を鳴らすなり。
どうぞ、と促すが――何も起こりませんでした。
仕方ありません。
「あなたをモンスターと断定し、ぶっ壊しますわね」
影の中からアンブレランスを引き抜き、仮称『ガラス』に近づく。攻撃に何らかの反応を示すかと思いましたが、何も起こらない。
このまま破壊してしまいましょうか、と思った瞬間に、視界が入れ替わりました。
暗転する闇の中にひとりぽつんと立っている。
「っ!?」
素早くその場から身をねじるように避けると、なにかが高速で通り過ぎて行きました。ざっくりとほっぺたが切れる。髪もばっさりと切られてしまいました。
「訳が分かりませんが、攻撃されたようですわね」
視界が谷底に戻り、目の前にはガラスが浮いている。動いた様子はなく、攻撃の予備動作も予兆も分かりませんでした。
「相手がわたしで良かったです」
パルには任せられない相手ですわ。
せっかくの長い髪が切れてしまっては、師匠さんが悲しみますもの。
「髪は女の命とも言いますが、残念ですがわたし不老不死でして。この程度では死ねないんですのよ」
髪を伸ばすと同時に足元の影をガラスに向けて伸ばす。
視覚情報で動いているのかは分かりませんが、一応は髪を伸ばすという行為で意識をこちらに向けておきましょう。
影をガラスの背後まで伸ばし、そこで眷属召喚をしました。オオカミを呼び出し、背後から攻撃するように命じる。
しかし、飛びかかったオオカミはその場で足を滑らせるようにしてひっくり返り、ばたばたと足を動かすばかり。
「あら?」
視覚情報を片目だけ繋げると――真っ暗な中を浮いているような感じに見えました。そんな相手を視認することなくガラスは魔力の刃を発生させ、影オオカミを切断した。
「ふ~ん。どうやら近づく者へ幻覚を見せ、混乱している間に魔力での攻撃を仕掛けるようですわね」
ならば、とわたしは距離を取り影で足元にある石を拾い上げる。
「せーのっ!」
おりゃ、とガラスに向けて石を投げつけた。しかし、ガイン、という奇妙な音と共に魔力の障壁が石を防ぎました。
範囲外からの攻撃は防御されるみたいですわね
「ふむふむ。厄介なことには違いありませんが……そこまで強くはありませんわね。あまり能動的ではない様子ですし――!?」
と思っていたら、ぶわり、と視界が入れ替わってしまう。
一面のお花畑に立っていました。
「ちょ!?」
慌ててアンブレランスを開くと、魔力の刃がぶつかる衝撃が腕に伝わる。先ほどの攻撃のせいで敵と認定されたのでしょうか。
お花畑は綺麗ですけど、まったくもってガラスの姿が見えなくなるのは厄介――
「あら!?」
またしても視界が変化し、今度は海の中に沈んでいました。がぼがぼ、と呼吸ができず、水を飲んでしまうような不快感と身体の動かしにくさ。
幻覚というよりも一段階上のような――精神干渉にも思えます。
なにより目を閉じても見え続けているのですから。
相当な精神攻撃ですわね。
「なるほど、理解しました」
恐らく、吹雪や流星が見えていたのはこの仮称『ガラス』の仕業と推測できます。無作為に精神干渉攻撃を仕掛けていると思われますが、それがこの谷によって無駄に増幅したのかもしれません。
加えて、魔法学院の結界。
恐らく色々と外側からの攻撃を防ぐ効果があったと思われますが、それが奇妙な形で作用してしまったかと思います。
それが流星となって見えていた。
ただし、相性が良い存在にしか届かない。
つまり魔眼です。
魅了の魔眼であろうとも、過去視の魔眼であろうとも、読心の魔眼であろうとも、幻惑の魔眼であろうとも、ほとんどの魔眼は『精神干渉』がメインです。無論、千里眼のような例外もありますけど。
ですが、相手に影響を及ぼすようなものはすべて精神干渉となります。
このガラスの能力と同じですね。
「こんなところに真犯人がいましたか」
まったく。
人間種のイヤな部分を見せつけられて辟易としていましたが……
「魔王さまのイヤな部分でしたわね」
頑張って作ろうとしましたけど、途中で飽きましたわよね。手足とか!
まったく!
作るなら責任を持って最後まで作ってあげてください。
見たことも聞いたこともない新しい出来損ないモンスター。
さっさと壊してしまいましょう。